お別れの会、そして納骨 | Добро пожаловать!

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ありがとう、Dima
あなたの歌は永遠です

11月27日、モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールでDimaのお別れの会が行われました。

 

今のところオンデマンドでまだ見られるようです。

見逃した方でご興味のある方、下記リンクからどうぞ。

約3時間48分あります。

 

Farewell To Dmitri Hvorostovsky

 

これはお葬式ではなく、本当にその名の通り「お別れの会」。

舞台の真ん中にDimaの棺。

下手側に親族ほか、関係者席。

 

スクリーンにはDimaの在りし日の写真がスライドショーで映し出され、時折合唱団による宗教曲も歌われますが、BGMに使われているのはDimaの歌声・・・。

 

もちろん予想された演出ではありますが、これは本当に耐えられなかった・・・。

 

笑顔のDimaの写真、朗々と歌うDimaの声・・・・これらはもう二度と見ること、聴くことができないんですから・・・・・!

 

 

一般市民も献花に多く訪れ、ステージの上に花と祈りを捧げていました。

 

 

会場外の様子も映りましたが、入場規制をするほどの多くの人が列を作り、寒空の中待っているのを見て、Dimaは本当に多くの人に愛されていたのだと、改めて実感しました。

 

セレモニーは粛々と進み、主に政界からの来賓によるスピーチが約10人ほど挟まれました。

 

スピーチはロシア語なので、当然私は何も意味がわからなかったのですが、教えていただいた情報によると、イーゴリ・クルトイ氏(Dimaのポップ・ミュージックデビューに関わった作曲家)が、Dimaに関するある事実を公表したとのこと。

 

Dimaはアメリカの医師から、余命18ヶ月の宣告を受けていた。

 

1年半・・・じゃ、Dimaはそこから1年頑張ったんだ!

・・・初めはそう思いました。

実際クルトイ氏も「余命宣告よりさらに1年持ちこたえた」と、スピーチの中で語っていたそうです。

 

ただ、そうなるとMETのトロヴァの時には、余命宣告を受けていたということになります。

 

あの当時のDimaにはそんな影が見えませんでした。

インタビューでも、ドクターから「あなたは死なない!」と言われたことを語っていましたし、前向きな発言ばかりでした。

 

今、過去のスケジュールを見ていたのですが、少なくとも2016年の北米ツアーまでは好調だったような記憶があります。

 

4月のウィーンでの「仮面舞踏会」。

初日だったか、ラジオ放送で聴いたDimaの声は、珍しく調子が悪く感じました。

 

もしかしたら・・・この頃に余命宣告されていたのか・・・。

だとしたら、そこから18ヶ月・・・ほぼ計算が合うことになります。

 

夏ごろからは、Dimaの笑顔がいつもと違うように感じました。

自然ではない、無理して笑ってる印象を受けたのです。

 

Dima・・・余命宣告を受けてからの毎日、どんな思いで過ごしていたのか・・・・。

それを思うと本当につらいです。

 

話がそれてしまいました・・・・。

 

セレモニーの最後は、親しい人たちが棺に別れを告げました。

この時BGMにかかっていたのは、Dimaが歌う戦争歌の「鶴」

 

死んだ兵士が鶴になって語りかける・・・そういう内容の歌で、日本でもダークダックスなどによって歌われていたそうで、ロシア人に大変愛されている曲です。

 

手拍子の中、Dimaが歌う「鶴」が流れます。

Dima・・・自分の歌で送られることになるなんて・・・・。

 

 

この最後で耐えられなかったのは、なんといっても、Dimaのご両親の姿です。

 

ご両親はステージに現れた時から両脇を抱えられていて、憔悴しきっておられました。

それでも、お父様は気丈に弔問客にご挨拶されており、その姿は痛々しかった。

 

お父様は本当にDimaに似ていらっしゃいます。

お父様の悲しい、お辛い顔はDimaと重なってしまいました。

 

Dimaはお父様がかなえられなかった歌手になる夢を叶え、世界的な評価と人気を得ました。

ご両親にとってDimaは誇りであり、Dimaも最大の親孝行をしたわけです。

 

しかし、最後にDimaは最大の親不孝を犯してしまいました。

ご両親をこんなに悲しませるなんて・・・Dima、ひどすぎる・・・・!

 

 

そして棺は運び出されます。

 

 

Dimaの遺影。いい写真です。

Dima・・・自分で選んだのかな・・・・。

 

 

棺は会場外へ運び出され、車に乗せられて出発しました。

 

 

 

寒い中、Dimaの出棺を見送る人々・・・。

 

 

ここまでの写真は、友人Mちゃんからの提供です。

彼女とは11年前に一緒にロシア旅行をしています。

今回、お別れの会の中継をずっと見てくださっていました。

ありがとう、Mちゃん。

 

 

そして、今日は納骨がありました。

Dimaの遺体はとうとう荼毘に付されました。

 

納骨の様子は下記のページからご覧いただけます。

コムソモリスカヤ・プラヴダ

 

お別れの会では気丈にふるまっていた次女ニーナちゃんも、灰になってしまったDimaに泣き叫んだと書いてありますね・・・。

 

今は遺影を飾った墓標ですが、おそらく後日、石碑になると思われます。

 

 

周りにたくさんの方が眠ってはいますが、見るからに寒いこの時期、あんなところで一人ぼっちなんて・・・Dima、可哀そう。

彼、寒いのは嫌いなのにな・・・・。

 

これからクラスノヤルスクへの納骨も行われることになっています。

 

 

彼の訃報を聞いてからというもの、ずっと泣き続けている毎日ですが、まだ涙は残ってるのかというぐらい、次から次へと泣かされる材料が出てくるのがたまりません。

 

この記事も涙を流しながら書いています。

だから、ちょっと感情的になってしまったかもしれません・・・ごめんなさい。