~第12話~わたしは要らない子2 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
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わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語


目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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そんな二人は

それぞれがそれぞれの

悪口をわたしに聞かせた


 

父はわたしに母の文句と愚痴を言い

母はわたしに父の文句と愚痴を言った

 

 

その言動そのものも子どもに対して

しない方がいいものだが


話の内容も

それ子どもに言う話じゃないやろう!!

大人になって思うことも

たくさん聞いてきた

 

 

母からは祖母や兄弟たち、

友達などの昔話

近所や町内の人の話なども

よく聞かされていた

 

 

母にはなんでも話せるような

友人はいなかった

だからわたしが聞き役だった


 

ある意味役に立ってはいたが

わたしは聞くのが嫌だったし

役に立ってると言う感覚はなかった

 

 

物心ついた頃から

そんな感じだったので

わたしはなんとなく感じていた


 

わたしが居ない方がいいんじゃないかな

わたしが居ない方が2人は離婚できて

幸せになれたんじゃないかな


 

いつもどこかにその想いはあった

 

 

 

 




 

 

 

そんなある日父が言った

 

「お前は橋の下に捨てられてたんやで

それをワシが拾ってきたんやで」

 

これは私の世代だと言われたことのある人は多いだろう

きっとわたしが言う事を聞かないようなことがあり

戒めのために言ったのだろう

 

わたしの記憶では父はわたしにこの話を2回している

1回目でわたしはびっくりして泣いた

2回目は何も言わなかったと思う

 

最初は真に受けたと思う

わたしの様子に

父は「ウソやウソ」

と言ったとは思うが

謝ってもらった記憶はない

 

 

大人はこの話をされた子どもは捨てられないためにお利口さんになるという

効果があると思って話すのだろうけど

 

わたしは

「あーやっぱりわたしは居ない方がよかったんだな」

と思った

 

「拾ってこなければよかった」

と思われてると感じたのだ

 

 

でも今思えば

父は怒った感じで言ったというよりは

ちょっと笑ってからかってる感じで言ってたように思う


 







そしてまたある日



今度は母が自分の昔話をした


 

「お母さんとお父さんが喧嘩をして、

 もう離婚しようと思って

 お母さんが実家に帰っているときに

 ようこがお腹にいることが

 わかったから離婚しなかったのよ」

 




 続きは次回

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