~第11話~わたしは要らない子1 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
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わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語


目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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私の両親は不仲だった

 

 


1970年代の平均初婚年齢を調べたら

男性26.9歳、女性24.2歳とあった

 

 

父31歳、母29歳での結婚だったので

平均より5歳ほど遅い結婚となる

 

当時は今よりも

結婚するのが当たり前の世の中だったし

結婚してない方が

おかしいくらいの時代だったのだろう

 


2人とも親や周囲の人にせかされて

お見合いで妥協して選んだ相手と結婚した

と両親それぞれから話を聞いて思っていた

 


 

こちらにも書いてます

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2人が仲良く話してる姿を

思い出すことはできなすくて

喧嘩をしている姿か

要件だけを話すか

顔を合わさないようにしているか

父が母に強い口調で話しているか

だんまりを決め込んでる母の姿か

そんな場面ばかりが思い出される

 

 

 

 



 

 

 

わたしが幼稚園に

入るか入らないかの頃だった

 

ある夜に2人がなにかで言い争いを始めた

 

父の怒鳴り声

母の抵抗する声

 

 

わたしは泣いた

怖くて泣いた

わたしは2人に喧嘩をやめてほしかった

 

「やめて」

と泣き叫んだと思う

 

いや・・・

「やめて」

と声を出せたのかはあまり覚えていない

 


けれど

2人に喧嘩をやめてほしくて

怖くて

怖くて

怖くて

わたしは泣きまくった


 

でも

2人は喧嘩をやめてくれなかった・・・


 

あー

わたしはなんて無力なのだろう

わたしが泣いても喧嘩は終わらなかった

それでもわたしは泣くしかなかった


 

こんな風にはっきりとどう思ったことを

覚えているわけではないけど

恐怖と自分の無力さを感じていた

感覚は残っている

 

 

その後も何回か喧嘩があったが

喧嘩になっていたのかもわからない


 

母は父を恐れて

自分の本当の気持ちを言えていない

ように見えた


 

続きは次回


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