「マスクと哲学」~~高校生とやった「公共」の授業(1) | 紙風船

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中学校と高校で社会科を教えています(いました)。街探検や銭湯が大好き。ピクトグラムや珍しいものが好き。でも一番の生きがいは、子どもたちに「先生の授業、たのしい」と言ってもらえることです。

新型コロナウイルス感染症の位置づけは,これまで,「新型インフルエンザ等感染症(いわゆる2類相当)」としていましたが,令和5年5月8日から「5類感染症」になります

                  (厚生労働省HPより)。

 

「社会科のセンセイ」としては大型連休明け8日(月)の学校に変化が起きるか否かが気になります。

果たして高校生のマスク着用行動に変化は起きるでしょうか。

 

現在は「生徒のマスク着用は個人の判断に任せる」「教員は授業等対面指導の場ではマスク着用をする」という業務命令が出ております。

8日からは教員もマスク解禁になるはず。

ボクは外します。

現在も校内でも授業以外の場面では外しています。

 

さて,そこで話題は高校1年生とやっている「公共」の授業

教科書の構成は(多分どこの会社も)倫理学っぽい内容が第1章です。哲学者,思想家とよばれる歴代著名人がぞろぞろ登場。

1ページに4名も名を連ねることもあります。

で,ひとこと言わせてください。

「教えられるわけがないだろう!」ムキー

 

高校生には前もって話してあります。

「ここに登場する方々の考え方(思想・発想法)を説明するには,大学の授業でも最低おひとり様1時間かかります」

「それどころか,この人の思想はどのようものか,自分の一生をかけて研究している人がいる世界です」

「公共のこの1時間で説明するなんて途方もない話です。皆さんが授業を聞いて理解できるかといえば,できたら天才です」

 

「ですからボクの授業では,ごく一部だけ,高校生のみんなの心にちょっと刺さるかもしれない部分だけを選んでとりあげます」

 

というわけで,教科書が取り上げている内容を,できるだけ生徒の日常に近づけて,「あっこれは私のことだ」とイメージしてもらえるように心がけています。

 

前置きが長くなりました。

そこで「マスク」の登場です。

この話題なかなか使いまわしが効くようです。

 

ちょっと授業の様子を紹介します。

オトナの皆さんの心にも,ちょびっと刺さるでしょうか?

それともオマエの解釈はとんでもなく誤っているとお叱りを受けるでしょうか?

それならそれで教えてくださいね。

ボクのアップデートのチャンスです。高校生に教え直すことも出来ます。

 

さて,本日のゲストは「ベンサム」「ミル」,そして「レヴィストロース」

(あぁこの瞬間に読むのをやめようとした方,もうちょっとお付き合いいただけますか。それぞれの人の考えは超大ざっぱに書き飛ばしますからお願い)

 

「ベンサム」と「ミル」は,イギリスの哲学者・思想家です。

人生の幸福や人間の尊厳を「快楽」をキーワードに考えた人。

二人の違いを超大ざっぱに言うとベンサムは「量的快楽」を,

ミルは「質的快楽」を強調した人。

ミルの言葉は有名です。よく知られている短縮バージョンでは「太った豚よりもやせたソクラテスになれ」というやつ(本来は「満足した豚よりも不満足な人間の方が良く,満足した愚か者よりも不満足なソクラテスの方が良い」)。

ボクの話――

「餌をたくさんもらって太っている豚。食べるものがなくてやせ衰えている人間。

量的に満足している豚,量的に不満足な人間。

豚と人間は質的ずいぶん違うねぇ。

あなたはどちらになりたいですか?

まるで千と千尋の神隠しみたいだねぇ」

 

そして二人の違いはもう一つ。

個人の幸福(快楽)と社会全体の幸福(快楽)をどう調整するのかという問いへの考え方です。

ベンサムは,どちらかという「性悪説」。

人間が他者を害することなく幸福(快楽)を実現するには「外的制裁」が必要である,特に「法律的(政治的)制裁」が不可欠と考える。「アンタはそれで幸せかもしれないが,それじゃ他の人はたまったもんじゃない。それは法律で禁止されているからダメですよ」

対するミルはどちらかというと「性善説」。

人には生まれながらに道徳感情が備わっている。他者の幸福(不幸)を自分のものとして感じることができる。だから人間には,他者のためになるような行いをしようと自分自身を律する「内的制裁」が自然とはたらく。だから「外的制裁」に頼ることはない。

さて,コロナのお話。

コロナ禍において,マスク着用をはじめ感染予防措置をどうするか,世界各国の対応が分かれました。

「マスク着用を法的に強制した」「感染者が行動履歴を秘匿することを法的処罰の対象とした」「感染者が一人出たら集合住宅(居住区域全体)をロックダウンした」などなど「外的制裁」を強化した国ぐにもあります。

 

我がニッポンは「お願い・推奨」でした。これは「内的制裁」を重んじた例とも言えます。そして世界でも類を見ないほどの「マスク大国」が実現しました。

しかもすでに「外的制裁」はほぼ存在しない,政府によるマスク着用推奨すらごく一部の場面に限定されているにも関わらず,マスク着用が日常化している人が多数存在している。これは,なかなか興味深い現象です。

レヴィストロースはフランスの思想家・社会人類学者・民族学者です。

人間は,自分の頭で考えているように思っているかもしれないが,無意識のうちに生まれ育った環境,社会の慣習などに大きく影響されているという考えを広めた人。ある意味,哲学や思想を欧米人が独占している状況に疑いの目を向けた人とも,多文化社会の共生という考え方に道を開いた人。

あなたが,マスク着用をしていたのはなぜ?

「着用した・しない」――そのどちら「正」でどちらが「悪」か,実は,それは大して重要じゃない。

 

それよりも「外的制裁」がほとんどなかったにも関わらず「内的制裁」が強く作用したのはなぜか?

あなたは,どんな考え方や習慣の影響を受けていたのか?

そうやって自分自身の心に問いかけてみることは,

する価値があることだとボクは思う。

 

そんなことを授業で話しました。

 

―― 最後までお読みいただきありがとうございます。

「マスクと哲学」明日も書きます。

これに懲りずに来てくださると嬉しいです。