目次
前の話
父から「橋の下から拾ってきた」
と言われ
(※戒めのための脅しです)
今度は母から
「お母さんとお父さんが喧嘩をして、
もう離婚しようと思って
お母さんが実家に帰っているときに
ようこがお腹にいることがわかったから
離婚しなかったのよ」
と言われたわたし
これを聞いて
わたしは大泣きした
そして泣きながら
「やっぱりわたしは
要らん子なんやんか!!」
と叫んで
家を飛び出した
小学生だったとは思う
何年生ごろだったのかは覚えてない
けど高学年ではなかったかな
怖がりのわたしは
家を飛び出したけれど
どこか遠くへ行くということもなく
自宅の裏側で一人泣きじゃくっていた
しばらくして母が私を見つけて
「ここに居たのか」
と言ったのは覚えているが
「ごめんね」
とか
「ちがうんだよ」
とか
「悲しませてしまったね」
とか
そういうフォローの類の言葉を
かけてくれた記憶がない
普段から不仲で
ちっとも幸せそうに見えない両親
父とわたし
母とわたしが
楽しく過ごす時間はあったが
2人がわたしのことを愛してくれている
必要としてくれているとは
あまり感じていなかった
そんな中で母から聞かされた
そのエピソードがうすうす感じていた
わたしは要らない子
を裏付けるエピソードとなった
まさにトドメを刺されたのだ
わたしが居なければ
両親は離婚して
今とは違って幸せになれていた
わたしがお腹に来たから
離婚できなくて
今不幸なんだ
わたしが役に立たないから
2人を幸せにできないんだ
この出来事で
わたしは要らない子
がわたしの大前提として確立された
この話は
大人になってからも
母にしたことは何回かあるし
手紙に書いてみたこともある
けれど母は何も言おうとしなかった
だから母の本心は
わからないままなのだけど
その何も言わない
という母の態度すら
わたしが言ってることが正しいから
何も言えないんだと思っていた
わたしが正しいという証拠にしていた
今となれば
母が何も言わなかった理由を
わたしのあまりの形相を恐れたからか
わたしがとても悲しんでいるのが
わかったから
なんて言ったらいいのか
わからなかったのか
そもそもなんでわたしが
泣き叫び、悲しみ、怒ったのかが
わかっていないのか
なんていう風に想像もできるのだが
わたしは29歳でこの話をした
ある人に言われるまで
わたしは要らない子
と信じて疑わなかったし
わたしは要らない子
なのだから
母はわたしに何も言い返せなかったのだ
という自分の答えが正しいし
それしかないと思っていた
29歳の時の話はまだまだ先ですが
その時がきたら書きますね
次の話