大加州刀展に行ってきた③  | にちにち散歩

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オタクな二人暮らし主婦のどうでもいい日々。着物のお直しやベランダガーデニング。あとオタ趣味や散歩したことなどを綴ります。筑前国審神者。

 

大加州刀展③ 金沢城編

 

  ル ミュゼ ドゥ アッシュ KANAZAWA

 

じっくり刀を鑑賞していたら、もうお昼前。

近江市場で絶対お寿司を食べたかったため、計画を変更。

先に金沢城を見学してから、遅いお昼を近江市場でとることにしました。

さすがにお腹が空きすぎちゃう……チーン
というわけで、小腹を満たそうと
「ル ミュゼ ドゥ アッシュ KANAZAWA」へ。

 

近くの石川県立美術館にある、石川県出身の有名パティシエ、辻口博啓シェフのお店です。

10年ほど前に来た時は、いっぱいで諦めたんですよね…笑い泣き

なので今回リベンジです。

 
写真は甘酸っぱいラズベリーのチョコの外側と中のピスタチオのムースの組みあわせが絶品。美味しかった!
普段はコーヒー党なのですが、加賀棒茶のフレーバーティーをみつけてセレクト。
リベルテというお茶なのですが、レモンの香りにお茶の苦味がよき~デレデレ
窓際の席だったので、新緑を眺めながらゆったり~。
 
 
 
県立美術館ではちょうど「名刀と刀絵図展」を開催していて、「刀剣乱舞」にも出ている国宝の剣、「国宝《剣 銘 吉光》(白山比咩神社蔵)」が展示されていました。(白山くんね)
ちらっと覗きたかったのですが、今回の旅行は一泊二日。
短い滞在時間で私の希望ばかりを通すわけにもいかないので、今回は白山くんには会わずに、旦那が希望する金沢城へ。
 

 

国立工芸館 

 

散歩がてらに徒歩で金沢城に向かいます。
県立美術館や博物館があった本多の森公園は、名前のとおり、附家老だった本多家の武家屋敷があったところだそうです。
戦後は金沢美術工芸大学の敷地だったそう。
それが縁で東京にあった国立工芸館が移転してきたのでしょうか。
 
写真は、博物館から美術館に移動する途中にあった国立工芸館。
なんとこの外観で移転は2020年!? ポーン
 
レトロな理由は、有形文化財の旧陸軍第九師団司令部庁舎(南東側)と旧陸軍金沢偕行社(北西側)の二つの建物を移設してきて再利用したからです。
 
 
 
新緑の季節。
金沢城へ向かう道のかたわらには、名もなき花が咲いています。
 

 

  金沢城公園

 

前回来た時は修理中で入れなかった金沢城公園。
加賀百万石にふさわしい広大な敷地を誇る城跡ですが、残念ながら天守閣は慶長七年の落雷で焼失してしまいました。
幕府に睨まれるので再建はならず。
代わりに三層櫓を建てたそうです。
 
何度も火災に見舞われた加賀藩の本丸御殿。
ご一新以降は陸軍歩兵第7連隊が駐留していましたが、明治七年の失火で一部を残してほぼ焼失してしまいました。
 
木造の建物は本当に火に弱い……真顔
 
金沢は第二次世界大戦中、空襲にも合わなかったらしいので、明治の火事で失われなかったら、今も壮麗な姿を見せてくれていたことでしょう。
ああ、なんともったいない……笑い泣き
 
戦後は陸軍の庁舎を利用して、平成七年まで金沢大学のキャンパスになっていたそう。
お城で学べるなんて素敵ですね。
 
 
 
百万石通りにある川口門跡
階段は遺っているのですが、今は封じられたまま。
 
 
 
有名な石川門
旧国宝だそうです。
大学の正門もこちらだったそう。
 
 

石垣、すごくきっちりと組まれていますね。

この美しい人工的な石垣は、「切り石組」と呼ばれる手法だそうです。
比叡山延暦寺近郊の有名な石工職人『穴太(あのう)衆』を、初代利家が引っ張ってきて石垣づくりをさせたそうです。(※金沢では『穴生衆』と書くそうです)
 
前田家お抱えとなった彼らは、この広大な城を舞台に自分たちの熟練の技と美意識で、様々な石垣を組み上げました。
特にデザイン性がある石垣のことを『数寄の石垣』と呼ぶそうです。

 

鶴丸倉庫 

 

明治の失火で焼け残った3つの建物の内の一つがこちらの鶴丸倉庫。重要文化財です。
幕末に建てられた武具土蔵でした。
明治以降は被服庫として利用されていたようです。
中に入れるようだったので、立ち寄ってみました。
 
 
 
二階に向かうこの階段。
段差が一定ではありません。
これは陸軍が使用するにあたり、階段の急勾配を調整するため板を張ったからだそうです。
お城の階段とか、奥行きないし、めっちゃ急ですもんね。
物を運ぶのに適さない。
 
 
階段を上がるとベンチが並んでいました。
結構広い。
 
 
その④に続きます。