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シャオ2のブログ

最近は着物と舞台に夢中

さて。

名古屋マチソワで、フォースキャストのテナルディエを全員観ました。

今回、なんでテナだけフォース?と不思議でしたが、ラ・マンチャで駒田さんが早抜けするからなんですね~

そういや2017はじゅんさんが帝劇しか出られなくて、駒田さんとKENTAROさん、大変そうだったもんな。

ま、そんなこんなで6番目は劇中一の悪党・テナルディエです。

 

最初に観たのはKENTAROテナ。

相変わらずのイケおじテナ。歌も一番上手いよね。流石元ジャベ。

宿屋や結婚式ではコミカルな歌と演技を見せてくれますが、それでもどこか凄みのあるKENテナ。

愛想笑いを浮かべて腰を低く見せていても、一癖も二癖もありそうで、実に悪い男だなぁと

彼の一番の見せ場は下水道のシーンだろうな。

世の中を睥睨し、真っ正直に生きる人々を見下して、あえて神に背を向ける生き方を自分で選んだ悪党なんだと、あの短いソロで観客に納得させうるのは、やっぱり歌唱力のなせる業か。

マダムが朴さんだと美男美女の組み合わせになって、更に魅力的。

まだまだテナ続けて欲しいけど、さて、どうでしょうね。

 

次は駒田テナ。

やぱっり安定安心のテナだなぁ、駒田さん。

コミカルな場面をやりながらどこか腹に一物抱えた風体は、貫禄もあって、これぞTheテナルディエ、という印象。

道化を演じながら他人の懐からぼったくって高笑いしてる感じがとてもお似合いの、テナらしいテナでした。

ただ、もうすっかり安定しすぎてて、2017との違いがほとんどなかった(^^;

とはいえ、今年のように冒険してんな~というキャストがいる場合、保険として是非いて欲しい安心キャストです。

 

三番目がじゅんテナ。

2017では帝劇だけで早抜けしちゃったので、どんなテナだったかもうすっかり記憶の彼方だったんですが、観ていて思い出しました。

ああこれこれ!って感じで(笑)

相変わらずお歌は微妙?

いや、KENテナと駒田テナが上手すぎだからそう聞こえるのか?

まあそれはともかく、コミカルな演技はピカ一。それに、お客さんの乗せ方が上手い。御園座では宿屋と結婚式でクラップ起きてたもん。

観客の呼吸をよく分かってるのは、長年新感線の看板の一人としてやってきたキャリアがものを言うんだろうな。

そしてですね、2017で私は

 『下水道のシーン、「この世は生き地獄さ」とテナは歌うんです

 そして最後の「天国見上げても丸い月が見下ろすだけ」

 ここでじゅんテナの声は、おそろしく哀しい

 多分テナルディエ本人は悲哀なんてこれっぽっちも感じてないはず

 むしろ、だから俺は悪事を働くのさと開き直ってる場面だと思います

 けれど、そこにどうしようもない悲哀がにじむのがじゅんテナ

 思えば、じゅんさんってそういう役者なんですよね

 どんな役をしても、その底になんとなしの悲哀、生きていくことへの哀しみが流れる、そういう演技をする役者さんなんです

 だから、悪党であるテナを演じても、やっぱりそういう匂いがある

 例え歌がへたくそでも、私はじゅんテナのそういうところが好き』

と書いたんですけど、今回も同じことを思いました。歌った後、天に向かって吐いたつばが戻ってくる、という演技をじゅんテナはするんですけど、そういうところもいかにもじゅんテナで、哀しいテナだなぁとつくづく思いました。

 

最後が斉藤テナ。

いや、びっくりでした。

何がって、意外と(失礼!)声が綺麗。そして、お上手。

ただ、声量が圧倒的に足りてない。

観たのは御園座2階で、帝劇より音がよく響くと感じたんですが、それに助けられたのか、それなりに聞こえましたけど、マダムが森公美さんだったのもあって、比較するといかにも声が小さい(^^;

そのせいか、女房の尻に完璧に敷かれているちっさい男という印象のテナでしたね~

それはそれでいいんですけど、そうなるとパリの貧民街で悪党を束ねているっていう設定が不思議に思えてくるのがなんとも…

あとね、斉藤さん、大きな劇場や舞台で1000人単位の観客を前にしてどうすればどう見えるか、ってことをあんまり考えてないんじゃないかと。

テナだけじゃなく他の役者さんに比べても体の動きが小さくて、何をしているのかあまり分からないというか、その動きで何を表現したいのかがさっぱり分からないというか……要するに伝わらない。

まあ、テナはコミックリリーフですし、ストーリー的にはコゼットを虐待してたこと、結婚式の場面で実はマリウスを救ったのはバルジャンだってことを伝えれば十分とも言えるので、そんなに文句を言っても仕方ないんでしょうけど

けどやっぱりちゃんと伝わる芝居をして欲しい

話題づくりや賑やかしという点では満点のお仕事をなさったんでしょうが、テナとして満点かと言うと、まったくそんなことはないテナでした。

 

こんな感じでしょうか。

書いてて思ったんですけど、テナってストーリー上の役割はわずかですけど、その存在そのものがバルジャンやジャベール、アンジョやマリウスといったメインキャストの対になっている役柄なんですよね。

なので、それが弱いと物語が綺麗ごとだけになってしまう。

テナが悪党としてその生き方をまざまざと表現するからこそ、バルジャンの素晴らしさやジャベールの正義、アンジョの理想、マリウスの真っ直ぐさが際立つわけで、だからテナはプリンシパルなんですよね。

そう考えると、奥の深い役だなぁと思います。

 

 

 

 

 

レミゼはプリンシパルはトリプル(時にはフォース)キャストです。

地方は前半組・後半組・通し組に分かれて、周ります。

ですので、シングルキャストでは当たり前の一日二公演という日は、どのキャストさんも殆どありません。

が、長い公演期間の間には諸事情あって1回くらいはマチソワ二公演務めることも。

ま、帝劇では本当に滅多になくて、ほぼ地方公演で起こることなんですけどね。

我が最愛の推し・相葉さんも2017では大阪で、今年2019では名古屋で、1回だけマチソワの日がございました。

それが6月8日。

他のプリンシパルは全員入れ替わりですが、相葉さんとアンサンブルさんは固定となる日。

2017の大阪はそれはもう壮絶だったということで、観ないわけにはいかない!と張り切ってチケット取りました。

ただね、御園座、1階席でいい話を殆ど聞かないんですよね。傾斜がほとんどない上入れ子になってないので見えにくい、前に背の高い人がくるとほとんど見えない、といった話ばかりが耳に入ってきまして……

なので、あえてのB席を選択。だって、B席だと確実に2階席ですからね。

 

結果としては大正解。ほとんど傾斜がないという1階とは逆に、2階は適度な傾斜があって、とてもよく見えます。しかも、オケピを使うと1000席に満たないという帝劇よりもコンパクトな劇場だけあって、2階ですら舞台に近い。マチネではあえてオペラグラス使わなかったんですけれど、照明も帝劇より明るいし、なくてもいいくらいしっかりと役者さんたちの仕草が見えました。細かい表情を見たいって方以外はオペラいらない感じです。

更にラッキーなことに、B席でも前方席(マチネは前通路から2列目、ソワレは前通路1列目)でしたので前を遮るものが全くなく、オケピの中まで見えました。

16日にもう一度御園座行くんですが、その時は1階席なのではたして本当に見え辛いのか確かめてきますが、この劇場に限っては2階席が正解なのかもしれません。

 

さて、マチソワの感想です。

とにかく、行ってよかった!ソワレでの相葉さんの熱量が凄まじかったです。

ぐんぐん上がっていく熱が冷めないままソワレに突入した感が凄くて、心の底から震えました。同時に、滅びの予感が常に身辺にまとわり着いているような演技にゾクゾク。

SF的な小説や漫画、アニメやゲームに「ループもの」ってジャンルがあるんですけど、そのループものを観てる気になりましたね。

しかも、相葉アンジョだけがそれを自覚しているループもの。

自分の行動が仲間たちの死を呼び込んでいる、それを知りつつ、それでも「世界に自由を」もたらすためにこうするしかない、みたいな悲壮感が付きまとって、それゆえに余裕がなく、どうすれば打開できるのか焦る気持ちが大きくて大局を見られない、そんなアンジョでしたよ。

今までで一番余裕がなかった感じ。そのアンジョを傍で見ているコンブとクルフェが、理由は分からないけれど支えなくてはと必死になっている印象もあって、学生達の方も引きずられるようにして滅びへの道を疾走していく様が凄まじいカフェミュザンであり、バリケードでした。

アンジョの在り方は学生たちに影響受けてるみたいなことを前に相葉さんが言ってましたが、逆に学生たちもアンジョの在り方に影響を受けてる部分ってあると思うんです。だから、アンジョ役が違うと、学生達も違った反応をするんだと思います。

で、今回のマチソワ、相葉アンジョの熱に相当引きずられてたんじゃないかな。二幕のバリケードでの戦いのシーン見て、そう感じました。

戦いの中で上げる雄叫びやガブが死んだ後の叫び、マチネも熱かったですけど、更に熱かったし悲壮だったように聞こえましたもの。

だからでしょうか、バリケード陥落後、荷車に乗せられたアンジョの死に顔の静謐さがそら恐ろしいと感じました。

生きてバリケードで戦っている時の若さと情熱を迸らせた生々しい表情とは全く違った、静謐そのもののような大理石の彫像めいた端正なうつくしい顔。静かで穏やかささえ感じられるその顔は、殉教者を描いた宗教画のようで、涙がこぼれました。

あの瞬間を永遠に留めておけたならなぁ……

 

さて、他の部分での感想です。

マチネはとにかく「いろはちゃん可愛い」それに尽きました(笑)

久々のいろはコゼだったんですけど、やっぱり可愛い。大好き。

あとね、坂野ガブ、なんかちょっと違うガブだなと思ってましたが、その理由が分かりました。

坂野ガブは小さいけれど戦うことを選択した男の声をしているんだ。学生たちがどう思ってるかはおいといて、坂野ガブ自身は自分や自分と同じくスラム街で暮らしている仲間というか子分だちがよりよい生活ができるように戦うことを選択してあそこにいるんだ、と感じました。

その坂野ガブにとって、市民がこないからとバリケードから追い出されるのは不本意だったでしょう。だから彼は戻ってきた。自分はまだ小さくて戦いの役に立たないことに忸怩たる気持ちがあったから、弾がないとなった時、やっと役に立てる、戦いに貢献できると喜んだことだろう。

だから、バリケードに戻ってきて片手を掲げたあの瞬間の死は、坂野ガブにとっては満足すべきものだったんじゃないかな。

それを受けての「立つのだ仲間よ」であったら、めちゃくちゃ熱いな~と思ったり。

なんとなくですが、坂野ガブは、原作にある「青二才」「クソガキ」みたいなアンジョとのやり取りはしなさそう。

あ、それと。三浦マリがようやく及第点くらいになってました。

御園座はコンパクトな作りだということと歌舞伎をやる劇場だということが合わさって、とても音がよく通る劇場なんですよね。それに助けられた感は否めませんが、ようやく声が前に出始めた感じです。兼ね役での棒立ちもなくなりましたし、これでようやく及第点かな、と。

……2ヶ月ほど遅かったよね(^^;

それと、斉藤テナ初見でしたが、思ってたより綺麗な声でした。結構真面目でした。……演技の勉強、してからの方が良かったと思います。

悪くはないけど良くもない、そんな感じです。まあ、その辺は後ほど……

 

そしてソワレ。

吉原バル・川口ジャベとの組み合わせだと、濱めぐファンテいい!

吉原バルが非常に強いバルなので、濱めぐファンテがいかに強かろうと対比の問題で弱く見える!!!

川口ジャベも内面が強固なジャベなので、濱めぐファンテに何を言われようと動じない分、比較すると弱く見える!!!!!

なるほど、シュガーバルと川口ジャベの組み合わせを本国がNGにしたのは、こういうことなんだな~と納得いたしました。

組み合わせといえば、朴マダムとじゃんテナの組み合わせが素晴らしかった!

今まで朴マダムにはKENテナだと思ってましたが、こっちの方が好み。あと、じゅんさん流石だな~と思ったのは、客の乗せ方がめちゃくちゃ上手い。テナの宿屋の場面やラストの結婚式の場面で手拍子起こるの、じゅんさんくらいじゃないかな。好みが分かれるテナですが、ああいうとこはキャリアがものを言うんだなぁとつくづく思いました。

で、そのじゅんテナと組み合わさると朴マダムのコミカルさが際立つ。KENテナとだと色っぽくて悪い部分がフォーカスされるんですが、じゅんテナだと可愛かったりコミカルだったりする部分が際立つ感じ。これはいいテナ夫婦です。

そして

ソワレの白眉は小南コゼ。元々演技は一番上手いと思ってましたが、最後にやられました。小南コゼは過去を話してくれないパパに分かりやすく腹を立てるし、態度にも出す気の強い娘。傷ついたマリウスに寄りそうにしても、黙ってほほ笑みながら寄り添っていそうないろはコゼや生田コゼと違って、諭したり叱咤したりしそう。

なのに、ラスト、死にかけたバルが「最後の告白を書いた」と手紙を渡すシーンでめちゃくちゃ拒否するんですよ。「私は父じゃない」って言われて、駄々っ子のように首を振ってパパって呼びかける。

それを「仕方ないなぁ」とほほ笑んで、それからマリウスに視線を送る吉原バルと、真正面から受け止めて静かに頷く海宝マリ。

なんなの、あの三人。思い出すだけで涙出るんですけど。

あまりに感動して泣けてきて、カーテンコールではめちゃくちゃ勢いよく立って拍手しまくったくせに、終わった瞬間席にへたり込んでしばらく立てませんでした。

やられたよ、小南ちゃん……

 

というわけで、大満足のマチソワ観劇でした。

他にも学生たちのこととか、海宝マリのこととか、相葉アンジョのこととか、色々書きたいことはあるんですが、長くなるので今日はこの辺で。

また、おいおい書いていきます。

 

 

さて……

帝劇で全員観たトリプルキャストの最後はマリウス。

 

……なんですが、どうも筆が進まない。ていうのは、書きたいことがそれぞれ違いすぎるから。

けどまあ仕方ないよね~ということで、熱量がキャスト毎で随分違いますが、いってみよう!

 

最初に観たのは三浦マリ。プレビューでした。

非常に驚きましたね。いくらプレビューにしても、仕上がってなさ過ぎて!

2階最前列センターブロックの席だったんですけど、全然声が届いてこない。

1階席だとまた違ったのかもしれませんけど、本当に声が響いてこなくて、コゼ・エポとの三重唱のとこなんか聴いててどうしようかと思いました。

届かないといっても、ちゃんと歌は聞こえてましたよ。歌詞も聞き取れるっちゃ、聞き取れる。けど、それだけ。

これはご本人の声質も関係してるので、気の毒な部分もあるのですけど、非常に平面的な声で、一人声が舞台上から前に出てこない。

この例え、分かってもらえるか不安ですけど、レミゼの出演者って、上手い下手・好き嫌いはともかく、アンサンブルさんも含めて多かれ少なかれ、皆、立体的な声なんですよね。

なので、聴いてると歌声が目の前に迫ってくるというか、音の圧に細胞まで震えるというか、そんな感覚を覚えるんですよ。

一番顕著なのは森公美さんかな。森さんが本気で歌うと劇場中の空気までがビリビリ震える感じがする。マダムはそれほど本気の歌唱はないのにそれなので、凄いなぁといつも思ってるんですよね。我が最愛の推し、相葉さんも、今年は相当だと思いますけど、まあ、それは置いといて(笑)

けれど、三浦くんの歌にはそれがない。なんか、マリウス役がどうしても出られなくなったから、マリウスだけ映像で流してます、ってくらい、声が前に出てこない。上手い下手以前に、これってどうなの?と思ってしまいました。

音がとれてるかどうかというと、とれてる?うん、多分。上手いとは思わなかったけど、めちゃくちゃ下手ってこともなかったしね。

声量は、まあ、同じく初役のいろはちゃんはともかく、ふうかちゃんには確実に負けてるよね。たしか、ふうかちゃん、三浦マリの時は相当声量落としてたはず。ソロのオンマイオウンと全然違ったもの。

なので、全然心に響いてこない。あんなに泣けないカフェソング、初めて聴いたわ。

あとね、これは演技経験の浅さと2.5路線でやってきた弊害なんでしょうけど、三浦くんのマリウスへの解釈が全然見えてこない。

彼はマリウスをどういう人間だと思っているのか、どういう心情でその演技をして歌うのか、まるで分からない。

マリウスとして舞台の上で生きてない。

マリウスという役を演じている三浦宏規、が舞台の上にいるだけ。

そんな感じ。三浦マリは、マリウス役には必須のお坊ちゃん感はあったけど、それ以外何もなかった。

だって、三浦マリ、コゼットに恋してないでしょ。恋してたら、あんな平坦な瞳はしてないと思うよ。

学生達からちょっと離れてるのも当然だよね。学生達は名前のある子もそうでない子も、あの時代に生きて自由を夢見て革命しようと必死だったけど、一人だけ二十一世紀に生きてたもん、あの熱量からは取り残されるよね。

演出家の言うとおりの仕草をして、楽譜どおりに歌って、それだけじゃ人の心は動かないよ。

そこのとこ、もうちょっと考えて欲しい。

5月に観たときは少し進歩してたけど、今年はもういいや。

もし、来期があるなら、というかそれを期待しての起用でもあるだろうから、その時はこう思う私を瞠目させてください。

 

 

次に観たのは内藤マリ。

相変わらずの子犬感。いや、2017は小型犬の子犬ちゃんだったけど、大型犬の子犬ちゃんぽくなってたかな。

内藤マリはずっと優柔不断なんですよね。なんていうか流されて気が付いたらABCの学生達の中にいた、って感じ。

なんだかんだ言いながらもコンブに論破されてクルフェにお世話されて、気付いたらアンジョと一緒に箱の上に乗って演説のお手伝いしてました、って感じが凄くリアル。今年はグランがマリを気にかけてることも多かったんだけど、皮肉屋で革命を信じてなくて、ただ信仰してるとまで公言するほど熱愛しているアンジョのためだけにあそこにいるグランも心配するよな。あまりに流されやすすぎて。

その内藤マリが変わるのは、実は砦が落ちて仲間が死んだ時じゃない。バルにコゼットを託された時。それまで子犬ちゃんだった表情が、一瞬で男の顔に変わったんだよね、内藤マリは。多分、あの時初めて、自分じゃない「誰かのために生きること」を決断したんだと思う。

もちろん、砦が落ちて皆が死んで、自分だけ生き残ったことに深く傷ついて悲しんではいた。けれどそれは自分だけ取り残されたことに対する悲しみだったんじゃないかなぁ。

というのも、内藤マリはワンデイモアで「私は戦おう♪」とアンジョの隣に並んだ時点で、戦う意志を固めてるように見えるんだよね。それはもうコゼットはいない、もう会えない、という恋に絶望したことからくる決断だったんだけど、それでもあの時点で彼は戦う意志を固めていた。

それまで流されて生きてきたっぽい内藤マリが初めて自分で決断したことなんじゃないかな、戦うと決めたことは。

なのに、自分だけ生き残ってしまった。なんなら、その自分のためにエポを死なせてしまった。自分の決断は無駄だったんじゃないか。自分は誰かを不幸に、犠牲にするだけの存在じゃないか。そういう後悔と悲しみと絶望が、内藤マリのカフェソングにはあるように思う。

それを癒したのはコゼットの愛だろうけれど、本当の意味で彼を大人にしたのは、「誰かのために生きる」ということだったように感じた瞬間だったなぁ。

学生たちの仲間になったことも、戦うと決めたことも、内藤マリにとっては「誰かのため」ではなかった。流されたか、あるいは「自分のため」でしかないことだった。それに絶望していた内藤マリにとって、「誰かのために生きる」ことは新たな希望であり、その誰かが愛するコゼットであることは何よりの幸福だったんだろう。

ラストシーン、コゼットを抱きしめながらほほ笑む内藤マリを見て、そんな風に感じたのでした。

というわけで、マリコゼは物語の希望を表すカップルだとききますが、私がそれを一番実感できるのは内藤マリです。

(その後、帝劇千穐楽で観て、ますます確信しました)

 

 

最後は海宝マリ。相変わらずの王子様系マリウス。

相葉アンジョと並んだ時の顔面偏差値の高さは今年も一番だったわ。

しかしながら、その役作りというか解釈は2017とは全く違っていて、驚愕でした。

2017ではアンジョとマリウスが学生達の2トップだよね、って感じの頼れるマリウスでしたが、今年は真逆。学生たちが革命とアンジョに熱狂してても、違和感が拭えなくて気付いたら取り残されてる、優柔不断な流されマリウス。

流されマリといえば内藤マリもなんですが、海宝マリの方が依存心が高い感じ。

ファザコンこじらせてボナパルティズムに傾倒したけどコンブに論破されクルフェにお世話してもらったからその二人に依存して学生仲間に入ったはいいけど、革命とか全然考えてなくて、どうしよう僕、みたいなダメダメマリウスだったわ。

これでアンジョがもっと親身になって色々話を聞いてよしよししてくれる人なら、きっとアンジョに依存まっしぐらだったんだと思う。しかし、アンジョは首領だし、仲間として気遣ってはくれても一人特別扱いをしてくれるわけでもない。特に相葉アンジョは自分から皆の世話をするタイプじゃない。逆に皆がお世話したくててぐすねひいてて、それを当たり前と受け取るタイプじゃない?

その過剰なお世話をアンジョが困らないよう、皆が平等になるよう、さばいてるのがコンブとクルフェな気がする2019のABC友の会(笑)

閑話休題

なわけで、アンジョに依存できなくて、けど他に行くとこもないし…でいたら、コゼットに出会って恋に落ちて、一気に恋に依存しちゃったのが海宝マリだった気がする。

だから、「私は戦おう♪」って言いながら、全然戦いに対する覚悟は出来てないし、コゼットいなくなるなら死んじゃっても構わないやってやや自暴自棄になって砦にいる感が凄かった。

エポの死では自分のそういうところがエポを殺したんだって理解して、だから余計にもう死んでもいいってなっちゃったんだろうなぁって。

…書けば書くほどダメダメマリなんだけど、そう感じたんだから仕方ないか。

だから、海宝マリのカフェソングは仲間に死に遅れた後悔じゃなくて、そうやって死にたかったはずの自分だけが生き残った後悔と罪悪感な気がするんですよ。

死んでもいいといいながらコゼへの未練たらたらだったからこそ生き残ってしまった後悔、あんなに未来を夢見ていた仲間たちはその未来を見ることなく無残に散ったのに、自分だけはコゼットと一緒にいられることへの罪悪感。

内藤マリと違って、海宝マリの傷は完全に癒えることはないんだろうなぁ。

彼は一生、その罪悪感と共に生きるんだと思う。バルジャンのように。

しかし、3期目でこれだけ違うマリウス像を出してくるとは、すごいね海宝くん。

きっと毎回毎回、マリウスという人間がどういう人間か、凄く考えてきてるんだと思うんですよ。で、半年近くの公演でそれを深めていく。

その解釈をスッパリ捨てて新しい像を構築するって、相当な決断力と勇気がいりそう。前回が好評であればあるほど、特に。

それをあえてやってのけたあたり、海宝くん、すごいわ。男前だよね。

 

というわけで、今年のマリウス三人。個人的には内藤・海宝の2強って感じでしたね。

地方公演、特に大阪ではその二人で観ることが多いので、これからとても楽しみです。