斉藤浩美です。
その1の続きです。
時間が経つにつれて、動かない、食事をしない…ただ眠るのみの母。
私は、ただ時間とやつれていく姿を見ているしかありませんでした。
そして…すごく怖かったこと、イライラしていたことを覚えています。
たとえ食事をしなくても、薬は飲ませること。
という病院の指示があり、ただでさえ水分を取ろうとしない母は次第に薬を飲むことも拒否をし始めました。
そして、段々人格も変わっていきます。
『うるさい!』
『向こうに行け!』
『こんな薬効かないっ!』
口に入れれは、薬を出してしまう。
部屋を行き来して落ち着かない。
一日中着替えもせず、顔も洗わない…ただ歩いているだけの状態。
食事の時間が来るたびに私も段々イライラを母にぶつけるようになりました。
"この人がいるから、私は家を離れられない"
目を離すのが怖くて、食事の買い出し以外は、外に出ることも怖かったのです。
家がくつろぎのひと時ではなくて、牢獄のように感じました。
私の中にも"私はここから出ちゃいけないんだ。もう一生このままなんだ"という想いがずっと頭をよぎっていました。
やがて母は"抑うつ"状態になっていきました。
もうこの頃は、食事もできない状態でした。
トイレに歩くこともできずに、赤ちゃんのように這いつくばって行く姿。
そして、間に合わないときの母の天井をずっと見つめる姿は今でも忘れられません。
やがて飲み物も飲まない状態が続き、点滴をしに通院するという事態にまで追い込まれていました。
幸いなことに近くにいた叔母や病院の人、同じ病気を経験した人たちが何かと優しい声を掛けてくださり、家に籠るよりも外に少しでもいた方が気持ちが楽になっていたことを覚えています。
こんな生活が一年近く続きました。
入院退院を繰り返しているとき、私自身『私って何だろう?』と繰り返し思うようになりました。
現実では、家と病院の往復だけの毎日。
このころの楽しみは、月2回のカルチャーと天使のオラクルカードでした。
AURASOMA(TM)の満月まい先生は事情をくみ取ってくださり、根気よく私に教えてくださって、就職の履歴書に書けるようにと資格を取れるようになりました。
また同時にこのころの私はオラクルカードを読む事に夢中になっていました。
そして、説明書がなくても読めるようになるWSが東京の高尾で開催されるとネットで見つけ、母の容態が落ち着いたのを機に、高尾へと学びの扉が開いたのです。