真言宗に伝わる、人を天才にするという秘法です。

その行法としては、まず、金星を凝視しながら、本尊の印を結び、本尊の真言を100万遍唱えるのです。50日または、100日で読誦するのですが、結願の日は、日蝕または、月蝕の日でなければなりません。

真言宗の口伝です。非常に、簡単ですが、しかし、ここに重大な秘密が隠されています。

この秘密を解かないと、成就できません。 ※ほとんどの僧侶が失敗しています。


求聞持聡明法は、原始仏教と関係があるのです。

伝説では、釈尊は、教団で、優れた弟子たちに、ある特殊な修行法を教えておられたようです。
それは、「三つの明知を獲得する法」とよばれていたようです。
この法が、大乗仏教に流出し、最後に密教の求聞持聡明法になったのではないかと思われます。

さらに、求聞持聡明法は、原始仏教 阿含経に書かれている、最高の瞑想法「安那般那念法」と、密接な関係があるのです。

弘法大師空海さまは、中国で、これらの秘密を解いたものと思われます。ですから、空海さまが、求聞持聡明法を完全に成就されたのは、中国に留学されてからではないかと思われます。


求聞持聡明法は、まず、安那般那念法の初段階の呼吸法をマスターしていくことから始まるのです。この法は、秘伝なのですが、実は、ヨーガのマニュピューラ チャクラ覚醒法なのです。そこから、順次、段階を経て、上級のチャクラを覚醒させていくのです。このとき、気(プラーナ、霊気)をめぐらせる、身体のルートが大事になってきます。

 

ところが、ヨーガには、この詳しい解説が無いのです。しかし、道教の導引気功法には、経絡(けいらく)という経穴(けいけつ、ツボ)を含めたルートがあって、この経絡、経穴を把握しながら、プラーナをめぐらせていくのです。

 


真言を100万遍唱える秘密のヒントも書かれています。


この求聞持聡明法は、人類を悟りに導き、人類を進化させる法なのです。是非、実地体験されることをお勧めします。

 

虚空蔵菩薩真言 ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ

 

 

以前、虚空蔵菩薩真言を唱えたCDを知人がどこかで購入したものを聞かせて頂いたのですが、素人が唱えたCDのようでした。きちんとした修行法の書かれた、書籍、CDでなければ、効果はありません。きちんと僧籍があり、正しい修行法を知っている者に伝授してもらって下さい。

 

私が調べたところ、以下の書籍、CDがきちんとした修行法が述べられています。

他はありませんでした。

 

 

①書籍

 

「般若心経の霊妙力」 ※チャクラ開発には、これ以外良い本はない。

「求聞持聡明法秘伝」 ※なかなか良いが、著者は私は、あまり好きではありません。

 

②CD

 

「第三の眼CD」 ※これは、抜群良いでしょう。第3の目を覚醒させるのにこれ以上のものはない。

            最近、石を附属させたものが出たようです。 かなり強くチャクラに作用します。

 

③修行に役立つ物

密教ブレス ※密教や霊性開発の修行をするのであれば、必須であると思います。確実に役に立ちます。

 

※現在は密教ブレスでなく別の名前になっています。さらに強力なものが販売されています。

 

正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。

合掌

 

 

 

光明真言の功徳は大きなものです。


別名、破地獄真言とも言われるように、地獄で苦しむ者にも届くとされます。まさに、地獄での救いの光明となるありがたい真言なのです。

 

※光明真言は別名、「破地獄真言」とも言われる、功徳の大きな呪文である。
これを数千回唱える事により、どんな不遇の霊にでも、光を与えると言われる。

 


繰り返し唱える事で、その効果が現れるのです。

祟りや障りに対し、大きな効果がある真言です。

 

あなたがもし、危険を感じたり、悪鬼邪霊の祟りを疑うべき事象を得た時、「南無大師遍照金剛」の宝号を唱える事により、大師の守護が働きます。

 


また、あなたが一心に祈るなら、大師の法力により、地獄に苦しむ亡者をも、救う事が出来るでしょう。

用意するのは、「天然塩」です。できるだけ、いい天然の塩を使用してください。


帰宅後に行う方法です。

 

・初めに、祓殿の大神様、私に憑いている霊を祓ってください。
 『祓い給え 清め給え 六根清浄』と3回唱えてください。

 

 そして、3度ほど天塩をなめます。

 

・続いて、家の中、あるいは部屋の中を片付け、できるだけ広々とした状態にしてください。  

 

 

・窓を開けて、気流の効率を高めると同時に、空気の入れ替えをしてください。 

 

 

・用意した塩を器に入れ、玄関に入って上がったところから、塩をパラパラと撒きます。  
 同時に「祓い給え 清め給え 六根清浄」と唱えながら、隅々まで撒いてください。

 

 その後、掃除機で吸い取りましょう。
 居間や寝室なども同じ様にすることをオススメします。

 

・最後に家の敷地の四隅に盛り塩をして終了となります。

 

 

これは最も簡単に出来、邪気を取り除く効果があります。


九字護身法、「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陣」「裂」「在」「前」、九字を一字ずつ唱えながら、刀印をもって切る方法です。

修験、神道、各宗派により、九字の切り方に違いがあります。

印を結んで切る方法、同じく「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陳」「裂」「在」「前」と手印を結びます。

此方も、修験、神道、宗派により異なります。

一つ一つの九字には意味が有りますが、それは他のサイトを参考にしてください、皆同じですので。

護身法と名がついていますので、この修法を身につければ鬼に金棒です。

身に危険を感じたら、九字を切れば助かります。

いろんな場面に応用が効きます。

就職試験、入試など、競争相手が沢山居る中で、自分だけ助かりたい時など、打って付けです。

「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陳」「裂」「在」「前」とやれば良いわけです。

九字に宿る神霊が助けてくれます。

尚もって、最後に止めの剣を手刀で刺せば、相手は落ちて、此方は受かるわけです。

その上、幾ばくかの修行や先達からのレクチャーを受ければ、もう恐いもの無しです。

憎い相手に向かい、「臨」「兵」「闘」・・・・・・・とやれば良いわけです。

自分が助かって、尚且つ相手も助かるというものではなく、相手は倒れるわけです。

倒れた相手はたまったものではありません。

いい迷惑です。

倒れた相手は考えます。

「何で、おかしい、何か、自分を落としいれた何かが有る」、「何だろ」と考えます。

考えるだけではなく、「厄祓いに神社に行くか」となります。

神前で手を合わし、神社の神霊に言います。

「何かわからんのが邪魔をするのですが、もしそうなら神様の力で御祓いください」と。

この様な低級な願いを待っているのが、神社にたむろしている低級な眷属です。

「わしらにぴったりの願が来た、やったろか」

低級な眷属は九字を切った人物を探し当てる事など朝飯前です。

神社へ頼みに来た奴の被ったものはわずかでも、その何十倍の力をもって九字を切った相手に返します。

返された方はたまったものではありません、何しろその道の本職が返すのですから、下手をすれば命にも関わります。

返された方は苦悩します。

其れを見て、アホは喜んでいます。

最初、自分に良かれと思い九字を切った方は被害者になります。

話が後先になりますが、ある利己的な目的に九字を切ろうと思った時、要するに、修法(神事)を行おうとした途端、其れと同じ目的を持っ目に見えない程度の低いものが臭いを嗅ぎつけ集まって来ます。

本来、九字が持つ意味の守護神が存在しますが、低級な目的で九字を利用しようと思った瞬間、守護神は退いてしまいます。

空です。

その空の所に、「しょうもない奴」が入って来ます。

何も分からない貴方は、この「しょうもない奴」と力を合わせて「しょうもない事」をするわけです。

又「しょもない奴(貴方は)」は、「しょうもない奴(邪霊と)」と良く気が合います。

貴方の切った九字は良く効く事になります。

貴方の切った良く効く九字の被害者は、体調を崩します。

体調を崩すと、それを狙って低級なものが入って来ます。

その低級なものは、体調を崩した体に留まりながら、九字を切った相手に攻撃をかけます。

こいつらは困らすのがお役ですので、それが嬉しくてしょうがないのです。

この繰り返しです。

又この九字護身法を、目に見えないものに対し行う方(かた)もあります。

殆んどが低級なものに対して九字を切る事になります。

見えない者、感じない者、分からない者の強みです。

低級なもの(邪霊)に対し九字を切り、最後に留めの手刀を刺せば、刺された方は怒ります。

私に例えれば、普段、温厚に振舞っていても、関係の無い他人の子供が私に向かって水鉄砲で水をかけてくれば、その日の機嫌によってはカッとなるかも知れません。

増してや、邪霊に対し素人が九字を切るという行為はもっての外です。

この領域のお役が付いている方でも、慎まなければなりません。
 

直に、見事、返って来ます。

止めた方がよいのです。

ようするに、九字を切っては駄目です。
 

絶対と言っていい程、自分の方に返って来ます。

 

生半可な九字は危険です。

九字は攻撃です。

ご注意ください。

 

 

 

 

 

覚醒しやすくするには、基本的に、尾骨を動かす・刺激するという方法を行うのですが、例えばそれは、出産時や階段でのしりもち、自転車を漕いでいる時の感覚に似ています。

 

 

まれにではあるのですが、出産時に尾骨の動きが刺激され、クンダリーニが覚醒するケースもあります。

 

 

その際、潜在能力(サイキックや超能力)が現われ、聞こえるはずの無い声が聞こえたり、見えるはずの無いものが見えたりする人もいます。

 

 

 

人格も伴っていないと、低級霊と波長が合ってしまうので注意も必要です。

 

 

 

霊能力開発のための鍛錬と霊能力の発現において、地球人類に強烈な印象を与えてきたのがインドのヨーガです。

 

ヨーガの鍛錬によって、これまで多くの行者が驚異的な超能力・霊能力を発揮するようになりました。

 

 

そうした事実は、人間には想像を絶するような力が潜在しており、鍛錬しだいでそれ(超能力)を発揮することができるようになる、ということを示しています。

 

 

20世紀に入り、ヨーガは世界中の神秘主義者や宗教者・思想家に大きな影響を与え、地球規模でのヨーガブームが巻き起こりました。

 

 

世界の神秘主義の源泉をたどると古代インドに至る、と言われています。これまで多くの欧米人が「超能力・霊能力」を獲得しようとしてインドに憧れ、ヨーガの修行に挑んできました。

 

 

ヨーガは、輪廻転生からの解脱(げだつ)を目的としたインド発祥のきわめて内省的な高次元宗教であり、数千年の歴史を持っています。

 

 

ヨーガには大きく7つの流派が存在し、それぞれに特徴がありますが、「解脱のために悟りの境地に至ることを目指す」という点で共通性を持っています。

 

 

7つの流派は、大きく密教系と顕教系に分けられます。ヨーガ各流派にはそれぞれの修行体系がありますが、いずれも“解脱”を目的としていることには変わりありません。

 

 

ハタ・ヨーガやクンダリーニ・ヨーガやマントラ・ヨーガに代表される「密教ヨーガ」では、その修行過程でしばしば超能力・霊能力が発現するようになります。

 

 

しかしその超能力は、ヨーガにとっては解脱に至る道筋の副産物にすぎません。

 

 

ヨーガの修行は超能力・霊能力を得ることを目的とはしていませんし、そうした超能力的なものにとらわれることを、むしろ禁止する傾向にあります。

 

 

ところが欧米人が、ヨーガの修行による超能力の発現という神秘的部分に注目し、それを大げさに宣伝したため「ヨーガ」イコール「超能力発揮のための修行法」というイメージが広く定着してしまいました。

 

 

密教ヨーガの修行方法として重視されているのが瞑想です。そしてこれに呼吸法と身体体操(アーサナ)を加えて一体化させています。瞑想法・呼吸法・身体体操の修行によって心身の調和をはかり、解脱という目的を達成しようとするのです。

 

 

スピリチュアリズムの「霊的知識」に照らしてみると、世界観・死生観といったヨーガの根幹思想には、多くの間違いが見られます。ヨーガは、間違った霊的認識の上に築かれた壮大な思想体系をその土台としています。スピリチュアリズムとヨーガの間には、ある面では思想的な共通性も見られますが、重要な部分において決定的な違いがあるのです。しかしここではそうした思想面に言及することはせずに、ヨーガの修行によって超能力・霊能力が発現するようになることについて、スピリチュアリズムが明らかにした「霊的事実」に立って見ていきます。

 

 

ヨーガにおける「霊能力」も、これまで述べてきたようなメカニズムのもとで発生します。

 

 

すなわち「(霊の心→)霊体→肉体」というルートで霊的エネルギーがステップ・ダウンすることによって引き起こされます。霊体から肉体への霊的エネルギーの通路(接点)が、ヨーガで言われてきたチャクラです。ヨーガではチャクラが開発される(開かれる)ことによって霊能力が発現するようになるとしていますが、これはまさに霊体から肉体に向けて流れる「霊的エネルギー」の量が多くなることを意味しています。

 

 

ヨーガの瞑想法・呼吸法・身体運動法の3点セットの修行法は、霊能力の開発方法としては実に優れています。それは地上に存在する霊能開発のためのあらゆる修行法の中で、最も優れたものの一つと言えます。

 

 

さて、接点(チャクラ)を通って大量の霊的エネルギーが肉体に流れ込む状況を霊視すると、接点から眩いばかりの光が噴出しているように映ります。ただしこうして発揮されるようになる霊能力は、どこまでもサイキック・レベルのものです。

 

 

ヨーガ行者の中には鍛錬の結果、低次元の霊視能力を獲得するようになる者がいますが、それは「サイキック能力(透視能力)」であるため、霊界にいる霊の姿を認識することはできません。ヨーガの修行法を通して「(霊の心→)霊体→肉体」という霊的エネルギーの流れはできるのですが、それによってサイキック・レベルの霊能力は発現してもなかなかスピリチュアル・レベルの霊能力にまで至れないのは、ヨーガの根幹思想に問題がある霊的事実から外れている)からなのです。間違った思想に強く固執することで、スピリチュアル・レベルの能力の開花が妨げられてしまうのです。

 

 

「霊性」こそが、本物の霊能者とニセ霊能者を分けることになります。

 

霊性を高めるとは、霊的成長をなすことに他なりません。霊的真理のエッセンスは、「霊的成長」という簡単な一言に集約されます。“スピリチュアリズム”は、霊的成長こそが人間にとって最も重要な内容であり、地上人生の目的はすべて霊的成長のためにあることを明らかにしています。私たちは霊的成長を達成するために、地上世界に生まれてきたのです。

 

 

では、その「霊的成長」は、どのようにしたら達成することができるのでしょうか。

 

 

スピリチュアリズムの霊的真理は、それについての答えも明示しています。霊的成長は、霊能力を身につけるより遥かに重要な内容で、地上人生において最優先しなければならないことなのです。

 

 

この事実は――「霊的成長」のための努力を優先しないかぎり本物の霊能者(高級霊を惹きつけることができるスピリチュアル霊能者)になることはできない、ということを意味しています。霊的成長のための努力こそが、「本物の霊能者」になるための修行法そのものと言えるのです

 

 

スピリチュアリズムでは、「霊的成長」に関する2つの大原則を示しています。それは「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」です。この2つの実践を通して、人間の魂は成長するようになっています。

 

 

霊能者になるための“瞑想”を中心とした訓練とは、「霊主肉従」を達成するための修行に他なりません。そして良き霊能者になるための訓練とは、「利他愛」を身につけるための修行です。

 

その利他愛は、霊主肉従という条件を満たしたうえで、初めて持つことができるものなのです。

したがって「霊主肉従の努力」の上に「利他愛の実践」を積み上げること――これが真のスピリチュアル霊能者になるための“霊的修行”ということになります。そしてそうした実践を積み重ねることによって、よりいっそう霊性は高められていくことになるのです。

例えば霊能力が欲しくて修行をするようではいけません。

 

つまりは、真理の探究こそ全てだと思います。

 


霊を見るとかスプーンが曲げられないと真理がわからない、などはナンセンス。

つまり体が浮くからって真理を体得出来る訳じゃない。

そんな事をやっているのは、著しく精神レベルが低いと言えましょう。

人間とはなんぞや、と思ったらそれが真理の探求の始まりであり、
宗教であり、そこで始めて霊能力でない人間本来の「霊性」


を知る第一歩なのだと思います。

大周天と小周天

気功の中に周天法というのがあります。
周天とは気を回すことを言います。
周天法には、大周天と小周天とがあると言われています。
しかし、その中の大周天については、それがどういったものを指しているのかは定かではありません。  
体幹部で気を回すものを小周天とし、体全体で回すものを大周天と理解している人もいます。
しかし、それは余りにも規模が小さいように思います。
この大周天・小周天という時の大と小は、大宇宙・小宇宙という時くらいの違いがあってもいいのではないかと思います。即ち、小周天を自分の体の中で気を回すこととすれば、大周天は宇宙的な規模での気の循環を体感することとだと把えているのです。
とにかく、体全体で気を回す周天は、大周天と呼ぶより体周天と呼ぶくらいにしておけばよいと考えているのです。


小周天

小周天は、尾骨先端の長強というツボあたりから督脈上(後側の正中)を上げ、百会から印堂を経て、上あごの歯茎の裏側まで回し、そこに舌の先をそっと触れて、舌を架け橋にして舌の根元まで気を降ろし、そこから任脈上(前側の正中)を会陰まで降ろし、会陰から長強に運んで、そこから再び上げてゆき、これを繰り返すとされています。


そこで問題になるのが、気の感覚はどう動くのか、動かすのかという問題です。
気の感覚は体形に沿って動くものなのか、そういう風に動かさねばならないのかということです。
僕の感覚を言いますと、気のボールの半分は体の外を、半分は体の中を動きます。
半分というのは、きっちりと半分という意味ではなく、体の外の気の感覚と、体の中の気の感覚が一つになって気のボールを作り、それが動くという意味です。
それは何を意味しているのかというと、気は体形に沿って動くのではなく、体の皮膚を自由に通り抜けて動くということなのです。


僕が小周天を学んだ時、気は体形に沿って動かすものだと思っていました。
初めの頃は上げるのは上げられても、降ろす時、特に印堂あたりから天突にかけての感覚がつかめずにいました。


かなりの時間がかかって、その小周天も体感としてつかめるようになってきたのです。
そして、それから何年も経って、気の感覚は皮膚だけの感覚ではなく、体内感覚も同時に実感できるようになり、そういう感覚で練功していきますと、体形に沿って
気を動かさなくても小周天が出来ることがわかったのです。
先ほど述べた印堂から天突への感覚は、皮膚を通り抜けて降りていくのです。
つまり、気は体形に沿って動くのではなく、ちょうど競技場のトラックのように楕円形に素直に動くのです。
ノーベル賞の小柴さんの研究で有名になったニュートリノという物質は、物質であるにもかかわらず、宇宙空間から地球に届いたとしても、地球を通り抜けていくのだそうです。
勿論のことですが、私たちの体の中も通り抜けていくのです。
そういう物質があるということなのですから、気の感覚にしても、額から鼻、口、首、胸と気を降ろす時に、体形を無視し、体の中も外も同じように、まさに、皮膚を通り抜けて降ろしていく、降りていく感覚を実感することは、何の不思議でもないことなのです。


胴体周天の練功

気の力を強くする呼吸法として小周天をお奨めする訳ですが、その際に、このトラック状に気を動かす練功の方が、気の感覚が早く身につくように思います。


その小周天に入る前に、まず胴体周天をマスターして下さい。
胴体周天は小周天から頭部を取り除いた胴体のみで行なう周天法です。
 

① 椅子の上か座布団にラクに坐って下さい。
②まず、下丹田に気を沈めます。
③その気を会陰から肛門、尾骨と動かし、息を吸い上げるように、後ろ側で大椎まで引き上げます。
④その気を天突あたりに運んでから、前側で恥骨から会陰あたりまで吐き降ろします。
⑤そして、再び、肛門から尾骨と回してから、吸い上げていき、それを繰り返すのです。

 

ちょっとしたアドバイスですが、大椎まで吸い上げた気を天突に回す時は、吸い上げた惰性で動いているようにして下さい。


同じように、恥骨から会陰まで吐き降ろした気を尾骨まで回す時も、吐き降ろした惰性で動かすようにしてみて下さい。


また、息を吐き降ろす時ですが、下腹の中に空気を吐き降ろすように、少し圧を加えるようにしてみて下さい。


そういう呼吸をしていると、息を吐き降ろしていく時に、少しずつ下丹田の中が温かくなっていくのがわかってきます。


それが気の力を強くしているという実感なのです。


小周天の練功

胴体周天は、呼吸がまだ浅い人にでも簡単に出来る練功です。
少し、呼吸が長くなってきた方は小周天法に移りましょう。
要領は胴体周天と同じです。


最初は、皮膚感覚で大椎まであげた気を、首の形にとらわれずにぼんのくぼから後頭部、頭頂部、額、印堂と回して下さい。


次に、印堂あたりまできた気を鼻の奥から口の中に入れ、あごの下から天突に降ろし、胸の中から下腹へと吐き降ろしていくのです。


あごや首の形にとらわれないで、真っすぐに降ろしていって下さい。
関元、恥骨と降ろしてきた気を会陰、肛門から尾骨へと回し、再び吸い上げていき、これを繰り返しましょう。


30回、50回と回してみて下さい。

 

胴体周天の時は、体形には無理がありませんので、皮膚感覚と体内感覚を合わせて、楕円形に回せばいいと思います。

スピリチュアリズムの使命の一つに、正しい霊能者とニセ(偽)霊能者を見分けるということがあります。

 

霊能者は本来、“霊の通路”になるという大切な役目を背負っています。

 

 

その役目を通じて、いまだ霊界や霊の存在を知らない人々に、霊的な事実を伝えることができるのです。

 

 

その意味で霊能者には、「神の道具」としての大きな責任が与えられています。

 

 

ところが実際には、多くの霊能者が神の道具としての使命を果たすどころか、逆に神の道を妨げ、人々を正しい道から遠ざけるといった忌々(ゆゆ)しき問題を引き起こしています。

 

 

霊能は、自分自身の利益のために与えられた特権ではありません。

 

 

自分の利益のために霊能を用いることは許されません。

 

 

霊的な能力は、一般の人々には特別に素晴らしい能力のように思われていますが、霊能それ自体に価値があるわけではありません。

 

 

それをどのように用いるかによって、霊能を持ったことの価値が決まるのです。霊能力の使い方によって「本物の霊能者」か「ニセ霊能者」か、「優れた霊の指導を受けられる霊能者」か「低級霊に支配される霊能者」かが決定されるのです。

 

 

世俗的で物欲的な霊能者には、必ず低級霊が働きかけています。

 

 

世間一般に霊能者として名前が知られている人々(特にテレビや本の出版などでその名前が知られるようになった人々)の大半は、低級霊に翻弄されているのが実情です。

 

スピリチュアリズムに導かれ霊的真理を知ることのできた私達は、ニセの霊能者を見抜いて、世間の人々が彼らに近づかないように、また騙(だま)されないように警告を発する責任を持っています。

 

テレビなどに出ている霊能者が、お経を唱えると

 

霊に憑依された方が、のたうちまわったりするシーンがありますが、そんな事は、現実には100%ありません。あれは芸能人の演技なのです。

 

今まで、テレビで見た霊能者で本物は、宜保 愛子先生くらいのものです。