日曜日のラジオと大河に背中を押された話① | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

ご覧いただきありがとうございます

 


 
 
 

 

去年の春から療養病院に入院にている

お母さんの病院から12月30日に電話があり

「いつ急変してもおかしくない状況」

と言われすぐに病院に向かった


 
今はコロナ対策で
原則面会は禁止

着替えの交換は一階受付スタッフに渡し
洗い物をもらうというシステム



しかし
30日は会わせてもらえた


「こんな時期なので申し訳ないですが
 面会は最低限にしてください」
と看護師さんに言われた



最低限
ってなんやろう?


看護師さんの気持ちもわかるし

わたしだって
もしも無自覚で感染してたら…
なんて思うと会いに行くのも怖い




その一方で


「わたしは毎日会うのが最低限です!

 
と言い切れば
それでいいような気もするし…


なんとも難しいなぁと感じていた





病院もお正月休みがあり
その間は正面玄関は閉まり
受付スタッフさんは不在


30日はすでにお休みに入っていたので
電話をして看護師さんが迎えにきてくれ
裏口から出入りした




「面会は最低限にしてください」



それからずっと迷っていたこと


それは
子どもたちをお母さんに会わせること



コロナ対策から見ると
病院に入る人数は
少ないに越したことはない



それに
長男は病棟が嫌い





あれは
8年ほど前だっただろうか

お父さんが入院した時に
最初のお見舞いに長男を連れて行った
のだが

古い病棟と新しい病棟があり
間違えて古い病棟をさまよっている間に
古い暗い感じの病棟で
複数のお年寄りが苦しそうに寝てらっしゃる
姿をたくさん見たのが原因


そうわたしがやらかした…


お父さんの居た病棟は新しく
明るい感じだったのに
わたしが病棟を間違えてしまったために
当時10歳にもなっていない長男は
怖い思いをしたのだ



その後
わたしのお父さんも別のことで
何回か入院したし
同居のお義父さんも入院したけど
なかなかお見舞いに行きたがらなかった



綺麗だと知ってる病院だと
なんとか行けたけど
基本行きたがらない

そんな彼が行ってくれるのか?





また
次男は病棟を怖がってはいないけど
今まで行ったお見舞いの感じとは違う
病院だし実際に見て
どう感じるのかなーとも思っていた




そういえば
前の会社の先輩のお婆さまが
長い間入院されているけど
ずっと一緒に暮らしてきた子どもたちには
お見舞いに行かせていない 

おばあちゃんが変わりすぎて
ショックを受けそうで怖い
と言っていたのを思い出した
 





最低限の面会
コロナのこと
子どもたちのこと


これらを考えてグルグルしていた







1月3日
我が家の新年会をした

毎年この日は新年会
旦那さんの2人のお姉さん家族が帰ってきて
新年会をする


お2人とも県内在住だし
時々帰ってきておられるが
孫たちが多方集まるのはこの日だけ



だけど
今年はコロナ対策として同居の家族
お義父さん、お義母さん
旦那さん、わたし
長男、次男
の6人だけでの開催となった




注文しておいた
お寿司を取りに行く時
お寿司大好き次男がお供をしてくれた



車内は地元ラジオ局FM滋賀を流していた
日曜日の17時代は東京FMから
『NISSAN あ、安部礼司
〜BEYOND THE AVERAGE』
というラジオドラマが放送されている


わたしはラジオっ子だったし
ラジオドラマが好き


安部礼司も車に乗った時に聞くのが楽しみで
久しぶりに耳を傾けていた 




番組後半
お正月の帰省をせずに自宅で過ごす
安部礼司ファミリー


礼司の元に
お父さんがいなくなった
お母さんにも何も言わずに
携帯も置いたままだ
という連絡がきた



すると
安部家のマンションベランダから
多摩川の河川敷にフェンシングの格好を
して立っている人物が見えた


その人物は
安部家の部屋を向いて手を振っている



礼司がその人物の元に近づいて行くと
それはお父さんだった


「お父さんなにしてるの?
 また来年会いに行くのに!」

そのようなことを礼司は言った


ソーシャルディスタンスを保ちながら
お父さんは言った


「また来年を同じように
 迎えられないのではないか
 と考える歳になってきたからなぁ」











わたしのお母さんには
来年のお正月までの命はない
と思う


命がいつ終わりを告げるのかなんて
誰もわからないのは同じだけど


お母さんはかなりの高確率で
来年を迎えられないだろう



安部礼司のお父さんのセリフで
わたしはやっぱり
お母さんに子どもたちを会わせたい
と思った




それと同時に泣き始めた





すると
次男が



「どうしたの?」
わたしの背中に手を置いて聞いてくれた




わたしは

「ずっと迷ってたんやけどな
 やっぱりおばあちゃんに次男と長男の
 顔を見せたいなぁと思った
 会ってくれる?」



次男は手を当てたまま


「うん!病院どこだった?
 〇〇◯市かー
 ちょっと遠いよなー
 でもいいよ!
 なんか緊張するなぁ」


と言った
 
 


 

帰宅後

義両親の居間で

お寿司とすき焼きで新年会


18時過ぎからスタートしたので

旦那さんが

大河ドラマが観たいと言ったので

テレビは"麒麟が来る"が流れていた



信長の本願寺攻めのお話

光秀が謎の病で倒れてしまう


しばらくして光秀は元気になるが

入れ替わるように妻のひろこが

病いの床につき

みんなの願いも虚しく亡くなる

という回だった



ひろこの病を追い払うため

みんなが鬼をやっつける舞を舞うシーンが

印象に残った






わたしが今

お母さんを笑顔にできるとするなら

孫を会わせるくらいだよなぁ



おっとー

大河も

わたしへメッセージをくれたのかいな…







新年会が終わってから

さぁ洗い物をしようかなと

ゴム手袋をはめて

旦那さんを見ると

好きなパチスロ番組を見ていた

ふと

今言おうと思った



わたしはゴム手袋を一旦脱いで置き

旦那さんの元へ行った



お母さん

「今テレビ真剣に観てる?」


お父さん

「ん?なに?」


お母さん

「ずっと迷ってたんやけど 

 やっぱり

 お母さんに子どもらを会わせたいねん

 明日病院に行ってくれる?

 明日病院に聞いてみてからになるけど

 病院に入れなったら

 窓から手を振る形になるかもしれないけど

 それでもいいからしたいねん」


お父さん

「おっおう

 ええけど…

 今言うんやな笑」





それから

キッチンに戻り洗い物を始めた


途中で旦那さんの方を見ると

ソファーで寝落ちしていたww



おっ

さっきのタイミングでバッチリやんか!

旦那さんは寝起きが悪いのですw


テレビ観てくつろいでるのを観て

タイミング違うかなーと思ってたけど


そう言われたけど笑


なんか今言いたいと思って言ったのは

正解だったね




なんか流れがきてるなぁ



また長くなったので

つづく