今日(9日)は、
・長谷寺のぼたん祭り
・岡寺
に、1年ぶりの「奈良大和四寺巡礼」に向かいました。
帰る前に、もう一つ立ち寄りたい所があります。
今日は一日中雨。 奈良県桜井市にやって来ました。
ここ、ここに来たかった
箸墓古墳 (はしはかこふん)
奈良県桜井市箸中にある 「前方後円墳」 です。
一説に、ここは
邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓と言う・・・。
現在は、宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されている。
回りは、柵がしてあって中には入れません。
外周道路をぐるりと回って古墳を眺めます。
現状での規模は墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メートルで、前方部は前面幅約130メートル、高さ約16メートルを測る。その体積は約37万立方メートル。
周辺地域の調査結果から、
本来はもう一回り大きかったものと思われる。
墳丘全景(右に前方部、左に後円部) 実際に見て・・・、 チョイと感動しました
この 古墳を卑弥呼の墓 とするその根拠としては、
◆ この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致すること
◆ 後円部にある段構造が前方部で消失することから、前方部が後世に付け加えられた可能性があること
◆ 大規模な古墳の中では、全国でももっとも早い時期に築造されたものであること
などが挙げられているが現時点では正確なことは分からない。
ちなみに魏・晋時代の一里は300歩で魏・晋時代の1里は435.6メートル、1歩はほぼ145センチメートルとなり100余歩は約145メートル強となる。魏志倭人伝の記載を円墳と解釈して形状が異なるとする反対意見もあるが文献的根拠に乏しい。
白石太一郎は「卑弥呼の墓であっても不思議ではない」と述べるのに対し、石野博信は台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
現在ではようやく発掘許可がなされたため実質的調査はまだ始まったばかりである。
(説明文は、ウッキペディア参照)
赤い矢印の所から写真撮影しました。
追伸:
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地と推定される。邪馬台国の中心地に比定する意見もあり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳を持つ。
邪馬台国(やまたいこく)の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、東西約150メートル、南北約100メートルと推定される宮殿エリア内の東側に新たな建物跡(3世紀前半)が見つかり、市教委が6日、発表した。これまでエリア内の中央部分で出土していた卑弥呼(ひみこ)の居館の可能性がある大型建物跡に関連する宮殿施設とみられる