先日のお休みは、
「奈良大和四寺巡礼」 のページを見つけ急遽大和路へ。
・「安部文殊院」 http://ameblo.jp/syenron1/entry-12039541647.html
・女人高野 「室生寺」 http://ameblo.jp/syenron1/entry-12040534837.html
と回り、
お次は、「長谷寺」に
ここは以前に ブログ友達のチイィ & カプチーノ さん の紹介記事を見て
行きたい候補に入れていた所です。
西国三十三所観音霊場の第八番札所。
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山した。とあります。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く240寺程存在する。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。(Web参照)
重要文化財の 「仁王門」
長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。
現在の建物は明治二十七年(1894)の再建。「長谷寺」額字は、後陽成天皇の御宸筆。
今月中は、春季特別拝観で、御本尊の内陣内に入る事が出来ます。
御本尊は、おおよそ12m。このポスターの3倍は有ります
(本尊様の御み足に直接触れご縁を結びください。)
着いたのが、午後4時。 受付で聞くと・・・
なんと御本尊の特別拝観は午後4時まで
*「行かれますか?」
*「ハイ」、その為に来ましたから!」
*「連絡しておきますのですぐどうぞ!」
重要文化財の 「登廊」
平安時代の長歴三年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、
百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれています。
下、中廊は明治二十七年(1894)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。
慌てて「登廊」を上がります。室生寺で700段を往復したばかり、
室生寺よりは緩やかですが、少しキツイぞ~ Y(>_<、)Y
真っすぐ登って、
登廊を上がり切り、本堂に着きました
本堂 (国宝)
小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。正面(内陣)は桁行(間口)の柱間九間、梁間(奥行)同五間、入母屋造本瓦葺で、また礼堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行九間、梁間四間、正面入母屋造本瓦
私達ともう一組が拝観受付、その後終了です。
時間は 4:15
御香で手を清めて、
長谷観音さまとご縁を結んでいただくための「五色線」を左手首に巻いてもらいます。
後は、記念品の「結縁の五色線」
本尊 十一面観世音菩薩立像
像高、10m18cm
開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきました。
現在の御尊像は、室町時代の天文七年(1538)に大仏師運宗らによって造立されました。
実際に拝観すると・・・大きさにビックリ仰天 ( ̄□ ̄;)!!
内陣の御本尊の回りには寺宝の仏像、徳川家の位牌なのが並んでいます。
見応え十分です。
本堂からは、御本尊のお顔が拝めます。(写真撮影禁止、Webより引用)
礼堂 (外陣、らいどう、げじん)
礼堂の南は外舞台で、そのうち五間に三間をさらに前方へ突き出し、高い擬宝珠高欄をめぐらしています。現在の本堂は慶安三年(1650)三代将軍徳川家光公の寄進によって再建されたもので、
平成16年には国宝に指定されています。
「大黒堂」
大和七福神八宝霊場の一つ、『大黒天』が祀られています。
大黒天はインドから伝来した神様で、元々は『マハーカーラ』という恐ろしい形相をした鬼神でした。
しかし日本に伝わる際に、神道の『大国主命(おおくにぬしのみこと)』と習合したことにより、
柔和な福々しい表情になったといわれています。右手に持つ打ち出の小槌は無数の宝物を生み出し、
左手の福袋には金銀財宝がぎっしりと詰め込まれています。また、足元の米俵は五穀豊穣を象徴し、
眷族としてたくさんのねずみを従えています。
「五重塔」
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔。(回りを修復中)
花の寺の名前の通り
今の時期は、境内には至る所に紫陽花が咲いていました。
特に、150種、7000株の春の牡丹が有名との事!
「花の御寺」と言われる「長谷寺」 どの季節に来ても素晴らしい景色が楽しめます。
次は秋の紅葉の時期などに訪問したい所です。
「奈良大和四寺巡礼」
午後5:00、、最後の「岡寺」は時間切れでまた次回に。