目次
前の話
小5の登校拒否後は
1日も休むことなく登校していたわたし
6年生でもたぶん
1日しか休んでなかったと思う
小学生生活を通して
学校を休むことが多かったわたし
扁桃腺が腫れて熱を出しやすかったりと
身体は弱かった
今よりも
学校を休むということは悪いこと
という時代
小1 入学式 わたしどセンターだ(笑)
わたしが通っていた小学校は
学年で50人弱の2クラス
そのメンバーが
3つの中学校に分けれての進学となり
特にわたしが進んだ中学校は
市内で最も大きい中学校で
1学年9クラスで400人弱の規模
先生方は配慮してくださってたので
小学生時代に仲良くしていた子と
同じクラスにしてくれていたが
クラスのほとんどが知らない子
からのスタート
それに加えて
教科ごとに先生が変わる
部活が始まる
テストの仕組みの変化
給食からお弁当へ
私服から制服へ
などなど
って
これは全員が体験することなのだけど
それらに慣れなくて
そしてわからないことを人に聞けなくて
消耗してしまったわたしが
自分を守るためにとった行動が
『登校拒否』
はじまりは発熱の体調不良
それが治っても行く気がなかったので
仮病作戦
からの
「行きたくない」発言
の流れだったと思う
でも小学生の頃のように長くはなく
2週間くらい休んでまた登校した
中3
その時に
愛知県の明治村への校外学習があり
そのバスの中で担任のK先生が
「日楽さん学校を休んでいたら
勉強も遅れるし、
自分のためにならないから
頑張って学校に来てください」
というような話をされた
それからは
本当に体調が悪い時以外は登校していたが
体調を崩すことは
毎年あったので
皆勤賞なんてとったことはない
友達もできたし
好きな人もできた
部活は小学校からの友達に誘われて
仮入部はバスケ部に入っていたが
校舎周りを何周も走るのが辛すぎて辞めた
わたしには運動部は無理だなーと
美術部に入った
うまく描ける自信はなかったが
運動しなくていい
仮入部に行ったら
デッサンをすることになったが
先輩方は絵の研究ということで
漫画を貸し借りして読んでいた
それを見て
おぉ!学校で漫画が読めるぞ!!
と思い入部した(笑)
しかしその後
好きになった男子がバスケ部所属
というニアミス(笑)
当時は『スラムダンク』が流行っており
わたしは一番仲良かった
Mちゃんに借りて読んだ
Mちゃんには4つほど
年上のお兄ちゃんが居たことから
いろんな情報を教えてもらうことができた
同じくバスケ漫画の
『DEAR BOYS』の存在も教えてもらったし
当時のヒットソング集の
カセットテープを借りて
録音させてもらったりもしたし
中3では高校選びの際の
情報も教えてもらえた
小学校の頃もそうだったが
当時は女の子の間では
『交換日記』が流行っていた
わたしはMちゃんともしていたし
Iちゃんともしていた
内容は恋バナが多かったが
お気に入りの歌詞を書き写したりもしていた
Mちゃんとは帰宅してからも
長電話をしていた
なにがそんなに
おかしかったのかわからないが
『橋が転んでもおかしい年ごろ』
とはまさにこの時代で
ゲラゲラ笑っていたと思う
中3 わたしは1番前の左端 両端はカットしてる
写真をアプリでイラストにした
マンモス校なので
やんちゃな子達もわりといた
男子は制服をボンタンにしたり
短ランにしたり
自転車で廊下を走ったり
先生ともめていた
女子はスカートが短い子も長い子もいた
メイクしていた子は少なかったと思うが
眉を整えている子は居た
その子たちは休み時間
こぞってヘアブラシを持って
トイレの鏡前に行き
髪をセットしていたな〜
おとなしいわたしからしたら
別世界の人たちではあり
ほぼ話すことはなく
何かでからまれたこともあったが
一時のことだったので
そこまで大きな影響はなかった
学校で友達と過ごすことが楽しくなり
たまに休みたくなって
休んでいたような気もするが
連続で休むことはなくなっていた