前の話
わたしは要らない子
わたしが自分のことを
そう思ったエピソードを
書いていきます
1977年7月20日
わたしは母の実家があった
滋賀県近江八幡市の産院で生まれた
1977年7月24日産院にて母が写す と裏に書いてあった
父34歳
母32歳
結婚4年目の夏に
わたしは生まれた
祖母と5つ年上の従兄弟 祖母宅にて
両親は初婚
当時としては結婚も出産も遅い
母は何人かとお見合いをした
歳も歳だったので
祖母にせかされていたようだ
母は何人かの男性の中で
漁師の男性のことを
良さそうだな
と思ったらしいが
祖母が
「お義母さんと同居だと苦労する」
と反対した
父は2人の兄が亡くなっていたため
実質は長男だったのだけど
板前になるという夢を叶えるため
九州から単身上阪した後
滋賀で料理店を営む方に誘われ
滋賀に来た人だったので
同居する家族はいない
だから選んだんだ
というような事を母から聞かされた
明治生まれの祖母は
戦後、末っ子の母が2歳頃に
祖父が亡くなった後も
6人の子を育てあげた
髪結をしていたので仕事があり
なんとかなったそうだ
バリバリ働いて6人を育てる
パワフルシンママだったのだろう
母はそんな祖母の娘なのだから
綺麗好きで
ちゃんとしてる人なのだろうと
父は思ったそうだ
生後2ヶ月 祖母宅にて
そんな2人が結婚し
小さな借家で暮らし始めた
父は板前で毎日朝早く夜遅い
もちろん土日祝は仕事だ
きっと完全週休2日ではなかっただろう
それなのに給料は安い
母は専業主婦だった
時々内職をしていたこともあるが
長続きしなかった
11ヶ月 祖母宅にて
わたしには
父と母が仲良くしている姿の記憶がない
喧嘩してるか
話さないようにしてるか
最低限の用事の話をしてるか
わたしと2人の時に
相手の文句や悪口をわたしに聞かせるか
そんな思い出ばかりだ
わたしと父
わたしと母
で笑ったり
楽しかった記憶はあるが
3人で楽しく笑った記憶は出てこない
それは
きっと2人からしたら
この結婚が思い描いてたものとは
大きく違ったからなのだと思う
夫に同居する親族がおらず
しかも親戚は九州や東京で
近くに居ないというのは
日頃の親戚付き合いは楽だろう
仕事で家に居る時間が少ない夫
というのも楽かもしれない
が
安月給であること
タバコを吸うこと
休みの日も釣りやパチンコなどで
家に居ないこと
母の話をあまり聞こうとしないこと
母のことを否定すること
勝手に母のモノを捨てること
などなどを
わたしは散々聞かされてきた
そしてわたしは
母は父を恐れている
という風に感じていた
1歳1ヶ月 祖母宅にて
父は母のできないところ
文句や愚痴をわたしに言った
家事全般
やりくり
内職
身だしなみ
手先も人付き合いも不器用な母
そして
買い物による浪費
借金
整理整頓できずに
あふれるモノたち
特にこのことに父とわたしは
長年悩まされるのであった