~第1話~ようこ誕生 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
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わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語


前の話





わたしは要らない子


 

わたしが自分のことを

そう思ったエピソードを

書いていきます





1977年7月20日

わたしは母の実家があった

滋賀県近江八幡市の産院で生まれた



1977年7月24日産院にて母が写す と裏に書いてあった

 



父34歳

母32歳

結婚4年目の夏に

わたしは生まれた




祖母と5つ年上の従兄弟 祖母宅にて

 


両親は初婚

当時としては結婚も出産も遅い



母は何人かとお見合いをした

歳も歳だったので

祖母にせかされていたようだ



母は何人かの男性の中で

漁師の男性のことを

良さそうだな

と思ったらしいが


祖母が

「お義母さんと同居だと苦労する」

と反対した




父は2人の兄が亡くなっていたため

実質は長男だったのだけど

板前になるという夢を叶えるため

九州から単身上阪した後


滋賀で料理店を営む方に誘われ

滋賀に来た人だったので

同居する家族はいない



だから選んだんだ

というような事を母から聞かされた






明治生まれの祖母は

戦後、末っ子の母が2歳頃に

祖父が亡くなった後も

6人の子を育てあげた



髪結をしていたので仕事があり

なんとかなったそうだ



バリバリ働いて6人を育てる

パワフルシンママだったのだろう



母はそんな祖母の娘なのだから

綺麗好きで

ちゃんとしてる人なのだろうと

父は思ったそうだ




生後2ヶ月 祖母宅にて





そんな2人が結婚し

小さな借家で暮らし始めた



父は板前で毎日朝早く夜遅い

もちろん土日祝は仕事だ


きっと完全週休2日ではなかっただろう

それなのに給料は安い



母は専業主婦だった

時々内職をしていたこともあるが

長続きしなかった



11ヶ月 祖母宅にて





わたしには

父と母が仲良くしている姿の記憶がない



喧嘩してるか

話さないようにしてるか

最低限の用事の話をしてるか


わたしと2人の時に

相手の文句や悪口をわたしに聞かせるか



そんな思い出ばかりだ




わたしと父

わたしと母

で笑ったり

楽しかった記憶はあるが


3人で楽しく笑った記憶は出てこない








それは

きっと2人からしたら

この結婚が思い描いてたものとは

大きく違ったからなのだと思う





1歳1ヶ月 祖母宅にて





夫に同居する親族がおらず

しかも親戚は九州や東京で

近くに居ないというのは

日頃の親戚付き合いは楽だろう


仕事で家に居る時間が少ない夫

というのも楽かもしれない



安月給であること

タバコを吸うこと

休みの日も釣りやパチンコなどで

家に居ないこと

母の話をあまり聞こうとしないこと

母のことを否定すること

勝手に母のモノを捨てること

などなどを

わたしは散々聞かされてきた



そしてわたしは

母は父を恐れている

という風に感じていた




1歳1ヶ月 祖母宅にて




父は母のできないところ

文句や愚痴をわたしに言った

家事全般

やりくり

内職

身だしなみ


手先も人付き合いも不器用な母


そして

買い物による浪費

借金

整理整頓できずに

あふれるモノたち



特にこのことに父とわたしは

長年悩まされるのであった




1歳と10日

近江八幡市宮ヶ浜水泳場(琵琶湖) 母と 



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