11月22日 | Добро пожаловать!

Добро пожаловать!

ありがとう、Dima
あなたの歌は永遠です

Dimaがいなくなって丸2年。

 

昨年の命日はモスクワに行き、彼のお墓に花を供えました。

今年は命日より1週間早くなりましたが、彼の故郷であるクラスノヤルスクに行き、彼のもう1つのお墓に花を供えました。

 

 

クラスノヤルスクへの旅については、後日改めて報告させていただきます。

 

一周忌のあと、私は月命日に彼の思い出をTwitterにあげてきました。

2003年にファンになって以来、ほぼ毎年のように彼の公演を観に行っていたので、それらを振り返ることで彼を偲びました。

 

命日である今日は、こちらのブログで思い出の続きを振り返りたいと思います。

 

2009年は3月にMETで「イル・トロヴァトーレ」、125周年記念ガラでDimaのパフォーマンスを観ることができましたが、同じ年の6月には彼のほうが日本にやってきました。

スミ・ジョーとのデュオ・コンサートです。

 

 

 

※以上の写真はサモンプロモーションよりお借りしました

 

実はこの時期、Dimaは調子が悪く、日本公演の直後にあったゲルギエフとのコンサートでは喉の炎症により声が出なくなり、途中降板するというアクシデントに見舞われています。

 

ちょうどロシア・ポップミュージック界の重鎮、イーゴリ・クルトイ氏とのコラボでポップに進出する時期とも重なり、声のコントロールに苦労していたようでした。

 

また彼自身の声に大きな変化が起こっていた過渡期でもあり、このスミ・ジョーとのコンサートでも、以前のような高音が出なくなっており、コンサートを観た人達からはDimaに【がっかりした】という声まで聞かれました。

 

その後、彼はスランプに陥ったようで、キャリアの終わりも考えた…と、のちにインタビューで語っています。

 

声が出なくなって途中降板したゲルギエフとのコンサートでは、「デーモン」と「シモン・ボッカネグラ」のハイライトを歌うことになっており、Dima自身とても楽しみにしていたようです。

来日前のこちらのインタビュー(日本語)を読んでも、それがわかります。

 

それだけに、このコンサートを途中で降板したというニュースには胸が痛みました。

彼のポップ・ミュージックの活動に対しても非難する言葉を目にするようになり、彼が自分の声の変化と闘っていることもわかっていましたし、一ファンとしてとても辛い時期でした。

 

しかし、ご存知のように彼はその後、見事に復活を遂げています。

 

 

2年…。

Dimaはもうあちらの世界に慣れたでしょうか…。

 

彼は生前、「神も死後の世界も信じていない。死んだら終わり。」と語っていました。

でも、私はそんなことはないと思っています。

彼ほどの人が、「死んだら終わり」なわけがない。

 

私は忘れることはできません。

たとえ、Dimaが「もう忘れてくれ」と言ったとしても…。