新日本海フェリーで、半日洋上を見ていた時の事です。

 

・半円を 描く海原 不思議なり 地球は平面 古代の人には

 

・ニュートンは リンゴが落ちるを 不思議がり 引力発見 物理の基礎を

 

・惑星の 動きの様子を 不思議がり コペルニクスは 地動説を

 

・鉄蓋が 動くをワットは 不思議がり 動力発見 近代化へと

 

・不思議がる 心がこの世を 変えて行く 幼児の「何故」に 向き合え親よ

 

・不思議がる 心が創る 近代化 神の領域 侵し始める

 

・便利さを 求めて走る 近代化 同時にそれは パンドラ開ける

 

 

 

 

 

 

共済会投稿

 

 ・晩秋の 野焼きに包まる 常山に 紅蓮の中の 女軍を想う

 

 ・小康の 妻と吉備路の 春を行く 我が腕杖に 桜の海へ

 

 ・藁屋根に 畔には野仏 八塔寺 此処には日本の 原風景が

 

 ・炭塵に 黒く淀んだ 遠賀川 塾有る飯塚 ボタ山の町

麻生塾 1

・青春を 燃やせし学寮 既に無し 「無私」の碑見れば 懐かしき日々が

・炭塵で 黒く淀んだ 遠賀川 塾ある飯塚 ボタ山の町

・新聞は 当時の設立 学校を 昭和の松陰 塾と持ち上げる

 

・ピカピカに 光る廊下に 驚きぬ 入学初日 同期は15人

・日曜は 地下足袋脚絆で 農作業 学・寮無料の 我が母校

・教卓に 三つ指ついて 塾長は 松陰心酔 背筋を伸ばして

 

・二十周年 記念に吉田 元首相 雪駄に葉巻 「無私」の碑揮ごう

・四十年 五百余人を 世に送り 閉校既に 四十余年

・四十年 学寮既に 跡形も 「無私」の碑一つ 我が青春が

・寒稽古 窓開け正座で 開始待つ 粉雪舞い込む 板の間白し

 

・山を消し 海まで消し行く 春の霧 瀬戸の島々 墨絵の如くに

 

・ジリジリと 真夏の太陽 肌を焼く 球児の戦い ルツボの中で

・「神、全てを造り終わりて、甚だ善しと観給いける」

 ・これは、神は全ての創造主であり、善しか創られなかった(実相)。

  悪は創っていないと。悪は存在しないと。病苦は存在しないと。

  悪は有る様にと見えているだけで、実体は無いのであると。

 ・仏教では、是を無常と言う。移り変わるものは実像ではなく、虚像であろと。

  即ち、色即是空と。

 ・引き寄せ結べば柴の庵なり、解けば元の柴成りけり。

 

人間

・「神、人間を神の姿に創り給いて、これに万物を支配し給うのである」

 ・人間は神の子として創られたと。人間は神性であると。だから人間には無限力があると。

 ・ぶっきょうでは、唯我独尊と。即ち仏の子であると。仏性ありと。

 

コトバ

・「初めにコトバあり、コトバは神なりき。万のもの是に寄り成り、是に寄らずして成りたるは無し」

 ・コトバ(発声音・表情・想念)には創化力があると。現象界のものはコトバにて創られると。

 ・仏教では、三界は唯心の所現と。現象界のものは全てコトバにて創られると。

 

病苦

 ・神は善しか創られなかったから、悪は創られていないと。だから病苦は存在しない。アル様に見えているだけの存在である。 

 ・本当に有るものは変化しない。移り変わる、変化するものは虚像であり、実像ではない。実体が無い。本来無いのである。 

 ・苦痛も病気も他の人が創ったのではない。自分が悪いのである。自分が此の病苦を想念し、自分がこの病苦を具象化したので

  ある。神は善一元であるから、悪(病苦)は創られていない。無いものは無い。無いものが有るおうに見えるのは「迷いの    

  心である。夢見る心は夢を見ている間だけアルのであって、夢から覚めたら夢見た心もないし、夢の内容もないのである。病

  苦は無いのである。人間の生命は神より来たるのであるから、人間は健全であるのが本来である。

 ・五蘊皆空と照見し、一切の苦厄を解く。

 

・神が創った、自分の実相は神聖であり、健全であると信じ、現象界を善きコトバを使って、明るく、わくわく、ドキドキの人生  

 を送りたいものです。

 

 

雪祭り  2月5日~10日

 

5日 ・零時から シニア空割 購入と 搭乗手続き スマホでゲット

   ・雪祭り ピリカメノコと 又出会う 少しシャイな子  道産子育ちと

 

6日 ・一年ぶり スキーは今年で 最後かと コツを習えば 魅力にはまる

   ・ビール飲み 最近部下を 亡くしたと 悩める旅人に 人生語る

 

7日 ・港内にも 流氷重なり 山築く 近年稀と 地元の人が

   ・雪原に 小さき足跡 入り混じる 夜の活動 生活の跡が

 

8日 ・海上と 湖上をソリと モービルで スキーにワカサギ 魅力はまだまだ

   ・博識な ガイドの説明 バス旅と 北の魅力に 益々はまる

 

9日 ・流れるが 如きに握る 板前の 写楽の寿司に 舌鼓打つ

   ・寿司つまみ 隣の席の 道産娘に 何時しか昔の 想い出語る

   ・スナックで 一人歌えば 亡き妻が 浮かびて来ては 身に沁み咽ぶ

   ・ススキ野の スナックで演歌 しみじみと 唄えば旅の 余韻があふれる

 

10日 ・博物館 弥永コレクション 蔵の中 生誕百歳 生きてるうちに

   ・外人と コミニケーション スマホなら 気楽に話せる シドニーの人と

 

人生を歩む上で、次の3つの要素は無くてはならない人生の指針だと思っています。

 

1つ目は、自由です。これ程素晴らしいものがあるでしょうか? 

 誰からも束縛されず、縛られず、自分の想う通りに歩める。自分が人生の主人公です。

 「鶏頭となるも牛後となる勿れ」の古語もあります。

 又、自由とは何をしても何処にも何にも衝突する事がないから自由なのです。

 何をしても妨げにならないと言う事は円相の事です。すべては完全円満と言うことです。

 

 

2つ目は、シンプルです。複雑でなく単純そのものの事です。

 二つも三つもあると、どの道を進めばいいかと悩みが生まれます。

 一本道だと何も迷う事はないので、スタスタと歩め、障りも無いので心が伸び伸びとします。

 又、善も悪もあると考える事は二股になり、シンプルでは無くなります。

 即ち善一元程のシンプルは無い事に成ります。ここからもシンプルは善なのです。

 即ち神と言ってもいいかと思います。

 

3つ目は、ワクワクです。ワクワクとは心が浮き浮きする事です。

 即ち感動です。歓びです。「好きこそものの上手なれ」に諺もあります。

 やりたいことをやっている時が一番の幸せなのです。

 心が動くことによって、行動するようになるのです。

 即ち、善い方向にものを動かす原動力となるのです。

 明るい事、感謝する事、即ち、只々歓んでさえいればいいと言う事です。

 

まとめてみると、この世は神が創られた世界であり、

 そして、神は善一元で、完全円満の世界しか創られない筈ですから、

 只々嬉しくて、歓んでさえいれば良いのです。

 何があっても有難いという心境になって、人生を歩んで行きたいものです。

 

 

 

北の大地へ

 2日 居酒屋で 地元の人らと 飲み交わす 旅路の前夜を 舞鶴の地で

 3日 洋上で 船の鼓動で 微睡めば 妻子の事が 淡く優しく

 4日 ウニ買った ばかりに其処で テント張る 今日の走行 30キロと

 5日 新十津川町 十津川豪雨で 奈良を捨て 北の大地で 夢を拓くと

 6日 増毛では 家並み古き 街巡る 明治の匂いと 海鮮丼で

 7日 岸壁で 糸を垂れれば 直ぐガヤが 北の豊饒 天売の海にも

 8日 自転車で 宗谷を目指す 外人と 片言英語で しばし語らう

 9日 ニジマスを 焚火に立てかけ 塩振りて 酒をチビチビ 星天見上げ

10日 頓別で 砂金とヤマメ 洗濯と 過密な一日 雨の合間に

11日 雨の為 天気予報と にらめっこ 結局4泊 音威子府で

12日 肉焼けた 食べませんかと キャンパーが 夜の語らい 焚火と酒で

13日 釣れたての ヤマメにニジマ鱒 天ぷらに 豪雨の中での 酒宴は続く

14日 コテージで 風呂入り洗濯 孫を待つ 是から始まる 楽しき旅が

15日 合羽着て 厚岸目指す シーサイド 靴の中では チャプチャプ水が

16日 さくら鱒 幾度も挑戦 滝越えを いつしか応援 自然の厳しさ

17日 学生に 我が人生と 哲学を 焚火を前に 熱く語りぬ

18日 孫達と 別れ娘と ツーリング 娘の目標 父と仲良くと

19日 函館山 砂州に広がる 街の灯と 漁火煌々 月夜の海を

20日 五稜郭 戊辰の戦 生々しい 共和の建国 夢の又夢

21日 蘭越の あの噴煙が 空高く 神仙沼への パノラマラインで

22日 クッキーで  娘と二人で 激流を 幾度も危機を 櫂と呼吸で

23日 夕食は 刺し身と塩焼き 潮騒で 今日の船釣り 焚火で味わう

24日 60年 前に踊った あのユース クッタラ湖畔の 焚火と歌が

    料理人 付きの網焼き 海鮮で 旅の最後を 締めくくらんと

25日 この痛さ 辛さに 旅終えん 腹部を取り巻く 帯状疱瘡

26日 船上で 旅の余韻を いつもなら 帯状疱疹 痛さばかりが 

    何時の日か バイク4台 北の旅 又走りたし 草蒸す中を 

 

北の旅

・塩振りて ヤマメ焚火に 酒飲めば 揺らめく炎に 流星群が

 

・60年 前に踊った あのユース クッタラ湖畔の 焚火と歌が

 

・反応に ついて行けずに つい寡黙 老いの寂しさ この旅で知る

 

・函館山 砂州に広がる 街の灯が イカ釣り漁火 月夜の海に

 

 

・はじめにコトバあり

 物質発生以前の宇宙と言うものを考えてみると、其処にはもちろん「物質」なるものは存在しなかったのである。

 

そこには、霊がまだ物質的なものと見える如き波動は起こしていなかったのである。即ち真空だったのである。

 

併しそれはただのカラッポではなく、不生の大生命が確固厳然として存在していたのである。

 

 不生の大生命が動き出したのが所謂コトバである。

 

これが「初めにコトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」

 

と新約聖書のヨハネ伝に書かれている処の真理である。

 

ただしこの言葉と言うのは、まだ物質発生以前の「はじめの言葉」であるから、

 

物質発生器官を通して現れて来たコトバではないのである。

 

発生器官に現れる以前のコトバ、即ち想念であったのである。

 

即ち真空と見えている不生の生命が想念によって動的に動き出して波動を起こしたのである。

 

これが「神の心動き出でてコトバとなれば、一切の現象展開して万物成る」である。