”【受講報告②】いっぺん死んでみるWS~自分の枠を超えて生きる~ | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


続きです




あなたは誰かと
"死"について語ったことがありますか?

わたしはそうだなぁ

『死にたいと思ったことある?』話を
友達、mamaマス同期、旦那さん、長男
としたことがありますね

わたしは"ある"人です

初めてその話をした時は
"ある"人ばっかりだったと思います
なんだか安心しました

初めて"ない"人に出会った時は
驚きましたね




他には
前の会社でとある先輩が
「死ぬならこっちは全く悪くない状態で
 車に引かれてポックリ逝ったら
 お金をもらえて家族に残せるやん!」
なんて言っておられました


その時は
「なるほどー」
と笑ってましたが


今思えば

•できるだけ苦しみたくない
•ポックリ一瞬で逝きたい
•家族に迷惑かけたくない
•いい人で死にたい
•死ぬのは怖い

こんな風に思っておられることが
想像できますね



受講したのは
『いっぺん死んでみるワークショップ』なので
自分の"死"に向き合う講座なのですが

それは過去自分が誰かの"死"によって
感じたことを振り返ることにもなります





メインのワークで一番最後に残ったもの
わたしが一番大切にしたいものは

『わたしがわたしに生まれてよかった
 ともっと感じたい』

という願いでした


これをやりきれたなぁと思えれば
わたしは死ぬのは怖くはないなと
感じました



じゃあ
『わたしがわたしに生まれてよかった
 ともっと感じたい』

ってどうしたら感じられるのか?

"わたしに生まれてよかった"

と感じられるということは

"わたしを生きた"

と感じられること


"わたしを生きた"

と感じられるということは

"わたしの声を聴いて行動する"

それは
"やりたいことをやる
やりたくないことをやらない"

に行きつきますね

でこの
"やりたいことをやる
やりたくないことをやらない"
のやり方を勘違いしてしまいがちなのですが

そのことをちょうど
仁さんが記事にされてました


どうですか?
怖いですよね? 
ありえへーん
ないわー
ですよね


病気になって体がボロボロになっても
それはないわーと避けてきたこと


自分の中にある
見ようとしてなかったこと


それを

あるってことを認めて
受け入れて
出す

言う 
見せる 
負ける


それは
裸ん坊のわたしに戻ること
それでも大丈夫だと自分を信じること
それをすることで
わたしに丸ごとオッケーが出せる
そして
"わたしに生まれてよかった"
と感じられる

んだと思います

つまり
"わたしに生まれてきたからこその
体験をやりつくす"


それは

安心も不安も
楽しいも苦しいも
嬉しいも悲しいも
大丈夫も怖いも
気持ちいいも気持ち悪いも
痒いも痛いも
幸せも不幸も


白と黒
光と影
の両方を味わうということ


白だけ光だけ受け取りたいけど
それはムーリー

ふたつあるから違いがわかる

ふたつあるからグレーもある


あるものを感じつくそう〜
ってこと


でもこれらを感じるのは
わたしを生きる
と覚悟しなくても感じられますよね


覚悟して生きるのと生きないの差は
なんだろな?
んー
味わい深さ
かな?

より一層美味しくお召し上がりいただけます
でもより一層まずいものもお召し上がり
いただくことになりえます




我ながら変態やと思う

そこそこでえーやんとも思う

でも知らない世界やから
やってみないと分からないから
やるしかない

怖すぎるけどGO

チカラを抜き
頑張りと
我慢を捨て
しっかり闇落ちするような時期が
きてるように思います

そんなタイミングです