三木合戦絵解き(別所氏の菩提寺「法界寺」) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

4月17日(月)

 

この日は東北の「中尊寺」に

日帰り旅行を申し込みしました。

 

が、満席でキャンセル待ち。

その時点んで

チョット意欲が消え失せましたショボーン

 

結局電話は掛かって来ず、

ま、今回は「行くな!!

と言う事でしょうニコ

 

でも、近くでイベントが2つ

開催されてて

 

旅行に行かなく良かった・・ニコニコ

 

イベントその①
 
車で10分程の距離
三木の法界寺で行われた
「三木合戦絵解き」

 

三木合戦とは、

織田家の中国方面司令官・羽柴秀吉が

中国征伐を目的に播磨へ侵攻してきた際、

加古郡の糟谷屋敷で

播磨の主な武将が集まって行われた

「加古川評定(毛利攻めの軍議)」において、

 

三木城主別所長治名代の

別所吉親(長治叔父)

と家老三宅忠治が秀吉と反目し、

合戦となったものです。

 

 

本堂

 

一度参加したかった

「三木合戦絵解き」

 

三木城主 別所長治公の

命日、4月17日に行われています。

 

 

讃岐の百合(もあい)別所家の長善が、

天保12年(1841)に奉納寄進した

「播磨三木城天正中合戦図」

 

現在使われているのは

複写して大きくした絵図

 

手元にコピーも配られました

 

 

住職からのご挨拶

 

 

語り手の生田淳仁氏から、

まずは事前に全体概要説明、 

その後に本番の絵解き。

 

理解しやすいように

現代語に変えて語られます。

 

絵解きの始まった時期については
定かではないが、
 
延宝8年(1680)の100回忌
からではないかと伝えられている。
 
戦物語の絵解きが今も伝承されているのは、
法界寺と
愛知県知多郡の
大御堂寺(おおみどうじ)の
2ヵ所となっている。
 


 
 
 
 
今も「三木の干殺し」と
語り継がれる

羽柴秀吉の兵糧攻め。

 

城兵は、壁に塗りこまれた

藁まで食べたと言われ、

別所公の法要では

藁に見立てたうどんが振舞われます。

 

絵図のアップ目

 
 
降伏した三木城に
羽柴秀吉から酒肴が贈られる
 
23歳の別所長治、別所一族は、
家臣の命と引き換えに自害
 
絵解きは約20分、
全て終了まで40分滞在でした。

 

 

 

参加者には

お供えのお餅が配られましたニコニコ

 

 

絵解きの後
境内にある別所公の
墓所にお参りしました。

 
小学生の頃から何度も聞かされてきた
辞世の句の石碑が有ります
 
別所長治公(23歳)の辞世の句
いまはただうらみもあらじ諸人の命にかわる我が身と思へば
 
「今となっては誰を恨むこともない。
私の命が城兵たちの命の身代わりになると思えば」
 
照子夫人(22歳)の辞世の句

もろともに 消え果つるこそ うれしけれ おくれ先立つ ならひなる世に

 

「あなたと運命を共にするのがとても嬉しい共に逝くのは難しい世なのに」

 
 
別所長治公の墓所
お堂の右は照子夫人の墓所
 

では、次は、

チョットドライブ車ダッシュ

河内長野に向かいます。