第53代、淳和天皇 大原野西嶺上陵(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのえのみささぎ) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

コロナでしばらく休眠していた「天皇陵巡り」 最大の難所、山の上にある天皇陵になかなか行く事が出来なかったのですが「今年中に何とか制覇したい!」 と思い・・・

 

10月25日、雨の中・・・

 

 淳和天皇陵があるお塩山に! 

 

 

時計 14:30、

5㎞の山登り、1時間20分で

天皇陵参道に着!

嬉しいけどもうヘロヘロ (+o+)

 

 

 

時計 14:32、

淳和天皇陵参道を進みましょう

 

 

 

時計 14:33

雨で少し霞んでいます

 

 

宮内庁の制札板

 

 

淳和天皇 大原野西嶺上陵

(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのえのみささぎ)

 

 

30m程進むとさらに石段。

石段を上がると淳和天皇陵です音譜

 

 

 

霞んでいるのがいい雰囲気です音譜

 

陵形は右矢印円丘

 

 

淳和天皇陵

柵の中には入れません

 

 

第53代天皇、淳和天皇右矢印参考

(在位 823年5月29日〈弘仁14年4月16日〉- 833年3月22日〈天長10年2月28日〉)

 

平城京から長岡京および平安京への遷都を行った「桓武天皇」の第七皇子。

 

清原夏野ら良吏の登用を積極的に行い、地方の政治の荒廃を正した。また土地対策を行い、税収の増加に努めた。また、『令義解』や『日本後記』の編纂が行われた。(Web参照)

 

 

淳和上皇自身の意向により火葬され、その遺骨は近臣藤原吉野の手によって大原野の西山(小塩山)山頂付近で散骨されたと言われている。

 

山陵を築く事を禁じられていたため「延喜諸陵式」に陵墓が記されておらず、当地には長らく小石で築かれた円塚のみであったが、幕末の陵墓修復の際、小塩山山頂付近に「大原野西嶺上陵」と称する陵が築かれた。(Web参照)

 

 

 

石標

 

淳和天皇 大原野西嶺上陵

(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのえのみささぎ)

 

 

雨で寂しい天皇陵の雰囲気を

 

 

 

 

 

 

天皇陵巡り、拝所を確認に来るだけですが、達成感はハンパ無いウインク

 

 

御陵印は、2020年4月6日に「桃山陵墓管区事務所」にて頂きました。 

参考右矢印月輪陵墓管理区務所

 

 

 

天皇陵を後に、石段を降ります

 

時計 14:40

ゆっくり気を付けて、滑ると大怪我注意

 

 

参道を戻ります

 

 

時計 14:43

再び、制札板の前!

 

 

機会あれば

晴れた日にもう一度訪問したいです!

 

 

時計 14:45

では帰りましょう・・・。

 

 

 

時計 14:47

帰りは自転車で・・・急坂下りビックリマーク

 

谷底に落ちないように慎重に。

 

 

 

ここで雨が再び本降り雨雨

 

緩い斜面で動画撮影!

濡れたブレーキがキーキー泣いてます。

 

 

他の所はかなりの急坂、よく上って来たな~、我ながら感心しました

 

 

カッパ着てるけど下は汗でぬれた服!

風が冷たくてメチャクチャ寒い~えーん

 

 

 

時計 14:58

チョコっと景色も撮影

 

 

結構怖かったけど

下りは20分で着!

 

でも体が凍えましたショック!

 

自転車を乗って上がって正解!

歩いて降りる元気は残ってません!

 

 

時計 15:04

 

 

 

時計 15:05

セルフタイマーで記念写真

 

降りしきる雨の中、

淳和天皇陵巡りを終えて大満足ウインク

 

 

天皇陵巡り、最後の天皇陵は、下関にある(81代天皇 )「安徳天皇陵」!!

 

今年中に行けるか・・・。