大加州刀展に行ってきた② | にちにち散歩

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オタクな二人暮らし主婦のどうでもいい日々。着物のお直しやベランダガーデニング。あとオタ趣味や散歩したことなどを綴ります。筑前国審神者。

 

 

大加州刀展に行ってきた② 大加州刀展編

 金曜夜のしらさぎで、名古屋から三時間。

 金沢までやって来ました、2日目です。

 

 

 泊まったトリフィードホテル金沢の朝食、口コミ見るとめっちゃ美味しそう~デレデレ

 

 

 

しかし今回のメインは大加州刀展。

胃腸が弱い夫が動けなくなるので、量の多いホテルの朝食は諦めて、今回はパン屋さんのイートインで簡単に済ませました。

 

金沢駅にあるショッピングモール、金沢百番街にある、「金沢ジャーマンベーカリー」パン

老舗のパン屋さんですが、現在は山崎パンの子会社。

 

写真忘れちゃったのですが、新商品のふわふわ枝豆チーズパンをコーヒーと一緒に頂きました。

朝の7時から営業しています。

サンドイッチや焼きたてのピザも美味しそうだった~ニヤニヤラブラブ

 

 

 

  北鉄バスの一日乗車券

 

さて、ホテルに荷物を預けてバス停へ。

バスの一日乗車券はホテルのフロントで販売してました。便利!

金沢市内を走る北鉄バスは独自のICカードを使っていて交通系ICカード全国相互利用サービスの範囲外。(2202年5月現在)

何度か乗り降りするなら、観光施設の割引もあるこちらが便利。

トリフィートホテル以外でも、フロントで扱っているホテルは多いよう。

 

 

さていよいよ、大加州刀展へ。

バスで石川県立歴史博物館へ向かいます。

博物館のサイトを見ると東口のバスターミナルから乗って、こちらのバス停で降りるようです。

 

 

 

JR金沢駅兼六園口(東口)

 

出羽町 下車        徒歩約5分

広坂・21世紀美術館 下車   徒歩約8分

 

 

兼六園行きに乗ればどっちも止まりますが、めっちゃ並んでいたので空いているこちらの乗り場へ。

こちらのバスだと本多町に止まります。

グーグルマップを見ていて気が付きました。

直線距離だと、本多町のバス停の方が近くない???

 

 

 

 

  なぜ本多町のバス停は博物館サイトに載っていないのか???

 

本多町で降りてみて、よ~~~くわかりました……。

 

 

 

山越えやん!!チーン

 

山頂の方では展望台もあり、雨上がりの金沢城下が一望できます……

いやぁ~、清々しい景色やなあ~笑い泣き

 

 

登りきってからも歩いたので、かなり足にきました……。

20分くらい歩いた???

なぜ21世紀美術館前で降りなかった……ゲロー

公式の案内には従いましょう。

 

  いざ大加州刀展へ

ようやく石川県立歴史博物館へ。

レンガ造りの元陸軍兵器庫。

レトロで素敵ですね。

 

 

同じ建物が三棟並んでいるのですが、その一つが加賀本多博物館

加賀の本多家といったら、百万石の外様大名を見張るために、徳川家から送り込まれた目付家老。

家康腹心の本多正信の次男政重のお家です。

甲冑や刀剣も展示されているらしいのですが、今回は時間がないのでスルー。

 

 

踊り場のある、ロマンチックな両階段。

建物内もクラシックで素敵ですね。

そうそう、構内は電波が死んでいました……。ゲロー

電子チケット組は、建物に入る前にご準備を。

あと、解説は事前にアプリで取っておかないと聞けません。

イヤホン忘れてしまうと泣くに泣けない!笑い泣き

 

なんと展示物は写真撮影出来ます。

 

こちらの博物館は太っ腹ですね~~~!!

ただし以下の行為は禁止されています。

 

○ネットに上げるのは不可!

○フラッシュ不可! 

○動画不可! 


私もいっぱい撮らせて頂きました、ありがとうございます。

 

 

 そもそも加州刀とは何?真顔 

 

パンフレットによると、加州、即ち加賀の地で鍛えられた刀のこと。

 

合戦に明け暮れた武士の世。

刀が無いと戦えませんから、自国に刀工を揃えて作刀させるってことは非常に大事なことだったんですね。

加賀国でも南北朝の昔から、在地の武家達は刀工を大事にしてきました。
金沢城に入った前田家も当然、加州在住の刀工達を藩のお抱えにして手厚く保護します。

とくに他国からも刀工を呼び寄せた、前田家二代の利長。

鍛冶町を作って屋敷地を与えた三代利常の功績で、江戸初期に加州刀は全盛を極めました。

 

しかし平和の時代が続いたことでの需要の減少や、藩の財政難によって、加州刀は衰退していきます。

鍛冶屋職人を集めた鍛冶町も、刀工は二軒まで減ってしまいました。生活に困窮し、貧民救済用の施設に入居する刀工も出ました。

 

幕末に再度需要が高まり活況を呈しますが、それは時代の生んだ徒花のようなもの。

明治に入り武士の時代は終焉を迎え、刀は役割を終え、刀工達は転職を余儀なくされたのです。

 

  加州刀の刀工達

展覧会に出てくる、加州刀の有名どころをざっくりと。

 

○加州最古の刀工 真景 

 越中の則重という、鎌倉時代の刀工の門人らしい。

 現在、彼の鍛えた短刀が加州住の刀工の作品で一番古い。

 何代続いたか、伝承も本当なのか、全てがミステリアス。

 

○藤島友重 

 来国俊(山城伝)門人といわれている、越前からの移住者。

 しかし来派っぽい作風ではなく、なぜか大和伝風。

 守護大名だった富樫氏のお抱え刀工で、泉村に在住し『泉鍛冶』と呼ばれた。

 その後、江戸初期の7代まで数えられる。

 

○加州清光

 藤島友重の弟の行光(泉村在住)の孫が初代。つまり分家。

 三代目が前田家のお抱え刀工となり、幕末まで続いた。藩政が傾いてからは困窮し、六代目長兵衛清光は非人小屋(貧民や災害被害者向けの藩営住宅)で鍛刀して『非人清光』と呼ばれた。

 沖田総司が池田屋で折った清光は、名工だった六代目清光の刀。

 細川忠興が太閤秀次にしつこく何度もねだられても絶許し、息子が欲しがっても嫌がって渡さず、ついに孫に譲った時には「これで余は男じゃなくなった……笑い泣き」と涙したと言われる、愛刀『浮股』を作った加州信長は、行光の弟子です。

 

○家次(加賀青江)

 応仁の乱辺りに活躍した。元祖の国次は越前千代鶴の流れで、    家次の時に加賀橋爪に移り、『橋爪もの』と呼ばれる。

 黒みがかった澄肌風の地肌が、備中青江の作と似ていることから加賀青江と呼ばれた。

 澄肌とは、地肌に斑点みたいなのが出るものらしい。

 

○陀羅尼派

 加賀刀工の最大派閥。

 陀羅尼の秘咒を唱えて作刀し、銘にも陀羅尼と刻む。

 橋爪系をルーツにもち、室町時代の勝家が祖。

 新刀期(江戸時代初期~中期)の初代橘勝国は多様な刃紋で、『加賀随一』と呼ばれた。

 家重、家忠、家平、吉家と、多くの名工を出し、勝国は幕末まで続いた。

 なにゆえ陀羅尼なのか? それは謎に包まれているらしい。

 

 

○兼若(加賀正宗)

 利長が美濃から引っ張ってきた刀工。華やかな刃文で人気をかっさらい、加州刀を全国区にした。

 お家芸の箱乱は三代目から。五代目まで名が残るが五代目の刀は見つかっていない。

 他にも美濃から移ってきた刀工は兼春、兼則がいる。

 

 

   ニトロ清光

 

『加州清光』はゲーム開始直後に五振りの中から選ぶ、「はじまりの一振り」(審神者は初期刀とも呼ぶ)。

公式の設定文から引くと、『貧しい環境で生まれたせいか、綺麗にしていれば主に可愛がってもらえると思っている』、沖田総司の愛刀です。

六代目の非人清光の作とされるこの刀は、池田屋に折れた後、修復不可能となり行方不明になっています。

 

今回、制作会社のニトロプラスが所有する、加州清光の刀も展示されていました。

直刃を得意とする六代目の典型作だそう。

清光が初期刀の審神者としては、感慨深いものがあります。

 

 

 中切先

 

刀剣に一番多い切先の形だそう。

平安時代は小さいものが主流でしたが、時代が下るに連れて大きくなっていきます。中切先は、鎌倉時代以降のごく一般的な造りです。

帽子が折れたということなので、池田屋の清光はおそらくこの部分が無くなっちゃったんでしょうね……。

 

 鎬造り 

 

刃と棟の間を走っている線のことを鎬と呼びます。

これもまたよくある造りです。

 

 庵棟  四種類ある刀の棟の一つ。

 

断面の形状で見分けます。

庵棟は断面の頂点が鋭角になっています。

細長い六角形ですね。

 

 

地 小板目肌 よくつみ杢目交じる

刀をじーっと見ていると、細かい模様が入っているのが見えることがあります。

これが地鉄とか地肌と呼ばれるものです。

板目は、板のような模様のこと。

小板目とあるので、模様が小さいのでしょう。

杢目は年輪みたいな模様。

 

つまり小さい板目模様に、年輪の形が交じっている

 

 

刃文 中直刃小沸出来、匂口締りごころに明るく冴える

 

もはや呪文笑い泣き

でも頑張って解読します。

 

刃文の解説文は以下の3つについて書かれています。

 

①刃文の種類

②沸か匂か? 

③匂口の印象

 

『刃文』は刃先に浮かぶ白い波模様のこと。

焼きを入れることで出来る模様です。

 

どうして白い模様が見えるのでしょう?

それは焼入れで刃先の表面に小さな粒状の凹凸が出来て、その粒に光が反射するからです。

この小さな粒の大きさが、目に見えるほど大きいものが沸で、見えない細かなものが匂になります。

 

匂口というのは刃紋の境界線のこと。

これがはっきりしているのか、ふんわりしているのか、それともボケているのか?

美しさだけではなく、切れ味にも関わるようです。

 

さてニトロ清光の刃紋はどんな感じかな?

 

中直刃は、刃紋がまっすぐな直刃の中で、ちょっと幅広のもの。

小沸というのは匂ほどじゃないけど、沸よりはちっちゃめな粒。

 

そして匂口締りごころに明るく冴える……

 

匂口締り、というのは匂口の幅が細めで、たるみがなくくっきり見えること。

これにはっきり鮮明に見えるという意味の、明るく冴えるを加えるのは、褒め言葉だそうです。

 

つまりニトロ清光は、形としてはオーソドックス。

小板目肌は良質の地鉄を使っていた証拠らしいので、いい地鉄を使っている。

材料は藩から提供されたんでしょうね。

直刃は技量が求められるそう。

 

兼若や陀羅尼系の華やかな刃文が流行っていた新刀期に、あえてキュッと締まって冴えわたる直刃の刀を、非人小屋で鍛える名工六代加州清光……。

 

実戦刀としては癖があり、決して誰でも使える刀ではなかった加州清光の刀。

 

二百年後、彼の刀は剣の天才であった沖田総司に見出され、華々しく池田屋で散ったわけです。

沖田総司を守りきった刀として……。

超エモくないですか?デレデレ

 

 
 

 

最後はコラボの等身大パネルです。

清光は、真ん中の赤いマフラーをつけた少年。

両脇は前田家由縁の刀剣のキャラクターです。

 

この日は午前中が雨だったせいか、土曜日でしたが展示会場もグッズ販売会場も、そんなに人が多くなく、スムーズでした。

 
その③兼六園に続きます。