竹中半兵衛の墓 & 有馬温泉  (三木市~神戸市北区) | 尚吾の「人生七転び八起き」

尚吾の「人生七転び八起き」

座右の銘「人生七転び八起き」の如く、日々のさまざまな出来事を書き込んでいきます。

バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

播磨の地が舞台。NHK大河ドラマ 「軍師官兵衛」ゆかりの地散策。 第4弾
今回は地元三木



過去のアメーバ記事

① 兵主神社

② 極楽寺 「太閤の腰掛石」

③ 「荘厳寺」

④ 「姥が懐」 軍師官兵衛 生誕の地

志方城跡 「観音寺」

御着城跡 & 黒田家廟所



三木合戦の最中に病死した、秀吉のもう一人の軍師「竹中半半兵衛」

イケメン俳優の谷原章介さんが演じておられます。



自らの死期を悟り、「戦場で死ぬ事こそ武士の本望」と秀吉に懇願して

播磨三木の平井山秀吉本陣に戻り、天正7年(1579年)6月13日、36歳で死去。


死を悲しむ羽柴秀吉 (竹中直人)



場所は、三木城から北西に3km程の位地にある。 平井山 秀吉本陣


平井山にある秀吉本陣跡から見た三木城跡。赤い丸は市役所、赤い→が三木城本丸跡。


          から サゲサゲ↓まで 一帯が 三木城



道路にある標識


田んぼの真ん中にある「竹中半兵衛の墓」。 回りはぶどう畑になっています。


私の小学校の校区内です。遠足でも何度も来た事があります。

普段から、横はcar**何度も通っていますが足を踏み入れるのは久しぶりです。


言うなれば、三木を攻めた、敵の武将なのですが・・・。


羽柴秀吉は、三木城を滅ぼした後、三木の復興に勤め、力を注ぎました。

日本中から大工を呼び集め、その大工の道具を修理する金物鍛冶が盛んになり

今の三木の基盤を作ったと言われています。


そういう功績からも、秀吉が忍んだ「竹中半兵衛」を地元の人々が御祭りして今日に至っています。


ドラマの影響で綺麗に整備されているのでなく、常時この様に綺麗にされています。



先週の放送で、「竹中半兵衛の墓」が紹介され、その影響で多くの方が訪問されていました。





次は、「官兵衛」 ですが・・・、三木城攻めが続く中・・・、

半兵衛の死後、半年。 有岡城に幽閉されていた官兵衛は、無事に助け出されました。


幽閉されていた体の養生の為、「湯の山」 の温泉に温泉  


「湯の山」とは・・・今の、「有馬温泉」です。



官兵衛が療養した「池坊左橘右衛門」の屋敷跡、が今日の放送で紹介されました。

これは知りませんでした。


古文書には、官兵衛は一週間に11回湯に浸かったと記されてます。


秀吉は、戦国時代にこの地に自分専用の「湯殿館」を造り療養したそうです。


太閤の湯殿館  には秀吉が作らせた岩風呂の遺構が展示。



体も癒えて、半兵衛の墓参りをする、官兵衛。



「湯の山」は、三木合戦の最中、戦による負傷者の湯治のために利用され、秀吉本人も、しばしば訪れていました。合戦が終った後も、参勤交代、湯治客にも多く利用され、「湯の山」は大きな湯治場となり、後の有馬温泉に発展。


三木 ~ 淡河 ~ 湯の山 までの道が整備され 「湯の山街道」と呼ばれるようになりました。 

今も、三木には「湯の山街道」の名残がある街並みが残っています。 (町内ですあせる



三木市 HP     兵庫 旅ネット   参照



追伸:


「昔の人は偉かった」・・・、


車も、電車も無い時代。  「湯治に行く」と言っても、歩いて有馬まで、

今なら温泉で療養する前に途中で倒れてしまいます。


東京タワー 江戸まで歩いて行ったのですから。