前の話
ここでのおじちゃんというのは
母の5つほど年上の兄のことだ
おじちゃんは中学の美術教師をへて
画家として生計をたてていた
子どものころから絵を描くのが好きで
戦時中の空を飛ぶ零戦を
鉛筆で手を真っ黒にしながら
スケッチしていたそうだ
わたしの後ろにいるのがおじちゃん
おじちゃんにはわたしと同じ年の娘がいたが
生まれてすぐ位に別居、離婚をした
おじちゃんは長男だったので
母親と同居しており
母親つまりわたしのおばあちゃんと
奥さんの関係がうまくいかなかったのが
離婚理由のようだった
なので
おばあちゃんの家に行くと
おじちゃんに出会う日もあった
おじちゃんはわたしに優しく接してくれた
お正月には毎年おもちゃを
買いに連れて行ってくれた
ひとつだけという約束だったから
わたしはおもちゃ屋さんの中を
グルグルと何周もして悩みまくり
1時間くらいは悩んでいたような気もするが
そんなわたしをニコニコ見守りながら
待っていてくれた
そういえばおじちゃんに
映画を観に連れて行ってもらったり
(たぶん『子猫物語』だった)
京都動物園に連れて行って
もらったこともあった
動物園にはいない
ラッコのパペットを買ってもらったな
そして
帰りの駅の改札でわたしが持つ
ラッコのパペットの手に切符を持たせ
駅員さんに渡すように言った(笑)
そんなおちゃめな人だった
きっと自分の子どもを
わたしに重ねていたのだろうけど
先生をしていたくらいだから
もともと子どもは好きだったのだろう
2002.6.2 わたしの結婚式でのおじちゃん
わたしは勉強も運動も苦手
エレクトーンも続かないし
字もへたくそ
お箸も正しく持てないし
手先が不器用
小学生までは食が細く身体はガリガリ
身体も弱くて
扁桃腺が腫れて高熱を度々出したり
頑固な便秘だったのに
よくおう吐もしていた記憶がある
そんなわたしが描いた絵が小学1年生の秋に
学年代表として市展に出された
その絵は学校で自分たちが育てた
サツマイモ堀りをしている絵
自分を真ん中に両サイドに友達を
ひとりずつ描いた
紙の上部から顔を描き始め
体を描いていった
座った人なんて描けないし
立ったままお芋のある地面に
手が届くように描いたら
手が人間じゃない長さになった(笑)
市展には父と母と3人で
見に行ったような気がする
3人でおでかけなんてとても珍しく
嬉しかった記憶がある
「なんちゅーおかしな絵なんや
この絵のどこがいいんやー?」
と言いながらあきれた感じで笑った
人間じゃない長さの手を見ての
感想をそのまんま言っただけだろう
と今では思うが
当時のわたしはそんな風には思えず
その言葉のまま受け取り
わたしの絵は変なんだとショックを受けた
さぁ母よ
ここでフォローするのだという場面だが
わたしは母がこの時
なんと言ったのかは覚えていない
その代わりというか
わたしの絵が市展に出されるという事が
わかった時点で言ったセリフは覚えている
「お母さんは絵が下手やのに、
ようこのが選ばれたのは
おじちゃんの血が入っているからやね」
今聞くと誤解されそうな言い方ww
絵が学年代表で市展に出ても
わたしは両親から褒めてもらえなかった
のだ
いやきっと母は多少なり誉め言葉を
言ってくれたとは思う
だけど本当に覚えていない
この後も小4で市展、小5の校内展覧会で
賞をもらうことがあったが
これに対しての父のコメントは
全く覚えてないし
母は「うまく描けてるね」
みたいなことは言ってくれた気はするが
その時もまた
「おじちゃんの血が入っているからよ」
は言っていた(苦笑)
オカーン
オメーにも
おじちゃんとおんなじ血が入っとるわっ
オトーン
あんたそれを聞いた小1の
わたしの気持ちを考えたことあるんかっ
2人とも褒められたことが
あまりなかったのだろう
でもわたしは
2人にニコニコになってほしかった
あーなってたのか
あれでも喜んでたのか
えーーーーっ
ちゃうねん
思ってたのと違いすぎる(泣)
わたしはただ
わたしそのものが
愛されてるのだと感じたかったのだ
なのに
当時のわたしには
ダメな子
役立たない子
要らない子
の証拠が増えただけだった