~第13話~わたしは要らない子3 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
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わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語


目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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父から「橋の下から拾ってきた」

と言われ

(※戒めのための脅しです)



今度は母から

「お母さんとお父さんが喧嘩をして、

 もう離婚しようと思って

 お母さんが実家に帰っているときに

 ようこがお腹にいることがわかったから

 離婚しなかったのよ」

 


と言われたわたし

 

 

 



生後9日


 

 

 

 

これを聞いて

わたしは大泣きした



 

そして泣きながら

やっぱりわたしは

 要らん子なんやんか!!

と叫んで

家を飛び出した

 

 






小学生だったとは思う

何年生ごろだったのかは覚えてない

 

けど高学年ではなかったかな

 


 

怖がりのわたしは

家を飛び出したけれど

どこか遠くへ行くということもなく

自宅の裏側で一人泣きじゃくっていた

 

 

しばらくして母が私を見つけて

「ここに居たのか」

と言ったのは覚えているが

 

「ごめんね」

とか

「ちがうんだよ」

とか

「悲しませてしまったね」

とか

そういうフォローの類の言葉を

かけてくれた記憶がない

 

 

普段から不仲で

ちっとも幸せそうに見えない両親


 

父とわたし

母とわたしが

楽しく過ごす時間はあったが


 

2人がわたしのことを愛してくれている

必要としてくれているとは

あまり感じていなかった

 

 

そんな中で母から聞かされた

そのエピソードがうすうす感じていた

わたしは要らない子

を裏付けるエピソードとなった

まさにトドメを刺されたのだ

 

 

わたしが居なければ

両親は離婚して

今とは違って幸せになれていた

 


わたしがお腹に来たから

離婚できなくて

今不幸なんだ


 

わたしが役に立たないから

2人を幸せにできないんだ

 


 

この出来事で

わたしは要らない子

がわたしの大前提として確立された











 

この話は

大人になってからも

母にしたことは何回かあるし

手紙に書いてみたこともある

けれど母は何も言おうとしなかった


 

だから母の本心は

わからないままなのだけど

 

 

その何も言わない

という母の態度すら

わたしが言ってることが正しいから

何も言えないんだと思っていた

 

わたしが正しいという証拠にしていた






 

今となれば

母が何も言わなかった理由を

 

わたしのあまりの形相を恐れたからか

 


わたしがとても悲しんでいるのが

わかったから

なんて言ったらいいのか 

わからなかったのか

 


そもそもなんでわたしが

泣き叫び、悲しみ、怒ったのかが

わかっていないのか

 

 

なんていう風に想像もできるのだが

 


 

わたしは29歳でこの話をした

ある人に言われるまで

 

 

わたしは要らない子

と信じて疑わなかったし


 

わたしは要らない子

なのだから


 

母はわたしに何も言い返せなかったのだ

という自分の答えが正しいし

それしかないと思っていた



29歳の時の話はまだまだ先ですが

その時がきたら書きますね


次の話

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