うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

3年にわたる壮絶な介護の後、親から卒業し、
アラフォーにして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

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当Blogにお越しいただき、ありがとうございます。
心と体は繋がっています。
お話を伺いながら、あなたの五感を使って、記憶の図書館(潜在意識=あなたの本心)からのメッセージを解読し、あなたらしくしなやかに生きていくためのお手伝いをしています。


3年にわたるひとりっ子長女(私)と母親との壮絶な介護の記録↓

http://ameblo.jp/symbol-life-fountain117/theme-10101925613.html



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齊藤浩美です。
突然のことですが、皆様にご報告があります。
去る10月に母が他界いたしました。

夕食時に喉に食べ物を詰まらせ低酸素脳症となり、私が病院に駆けつけた時には既に昏睡状態となり、そのまま搬送された病院で息を引き取りました。

その日の夕食前まで元気だった母。

あまりにも突然にこんな形でお別れがくるとは、本当に思いもよりませんでした。

太平洋戦争の混乱期に生まれ、自分の事よりも人を喜ばせたり、育てることに何よりも生きがいを感じていた母。

仕事に家事に忙しい人ではありましたが、家事も工夫して行い、休みの日は大好きな音楽鑑賞や野球観戦と趣味を満喫している姿は、私の中の女性の理想像でした。

ウツ・認知症に悩まされたこの10年間は、それまで働きづめだった母のそばにいることができ、ケンカもすることができました。
今振り返れば、幸せな時間だったのかもしれません。

長寿の時代になり、人生の中で、親が『子供』になり、子供が『親』になる時があると言われています。

いつも親の陰に隠れていた私に『親』という責任や体験をさせてくれたのだなと思います。

告別式の『喪主』としての挨拶に、葬儀は家の次の跡取りとしての最初の挨拶になるのだなと涙ながらに感じたものです。

母にまだまだ教わりたいことがたくさんありました。
行きたい所や食事など、一緒にやりたいことも沢山ありました。
けれど、もう聞くことも、触れることもできないのが本当に残念で悔しくてなりません。

長文になりましたが、生前中の母へのご厚誼に、厚く御礼申し上げます。
私自身、本当に未熟者です。

これからどうなるのかの検討も全くつかないのですが、母のように優しく人を包み込めるような人生を送ることができたらと思います。

今後とも故人同様、ご指導、ご鞭撻いただけますことをお願い申し上げます。

追伸:
お陰様で家族・親戚のみで葬儀の一切を無事に終えることができました。
長らくの母と私の介護記録をご覧くださり、誠にありがとうございました。

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シンボリックセラピストの齋藤浩美です。

今日は、最近自分の中で大切にしたい、忘れたくない言葉をシェアします。


元B’zのベーシスト明石昌夫さんの言葉です。


好きな気持ちが精神を作り、形を作る。

形だけを真似ても、意味がない。


だから、やりたいことをやる。

ただやるだけでなく、伝えたい相手を意識する。


相手を意識しすぎて、やりたいことを加減したり、自分の良いなと思うことを無視しないこと。

ここの加減が難しい。


だから早く行動に移して、たくさん失敗をするのが一番。


失敗しても、昔みたいにお金を失うわけじゃなくて、失うのは自分の時間だけ。


でも、その時間の何百倍もの価値の経験値を得られる。


やってみないとわからないことが、ほとんどだからね。(引用ここまで)


デビューから、ヒットするまでを間近で見ていたからこそ、説得力のある言葉だなと思いました。



彼だけでなく、起業されている方や好きなアーティストのお話を聞く機会に恵まれて、共通して上記のようなことをおっしゃっていました。


経験少ない私には、とても響きました。

待ち続けてるだけじゃ、チャンスはつかめやしない。

忘れたくないのでメモ。


明石昌夫氏のブログ

http://www.music-lovers.co.jp/blog/


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シンボリックセラピスト齋藤浩美です。
先日8月26日は、12星座の最後のうお座の満月月でしたね。
皆さんは、いかがお過ごしだったでしょうか?
私は改めて自分の道具(ツール)であるマルセイユタロットとシンボリックセラピーの事について振り返っていました。
今回は、そんなお話です。

私がこの二つに心惹かれたのは、
うつ認知症を抱えている私のようなひとりっ子長女でも、幸せな人生を送ることができるかもしれない。
という気持ちが学ぶ原点になっているからです。

実際にこのメゾットを学んだ人達は、それぞれ大変な悩みを抱えていました。
そんな中で時間を作って学びに来て、自分で答えを出し、前に進む姿を見ていたからです。

会社で働かないと食べていけない。
親は一緒に暮らして世話をするもの。


という私の狭い固定観念を外せたのも、ここで学んできたからこそでした。
今は、親と離れていることで、お互い元気に暮らすことができています。

以前の私なら、間違いなく親との同居生活しか考えられなかっただろうなと思います。

スピリチュアルを通して『あの人の言葉なら間違いない』と自分の心の声ではなく、人への依存や執着も続けていたかもしれません。

決断の経験の少ない自分が先頭に立って決めたり動くことは、時間は掛る事もあります。

それでも自分で感じたことを実行していくと、後悔は少なくて済むことも段々解ってきました。

マルセイユタロットとシンボリックセラピーが私に教えてくれたのは、
どんな自分になりたいのかを考え、選ぶこと。
そして自分の直観を信じ、行動して検証すること。
自分が幸せな人生を送るためには、これが必要だと言う事です。

こうして文字にしてみると簡単そうに見えますが、自分は解っていなかったのだなと気づかされることも沢山あります。

これからもこの道具を使って、一つひとつ丁寧に自分の人生を送れたらと思います。

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シンボリックセラピスト齋藤浩美です。
前回からの続きです。
父とうまくいかなかった理由・前編~原因が解れば、考え方が変わる。
怖い時もありましたが、いざという時はいじめを受けていた私をかばってくれたり、色々な事を教えてくれる物知りで頼りがいのある父。

それをまたなぜ今頃 滝汗

そう言えば、
いつから私はいつから父を受け入れられないと思ったのだろう?
大好きだった時もあったのに、怖がるようになった理由は何だったのだろう?

と、覚えているようでいない亡き父に対する『?』が出てきました。

ちなみに今回、父の事を見直そうとしたのは、今後の母との関係をより良いものにするためです。
決して嫌いになったわけではありません。

記憶の図書館の本で、私がお父さんを受け入れられない理由を読む




ひよこ(※画像はイメージです。)

狭い家に入れられて、部屋と部屋の仕切りはカーテンだったので、目の届く範囲に家族はいつも一緒にいる。
声が聞こえたり、聞かれたりで落ち着かない。
自分だけの領域(漫画やイラストや音楽、踊り等の創作活動)がなくて、息がつまる。反対する父親には隠れながらなので、息がつまって落ち着かない。

絵を描くことを思いきり否定されて以来、親の目を盗みながらコソコソと続けていました。
ドアの音が聞こえたら、サッと机の中に隠して何もなかったかのように二人の帰りを待っていました。

私がお父さんを怖がる理由



小鳥の啼き声のするおもちゃ(※画像はイメージです。)
プライベートがなくて、デリカシーがない。
肌をくっつけたり、身体をくすぐること。
こちらの気持ちおかまいなく触ってきて、辞めてくれないから気持ち悪い。
いつも一方的で話を聞いてくれないから、一緒にいたくない。
だから、私の意見は言わない方が良い。
おかまいなく怒鳴るから嫌だ。
話を聞いているふりをしていれば、耐えれば、いつかは止むと考えていた。

当時は、インコと文鳥を飼っていました。
羽根が段々伸びてくると、父は切ってしまいます。
当然ながら、うまく飛べなくなるので籠の中に入るしかなく、かわいそうだなと思いました。
それと同時に『父に逆らったら、いけないのだ』という気持ちがありました。

今思えば、どれだけ父の事を怖がっているの~滝汗 とツッコミを入れたくなりますよね。

しかし当時の私の目に写る父は、『絶対的な存在』。
病気の父の言動は、看病している母を傷つけてばかりでした。
病気がそうさせていると解っていても、私には不満だけしかありませんでした。

解読して出てきた答えに、なるほどなと思いました。

今回のように『怖い』と言う気持ちが出てきたと言うことは、いまだにその考えをもっているということ滝汗

どうすれば、父への想いを変えるにはどうすれば良いのか?
質問してみました。

どうすれば、お父さんを怖がらずに済むか?



レモン🍋(※画像はイメージです。)

つるつるしていて、プツプツしているが、触り心地は良い。
身だけでなく、皮ごと全部使える。
一緒にいなくても、物があるだけで思い出したり気持ちが落ち着かないこともあるので、遺品を整理する。
本やレコード、コップなど全部捨てるか売る。
昔の古いお金やお父さんの遺品を全て手放したり、リサイクルショップに回すなどして整理をしていく。

夢を通して感じていたことは、これだったのか!!

ここまで読んで感じたことは、父への想いや考え方を変えたかったのだなと思いました。

大人になって会社勤めを始めたら、何となく親の気持ちが子供の時と違って解ることもあります。

家の片づけをすることで、また何か新しい方向性が見えてきそうだなと思いました。

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シンボリックセラピスト齋藤浩美です。

今朝、久し振りに父の夢を見ました。
今は他界していますが、頼もしくも怖い存在でもあった父。
自分の中では、キチンと父の存在を昇華できているものだと思っていました。

目が覚めた時には『すごく怖い滝汗。目が覚めてよかった』という気持ちだけが残っていました。

私にとって、父は物心ついた時から絶対的な存在。
亭主関白で頼もしいと言えば頼もしいのですが、頑固と言えば子供のようにワガママな所もありました。
例えば、父は毎月のお給料日にケーキを買ってきてくれました。
しかし、父の帰りはいつも私の夕食を食べ終えた後。
当然、お腹いっぱいで食べられない時もありました。
『ケーキは今要らないえー
と私が言ったら…。
父は鬼のような形相子鬼になり、ケーキの入った箱を外に持っていき、勢いよく地面に叩きつけ、見る形もないくらいにグチャッとして捨てたこともありました。
そして、謝るまで口を聞かないという感じになります。

当時は本当に怖くて、母親と一緒に顔色を伺って過ごしていた事もありました。

その後病気になり、母が会社勤めをしながら、父の面倒を看ていました。
段々と小さくなる父の背中。
退職後は家に居るようになり、車に乗ってドライブやゴルフに好きな事をする。
会社帰りの母の送り向かいをしてあげる一面もありましたが、毎日のように怒鳴りつけるなど、家族にとっては落ち着かない日々でした。
耐えられずに母は家を出たこともありました。

怖い部分もありましたが、いざという時はいじめを受けていた私をかばってくれたり、色々な事を教えてくれる物知りで頼りがいのある父。

それをまたなぜ今頃 滝汗ビックリ

そう言えば、
いつから私はいつから父を受け入れられないと思ったのだろう?
大好きだった時もあったのに、怖がるようになった理由は何だったのだろう?


と、覚えているようでいない亡き父に対する『?』が出てきました。

続きます。

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