12/22。
Dimaが亡くなってまる1ヶ月が経ちました。
この間、私はTwitterで毎日のようにわめきまくり、フォロワーさんに迷惑極まりない存在だったと思います。
1人で悲しみをかみしめればいい。
そろそろ事実を受け止めたほうがいい。
わかってはいるんです。
わかっているんですが、吐き出さないとどうしようもなくつらい。
あれだけ吐き出しても、まだまだ言い足りない。
亡くなってからDimaの歌を毎日聴いている…という人もいます。
羨ましくてたまりません。
だって、私もずっとそんな生活を送っていたんですから…。
彼の歌はいつも幸せをくれました。
彼の笑顔、話す声、ちょっとした仕草、どれも私を魅了しました。
今、それらを写真や映像で目にすると、突きつけられるのは、
この人はもういない
という現実…。
歌も笑顔も話す声も、これからは二度と接することができないという事実。
PCに映る彼の姿に、泣きながら手を伸ばしてしまうこともあります。
どうしても、どうしても受け止められない…。
棺も見たし、遺灰の入った小さな箱も2つ見ました。
お別れのセレモニーも、納骨の様子も見ました。
それでも、どうしても信じられない。
この日が来ることを覚悟はしていました。
正直、年内もつかどうかも難しいと思っていました。
だけど…本当にいなくなってしまうと全然違う!
やっぱり心のどこかで、数パーセントでも希望を持っていたんだなと思います。
身内でもないし知り合いでもないのに、何をそんなにいつまでも悲しんでいるの?バカじゃない?と思われるのもわかってます。
でも、世界中のファンは同じ気持ちです。
私は自分のYTで、何年もDimaのビデオをアップしてきました。
Dimaが亡くなったその日から、私がアップしたビデオはアクセス数が急増し、今年のバースデーに捧げたビデオは2ヶ月で12万回を超えました。
そのビデオをはじめ、昔にアップしたビデオにも多くのコメントが寄せられ、その中には彼らの嘆き・悲痛な叫びが込められたものもあり、それを読む度に「あ~、同じ気持ちの人がいる…!」と心強さをもらっています。
彼がいなくなった事実そのものも、もちろん耐えられない悲しみなのですが、彼が最初から余命宣告を受けていたという事実は、さらに私を苦しめることになりました。
やはり彼が脳腫瘍の診断を受けた2015年6月、最初に診た医師から【余命18ヶ月】と宣告されていたようです。
腫瘍は手術不能のところにあり、あまりにも大きく、発見が遅すぎたことが致命的だったようです。
しかし、化学療法で腫瘍はいったん小さくなり、彼は3ヶ月の休養後METの「イル・トロヴァトーレ」で復帰。
その後のインタビューでも、めまいがなくなり、食欲もある…と、順調に回復していることを話していました。
おそらく、彼もこの時点では病気に勝てると信じていたでしょう。
私たちも信じていました…。
今年の5月末、ペテルブルクの野外ガラで歌った後、転んで肩を脱臼したとのニュースが流れましたが、やはりただの脱臼ではなかったようで、橈骨神経を損傷していたとのこと。
最後に彼の写真が出たのは今年7月末でしたが、右手が力なく垂れ下がり、色も血の気が失せていました。
麻痺により下垂手になっていた可能性があります。
Dimaは2016年12月に肺炎になり、約2ヶ月間入院していましたが、この間に自分がもう長くないことを悟り、色々と考えを巡らしていたのかもしれません。
今思えば、退院したあとにFBにアップしていたものは、昔を思い返すものが多かった…。
故郷に帰りたかったんだろうな…。
ペテルブルクで腕を負傷した後、無謀とも思える6月2日のクラスノヤルスクでのコンサートをこなしたのも、これが最後になることを感じていたからでした。
あの時、彼は最後に"До свидания!"(=ダスヴィダーニャ)と叫びました。
この言葉には、「また会うまで」という意味が込められているといいます。
実際、彼は来年5月にもう一度、クラスノヤルスクでコンサートを行う約束をしていたそうです。
しかし、あのスピーチでの彼の涙を見れば一目瞭然。
彼の気持ちは十分伝わりました。
でも、あの時私たちはそれを認めたくなかったのです…。
そして、彼の最後のステージとなった6月22日のグラーフェネック。
共演したアイーダ・ガリフッリーナがDimaに言われた言葉があります。
「君はスターになるよ。大成功する。これは僕の最後のコンサートだ。」
Dimaは彼女にだけ聴こえるように柔らかく言ったそうです…。
この言葉は本当にたまらなかった・・!
思い出すたびに涙が止まりません!
あの時のDima、一生懸命笑って見せて場を盛り上げようとしていました。
Dimaは知っていたんです、これが最後のステージになることを!
いったいどんな思いでステージに立っていたのか・・・。
彼の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうです。
クラスノヤルスクは故郷で思い入れがあるでしょうが、なぜあの状態でウィーン郊外の野外のガラコンにわざわざ出演したのか…私たちは不思議だったのですが、このコンサートはTV放送されて映像が残ることになっていました。
おそらく、彼は自分の最後のステージを映像に残すチャンスを放棄したくなかったんだと思います。
最後まで病と闘った姿を残しておきたかった…そう思います。
私がDimaのファンになったのは14年前の6月23日。
このグラーフェネックのコンサート収録日が6月22日。
1日違いですが、なんか不思議な感じ。
そして、亡くなったのが11月22日…。たった5か月後…。
Dimaの最後のパフォーマンスの記録は下記のとおりです。
♪オペラ出演 2016年11月29日、ウィーン国立歌劇場「椿姫」のジェルモン。
♪コンサート 2017年6月22日、グラーフェネック音楽祭。
♪録音 2016年夏収録のヴェルディ:「リゴレット」とスヴィリードフ:"Russia Cast Adrift"
Dimaの最後のオペラ、コンサートは映像として残っています。
なお、スヴィリードフの"Russia Cast Adrift"はグラミー賞にノミネートされています。
最後に。
最近、素敵な写真を見つけたので貼っておきます。
はにかんだような笑顔…Dima、よくこんな笑顔してましたね。
こんなに素敵な人がもういないなんて…。
きっと神様がお傍に置いておきたかったのでしょうね。
そう思わないとつらすぎる…。