自身の誕生日プレゼントとして購入したアルバム (1枚目) 。共にシューマニアーナとして知られるジョシュア・ベルとスティーブン・イッサーリスが演奏ツアーでの選曲で制作、ブラームス初期の室内楽である「ピアノ三重奏曲第1番」と最後のオーケストラ作品となった「二重協奏曲」を、シューマン後期の傑作「ヴァイオリン協奏曲」の幽玄な緩徐楽章が繋ぎ、友情と愛のストーリーを紡ぐ素晴らしいアルバムである。2016年録音。表記はないが、協奏曲のみライヴ・レコーディング。ライナーノーツはイッサーリス自身が記している。

 

 

 

 

 

 

チェリストのスティーブン・イッサーリスの演奏を聴くのは、久しぶりのような気がする。以前にシューマンのアルバムを聞いて以来かもしれない。チェロ協奏曲をメインに据え、ミサ曲まで取り上げる意欲的な選曲でとても印象に残っている―エッシェンバッハのサポートも素晴らしかった。当盤の購入と前後してイッサーリスによるシューマン関係の著書も手に入れていたので(若者向けのクラシック音楽の本をけっこう書いているらしい)、色々とタイミングが合っていた。さらに「タイミング」でいえば、去年ブログ投稿したガーディナーによる「バッハ カンタータ巡礼」のアルバムで、オケのメンバーに姉でヴィオリストのアネット・イッサーリスの名があり、ライナーノーツに彼女が寄稿していたのも思い出す。こういう関連が見えると、何だか嬉しくなる。

 

ヴァイオリニストのジョシュア・ベルの演奏を耳にするのは、事実上ほぼ初めてに近い。彼がサー・ネヴィル・マリナーの後を引き継いで、2011年からアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(「ASMF」。所謂「アカデミー室内管弦楽団」)の音楽監督となったこともあり、30年来の旧知の仲だったイッサーリスを交えてのツアーが実現したようだ。当アルバムはその貴重な副産物ともいえよう。制作の詳細については既にネット記事になっており、当ブログ記事執筆の参考にさせていただいた(下記リンク参照)。

 

 

 

 

イッサーリスによるドキュメンタリー番組「Schumann's Lost Romance」。

ベルも参加している。俳優たちによる再現ドラマも見ごたえがある―。

 

 

 

 

アルバム1曲目の「ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op.102」はしばしば「和解の協奏曲」と呼ばれる―クララ・シューマンの日記にその表現が見られる―。数十年以来の親友だったヨアヒムとブラームスは、とあることがきっかけで約7年もの間お互い疎遠となっていた。作曲のアドバイスを久しぶりにヨアヒムに求めたことで、2人の関係が修復されることとなった。ヨアヒムに至っては後日「ヴァイオリン協奏曲Op.77」以上にこの作品を高く評価したのだという―クララやハンスリックの意見は否定的だったのに。もしかすると嬉しかったのかもしれない。ただ、ブラームスは周りの反応に落胆し、二重協奏曲第2番の作曲を諦めたことが伝えられている。

 

ブラームスとしては元々「チェロ協奏曲」として作曲するつもりであったというが、ソリストとしてヴァイオリンを加えるというアイディアに夢中になってしまったらしい―それでも完成された作品の印象はチェロ主体である―。それがヨアヒムの件を意識したためかどうかは正確にはわからないが、この作品の前にはチェロ・ソナタ第2番Op.99、ヴァイオリン・ソナタ第2番Op.100、ピアノ三重奏曲第3番Op.101が作曲されていることから「ヴァイオリン&チェロ」という2人のソリスト設定が突発的なものではないことが推測できる―後に「チェロ協奏曲」を諦めたことを悔やむ発言も残してはいるが。ドヴォルザークの見事な作品を知った後のことである―。また、交響曲第4番Op.98でブラームスはバロック (ないしはそれ以前の) 様式を導入していたが、そのような彼の「懐古趣味」はこのOp.102にも見られる。「二重協奏曲」の起源は古くはバロック時代の協奏曲や合奏協奏曲まで遡ることができる。モーツァルトの時代には「協奏交響曲」というジャンルがあったが、19世紀ロマン派になるとメンデルスゾーンやブルッフといった限られた作曲家による作品しか見られなくなってしまった。否定的な意見の理由にはこの「古さ」も関係しているようであるし、演奏効果の地味さに比してソリストに求められる難技巧なども関わっている。それでもこの作品のおかげか「ドッペルコンチェルト」はその後多くの作曲家によって作曲され続けているようである。

 

元祖ドッペルのバッハ/BWV1043。賛否両論の多重録音による
クレーメル/ASMF盤で。これこそ「ドッペルゲンガー」である。

 

映画「アマデウス」のサントラより、モーツァルト/協奏交響曲
K.364~第1楽章。マリナー/ASMFが音楽を担当していた。

 

1982年作のシュニトケ/合奏協奏曲第2番。ヴァイオリンと
チェロがソリストとして採用されている。

 

 

この作品についてイッサーリスは「和解の感覚なしには演奏できない」と語っているが、確かにその要素を作品の中に見出だすことは可能であるように思われる。実際、チェロ→ブラームス、ヴァイオリン→ヨアヒムになぞらえると興味深い。第1楽章はオケによる短い序奏の後、ソロが (早くも) カデンツァを披露するが、最初に登場するのはチェロ。それに応える形でヴァイオリンが入ってくる―この順番はフィナーレも同様である―。そして緩徐楽章では、冒頭からユニゾンで2人が穏やかなテーマを奏でるのである。また、第1楽章の副主題ではブラームスとヨアヒムが大好きだったという「ヴィオッティ/ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調」の冒頭テーマが暗示されているという。そして全曲に渡り、ヨアヒムのモットーである「F-A-E」(Frei aber einsam 「自由だが孤独」)を並べ変えた「A-E-F」のモティーフが使用されているのである。さらにライナーノーツでは、ハンガリー風味のフィナーレがヨアヒム作の「ハンガリー協奏曲」に由来する可能性を指摘していて興味深い。

 

ブラームスの4曲のコンチェルトの中で、一番取っつきにくい印象があるOp.102だが、僕はアーノンクール盤で好きになった。室内楽的な響きを大切にした演奏で、この曲を親しみやすいものにしてくれたのだった (他にはツィマーマン&シフ/サヴァリッシュ盤があった) 。ベートーヴェンの三重協奏曲と同様、スター・ソリストの共演に注目が集まってしまうきらいがあるが、 ベートーヴェンの作品がそうであるように、曲の本質とは関わりがない。当盤ではジョシュア・ベルがヴァイオリンを弾きながら指揮を行っているが、ASMFの室内楽的で互いの音を聞き合うようなアンサンブルがブラームス演奏に有りがちな余計な重力からの開放を促し、 和解の後の爽やかさ、心の軽やかさに似た聴後感を与えてくれる。

 

僕が好きなのはイ短調のフィナーレ。ハンガリー風ロンドともいえる躍動的な音楽だが、まだどこか意地を張ってるような感じがして少し微笑ましい―もちろんコーダではイ長調に転調し、デュエットを奏でつつ高揚して終わる。前後するが第2楽章も実に美しい。室内楽的アプローチが最も功を奏した楽章である。ガット弦にこだわっているイッサーリスの、どこまでもしなやかで優しいチェロの響きはとりわけ印象に残る。

 

パールマンによる「子供時代の思い出」から。ヴィオッティの
協奏曲はヴァイオリニストであれば必ず弾く1曲なのだろうか。
 

ヨアヒム/ヴァイオリン協奏曲第2番「ハンガリー風」~第1楽章。

演奏されることは少ないが、難曲のようである。

 

当盤音源より、全3楽章を―。

 

2017年のコンサートツアーより、第1楽章冒頭を―。

 

 

 

 

 時は1850年代に遡る―ヨアヒムと知り合うことができたブラームスが、彼の紹介でシューマン家を初めて訪れる。シューマン夫妻はブラームスを喜んで迎え、その音楽的才能に夢中になってしまう―ブラームスの方も然り。彼にとって全ての始まりといっていい出来事であったに違いない。その頃シューマンはヴァイオリンにも夢中になっていて (ヨアヒムによるベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲の再演がきっかけだった)、ニ短調のヴァイオリン協奏曲を書き上げている最中であったようだ。後に数奇な運命を辿ることになるこのコンチェルトをブラームスはどう思っていたのだろうか?クララやヨアヒムと同意見だったのだろうか。クララの反対を押し退けてまで、シューマン/交響曲第4番の初稿を出版しようとしたブラームスのことである。熟練した作曲家視点でシューマン作品を俯瞰したとき、ブラームスの心に飛来したのはどんな想いだったのだろう―実際のところはどうであれ、シューマンの遺作となったヴァイオリン協奏曲の第2楽章のテーマに格別の思いがあったことは容易に想像できる。

 

晩年のシューマンが夢に現れたテーマを元に書き綴ったピアノ曲「主題と変奏」―または「幽霊変奏曲」「天使 (精霊) の主題による変奏曲」とも呼ばれる精妙かつシンプルな音楽のオリジナルが、この緩徐楽章のテーマである。後にブラームスはこの主題に基づく変奏曲を作曲し、クララの娘ユーリエに献呈している。

 

このテーマに惹かれた作曲家にブリテンがいたことは驚きである。イッサーリスらが演奏ツアーで、このブリテン編曲による緩徐楽章を取り上げることになった経緯は偶然だったらしい。イッサーリスが著書「ロベルト・シューマンの若い音楽家へのアドバイス」を執筆中のこと、ブリテンの作品リストの中に偶然シューマンの名前を発見したのだという。「シューマンのヴァイオリンと管弦楽のためのエレジー」と題されたその作品は、ブリテンが1958年にホルン奏者デニス・ブレインを偲び、シューマン/ヴァイオリン協奏曲第2楽章を編曲したもの。オーケストレーションは弦楽のみにまとめられ、本来アタッカでフィナーレに繋がる箇所に7小節の美しいコーダを書き加えたヴァージョンとなっていた。メニューインにより初演されて以降、陽の目を見ることなく、演奏も初演の1度だけ。当然録音もなされていなかった。というわけで当アルバムがこのブリテン・ヴァージョンの世界初録音となる。イッサーリスにこの秘曲を紹介されたジョシュア・ベルはすっかり気に入って「恋して」しまったという―その気持ちは痛いくらいよくわかる。この曲がブラームス作品の初期と後期を見事に結びつけ、アルバム全体を味わい深いものにしているのである。

 

(なお、当録音ではチェロ・パートもソロとして独立させ、二重協奏曲風に仕上げている)

 

 

 

当盤音源より―。ブログでこの動画を紹介するのは三度目かもしれない。

 

 

 

 

アルバム最後に登場するのは再びブラームスの作品、しかも初期の室内楽曲である「ピアノ三重奏曲第1番ロ長調Op.8」。彼の最後のオーケストラ作品となったドッペルコンチェルトとも、また恩師シューマン最後のオーケストラ曲ともなったヴァイオリン協奏曲と見事なコントラストがアルバム上で繰り広げられる。改めて素晴らしい選曲であるが、さらに注目すべきは現行版 (1889年改訂)ではなく、1854年の初稿版で演奏されていることだ―これでシューマン作品と時期的に接近することとなる―。僕がとても興味深く感じるのは作品の審美眼が厳しいはずのブラームスが改訂版においても作品番号を変えず、さらにわざわざ初稿版を残していることだ (なので全集のスコアでは、第3番の後にこの初稿版が隠れキャラのように現れる) 。作曲に厳格な性質ゆえ、処分された音楽の数は計り知れない―なのに、である。その辺りにこの作品の秘密が隠されていそうである。

 

初期の作品を円熟期の作曲家が改訂する、というとシューマンの交響曲第4番を思い出す(1841年版→1851年版)。各版の相違は聴いてすぐにわかるレヴェルだが、この度のブラームス作品は全く別な曲といっていいほどの明らかな違いに唖然とさせられるのである―そういえばブルックナー/交響曲第1番もそうだった―。演奏表記も異なるが、何といっても規模が異なる―コンパクトにまとめられた改訂版は全1170小節に対し初稿版は1628小節と、約450小節近く違うのである。

 

初稿版 (1854)/494-459-157-518 (小節/各楽章)

現行版 (1889)/289-460-99-322 (小節/各楽章)

 

こうやって見ると、第2楽章スケルツォは大幅な改訂を免れているといってよさそうだ (聴感上もほとんど違いを感じない) 。流石はシューマンをして「スケルツォのヨハネス」と言わしめたブラームスである。

 

僕はこのブログ執筆のために何度も繰り返し初稿版を聞き続けたが、正直なかなか心に入ってこなかった。それは演奏のせいなのだろうか?いや寧ろ、初稿版ゆえだったことに後で気づいた。それは現行版をデュメイやピレシュらによる演奏で聴いたからであった。おそらくはピレシュの意向を尊重しての、ゆったりとしたテンポでロマンティックに奏でられる第1番にすっかり感服してしまったのである―ああは言ったが演奏の質も否定はできまい―。作品の魅力に開眼できた僕は改めて初稿版と向き合った。そしてようやく、独自の得難い魅力に気づくことができたのであった。

 

ブラームス/ピアノ三重奏曲第1番(1889年改訂版)~第1.3楽章。

デュメイ、ピレシュ、ワンの3人が綾なすブラームス。

 

 

第1楽章の冒頭から、細やかな違いが聞こえてくる―しかもそれは甚だ象徴的だったりする。ピアノに先導されてチェロが歌うメロディはまさにロマン派ならではの美しさ。初稿版ではそこにヴァイオリンがまるで装飾句を綾なすように合いの手を入れてくるのである。これはヨアヒムを意識してとの情報があるが、改訂版では削除されていることが意味深である (ヨアヒムではないのかもしれない。だとすると残るのは…) 。さらに音楽が進むにつれ、曲想が二転三転するのも初稿版の特徴―リスナーは暫し翻弄されることになる―。展開部ではベートーヴェン/交響曲第5番に酷似したフレーズが聴こえてくる。そして再現部ではそのフレーズによるフーガが展開するのである。大概はフィナーレの展開部に登場することの多いフーガが第1楽章から、しかも再現部で現れるのは斬新である。コーダでは若い情熱が苦しい胸の内を吐露するかのように激しく終わる。

 

続く第2楽章スケルツォはメンデルスゾーンのそれを思わせる繊細な筆致で細やかに動き回る。中間部はブラームスの有名な変イ長調のワルツOp.39-15のような穏やかさを持つ―どこにも指摘が見られないのが不思議なくらい似ている。

 

キーシンのピアノで。1998年東京公演のアンコールより―。

 

 

第3楽章のアダージョはブラームスの味わい深い緩徐楽章の1つであろう。生涯にわたり、ブラームスの緩徐楽章とスケルツォ楽章はどれも高い完成度を誇り、時代を超越しているかに思える。ブラームスがとりわけ緩徐楽章で多用したピツィカートが、ここでも麗しい効果を発揮しているのを聞き取ることができる。なお、初稿版においては興味深いテーマが用意されている―シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」~「海辺にて」が引用されているのである。後年ブラームスがシューベルト作品の校訂を行うことになるのも偶然ではないのかもしれない。さらに突如としてアレグロに転じる箇所もあり、緩徐楽章ながらドラマティックな印象を受ける。

 

日本語歌詞付き。当時のブラームスの心情を如実に表しているのかも。

 

 

ほぼアタッカで第4楽章フィナーレに入る―こちらも始まりは一緒だが、進むにつれ違いが明白になる。同主短調のロ短調で始まる音楽はどこか不安定な印象。半音階が多用されている点が大きく関わっているに違いない―終楽章における同主短調の扱いにはメンデルスゾーンの先例があった―。この雰囲気はチェロが歌うテーマによって覆させられる。そのテーマこそ、ベートーヴェンの連作歌曲「遥かなる恋人に寄す」の最終曲であり、シューマンが幻想曲Op.17をはじめ数多くの作品に忍ばせた、謂わば「クララへの愛のテーマ」なのである。ブラームスはどういう意図で引用したのだろうか―改訂版で跡形もなくすっかり削除され、新しく書き換えられている意図はどこにあるのだろう?是非それぞれが想像して頂きたい (第1楽章冒頭のテーマとの関わりを指摘する声もある。そうだとすると、初稿版においては冒頭で暗示されたテーマがフィナーレで姿を現すことになり、これまた興味深い) 。さらに曲が進むと今度は明るい舞曲風のフレーズが新たに現れる。これをクララ・ヴィークのテーマと結びつける意見もあるが、僕には感じ取れなかった。これらのテーマと半音階のテーマが交錯し、やがて激烈なコーダが導かれる。テンポが上がり、激情のうちに決然と終結するさまは絶望すら孕む。

 

このアルバムでイッサーリスやベルとは初共演となったピアニスト、ジェレミー・デンクはこの初稿版について「荒唐無稽な脱線のあるロマン派の詩のようだ。後になってブラームスは荒々しさを晴らすために、ベートーヴェンからの引用を隠したかったに違いないと思う」と述べている。イッサーリスも語っていたが、この版には洗練された改訂版では聞くことができない「生々しさ」と「正直さ」が感じられる。フレーズが所々途切れ気味で滑らかさを欠くが、それこそがブラームスの偽らざる心情のリアルさと繋がっているのかもしれない。

 

当盤音源より、全4楽章を―。

 

ベートーヴェン/歌曲集「遥かなる恋人に寄す」Op.98。歌詞付き。

シューマンやブラームスが引用した第6曲は9分40秒辺りから。

 

 

 

 

ブラームスはE.T.A.ホフマンの小説に登場する「クライスラー」と自分とを重ね合わせていた―この初稿版にはその名前で署名がなされている―。僕にはブラームスが、ホフマンを介してシューマンになろうとしていたように思えてならないのである。