読書録「天災から日本史を読みなおす」磯田道史 | 隠居ジイサンのへろへろ日誌

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九州北部の街で、愛するカミさんとふたり、ひっそりと暮らしているジイさんの記録

テレビの歴史番組でもおなじみの歴史学者・磯田道史さん(国際日本文化研究センター教授)は、小学生のころから古文書を読み、歴史の舞台になった現地に赴き、歴史を肌で感じてきた「歴史オタク」ということばがぴったりの学者さんです。
磯田さんは、幼少期の被災体験から、日本各地で起きた歴史上の自然災害の研究にも熱心に取り組んでいます。
この著書は、2011年の東日本大震災後、朝日新聞に連載された文章を編集したもの。記録に残る大きな災害の文献を紐解き、歴史学の立場から、自分たちの命と暮らしを守るために今なにをすべきなのかが提言されています。

大きな地震・津波・台風・山崩れなどが、その後の歴史(政治・経済・宗教観・文化)を大きく変えたという事実を数多くの古文書や被災地に残された痕跡・シンボルを示しながら話を展開していきます。いつもながら磯田さんらしい、すごい史料渉猟力と現地取材力です。
 

豊臣秀吉や徳川家康などの有名人も登場します。
一例として、わたしが研究している幕末の時代。ブログでも書いたことがある幕末の肥前佐賀藩と藩主・鍋島直正(閑叟)の話が出てきます。幕末維新で改革の原動力となった薩長土肥の4藩。「肥」は肥前=佐賀藩です。江戸時代後期の佐賀藩は、お隣の福岡藩と交互に長崎港の警護(長崎は幕府直轄地で行政上は長崎奉行が治めていた)を任されていました。外国(オランダ)との交易が唯一認められていた長崎(出島)に近いという地理的利点を活かし、西洋技術を積極的に登用して、江戸時代末期には日本最強の西洋式軍隊を持つようになっていきます。そのきっかけとなったのが「フェートン号事件(イギリス軍艦による騒擾事件で佐賀藩に落ち度があった)」と、日本の台風被害では史上最悪といわれる「シーボルト台風」です。

特に、シーボルト台風では、佐賀・福岡・熊本に挟まれた有明海を直撃した強風と大雨、低気圧による高波浸水により佐賀平野は壊滅的な被害を受けました。その被害復旧のため、佐賀藩では、財政改革(借金踏み倒しと藩主が率先しての倹約と緊縮財政)、有能な人材登用の政治改革、殖産興業、教育改革、最新科学の導入に努めます。その結果が、幕末最強の軍隊と、鍋島直正、大隈重信、江藤新平などの佐賀の七賢人を生みました。

↓ 参考に。

 

そういった大局的な話の一方で、より身近で興味深かったのは、大雨や地震に被災した村人の証言記録や、地域住民が一体となって巨大な堤防を築いたなどの苦闘の記録です。古文書を丁寧に拾い集め、残された史跡を訪ね、くわしく紹介しています。

手をつないでいたわが子が、目の前で津波にさらわれる・・・涙なくしては読めません・・・。
 

「人間は津波に30センチ以上つかると動けなくなり、避難の自由を失う。浸水1メートル以上の津波に巻き込まれると、ほとんどの人が亡くなる(本書161ページ)」といわれています。東北・三陸地方には「津波てんでんこ」という標語があるのだそうです。 「てんでんこ」というのは「てんでんばらばらに」という意味で、津波警報が出たら、他人のことほっぽいてもいい、てんでんばらばらでもいいから、とにかく高い場所に一刻も早く避難しなさいという意味だそうです。

これから人類がそなえるべき3つの天災として、
1 地震・津波などの地学的危機。
2 地球温暖化による台風や集中豪雨の激化による気象学的危機。
3 世界の人的交流の活発化(テロも含めて)に伴う感染症学的危機。
3の感染症学的危機は、この本では扱っていませんが、そのものズバリ「新型コロナウイルス感染症」ですね。
台風も地震も火山噴火も多い国に住んでいるわたしたちにとって、とても役立つ本だと思いました。
能登半島地震に続くのは・・・南海トラフ地震? 富士山噴火?
・・・おっと、また桜島が噴火したようです。