ずっとあなたが好きだった DVD-BOX/賀来千香子,佐野史郎,野際陽子
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冬彦さんっ!!



ではなく、巷で話題の、あの歌。



ずっと好きだった(初回限定盤)/斉藤和義

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ワタクシの周辺でも、もちろん話題となっています。


耳に残るメロディー、「ずっと好きだったんだぜ」という、なんとも男らしく、断定的な

お言葉。

忘れられない’あの頃’を思い出してキュンキュンしてしまう方も多いのではないで

しょうか?



ワタクシの「ずっと好きだったんだぜ」を思い返すと、それは中学生日記真っ只中の

頃でした。

今でもその当時の男の子のことは鮮明に覚えています。


なんとなく上手くいきそうで、お互いそこはかとなく空気も解っていて、でも、それを

ストレートに表現する度量もスキルも持ち合わせていなかったがために、夢幻とな

ってしまった・・・。


単なる勘違い、気のせいでなければ。


その男の子とは、通った高校も違うので暫く会うことはなかったのですが、高校を

卒業し、互いに進学を果たし地元を離れ、初めて「実家へ帰省」という行事を体験

したとある夏、ばったり「ゲーセン」で出くわしました(笑)


思わずいぇーい、と記念写真を撮ったのですが。


その写真も、もはやどこに行ってしまったのやら・・・

それ以来、その彼とはお会いしていません。


実家の場所は知っているので、時々地元へ帰り、その近辺を通るたびに懐かしさ

がこみ上げてくるのですが、それ以上でも、それ以下でもなく。


「ずっと好きだったんだぜ」と、いつかまたばったり出くわしたときに、不意打ちをか

けてみようかな、と想像領域の中のみ、画策する程度です。



先日「今好きなんだぜ」(笑)な方と、深夜の居酒屋で同様の話をしていました。



「ずっと好きだったんだぜ」は、実らなかった恋だから美しく記憶に残るんだろな~


そういう淡い恋は、誰にでも(あなたにも、私にも)あるよな~


この歌、同窓会が舞台なんだよな~



そんなことを話していたら、赤提灯が眩し過ぎる居酒屋のスピーカーから流れて

きました。



ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だな

ホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけど

ずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だ

ホント好きだったんだぜ 気づいてたろうこの気持ち



今この場で起こっているミラクル。

それをニヤリと共有できる人。

そして一瞬にして引き戻されたであろう、それぞれの「あの頃」。


甘く噛み締めながらも、十分に成長した大人の顔をしつつハイボールのグラスは

ぐんぐん進んだのでありました。






















「血も涙もないわねぇ」と言われてしまったら仕方ありませんが、かねてよりどうしても、

違和感のある喩えがありました。


例のアレ、です。



目の前に、水が半分入っているコップがある。


これを、「もう水が半分しかない」と思うのか、「まだ半分も水が入っているじゃないか」と

思うかで、マインド、ひいては生き方が変わってくる・・・



ちょっと待ってください。


ぱっと見た瞬間、「もう」とか「まだ」とか、判断しちゃうものですかね?


「もう水が半分」「まだ水が半分ある」と感情的に無理やり中身を判断する前に、まずは

「コップ」と「水」という物体が目の前にあるという事実、そして「単に、水が半分入ってい

るだけという事実」をすっ飛ばしていやしないか?


そこでポジティブ、ネガティブと判断すること自体が「感性」ではなく「感情」なのでは??


なーんて思っていたら、かつて同様のことを記されていた方 のことを知り、思わずひとり

ガッツポーズで頷いてしまいました。



日常生活全般に当てはまることですが、物事をあれだ、これだ、と感情のおもむくままに

左右に判断する前に、目の前にあるもの、起こってしまったことに対するありのままの

認知が必要なのではないかと個人的には思っています。


特に「失った」「怒られた」「(あるべきものが)ない」など、マイナスの出来事にこそありの

ままの事実を受け止める強さが必要なのだと思います。


なおかつ、「もう水が半分しか入っていな」くても、ヨソから調達して、新しい水を注げば

「水がたっぷりある」という状態になるだけの話であり、時間軸を一秒でも未来に設定す

れば、事実も変化していくのではないでしょうか。



こんなこと書いてたら、またあのお方に「とんがってるねぇ~(笑)」と言われそうですが。。













人間関係における法則といいますか・・・



たとえば、すごく仲良くなりたい異性がいるとします。

(仲良くなりたい同性、その他云々でも良いです)



遠く、柱の影から見つめるその人と、ぐんとお近づきになる方法。



それは、ずばり「近づかない」(笑)



支離滅裂かもしれませんが、つまりはその人の生活領域、業務領域、活動領域に

踏み入れすぎない、口を出しすぎないことに尽きると、個人的に思います。



興味や関心は最大限に向けていても、御身は適度な距離感を保つこと。


本当に繋がるべき相手であるなら、興味や関心を集中して向けるだけで気付いて

くれるはずです。


これを’ご縁のたまもの’というのかもしれませんが・・・



「思いを馳せる」という楽しみを、想像力を、自ら失ってはなりませぬ。




それでも、どうしても近づきたいのであれば。


どうせ近づくのであれば自信を持って、堂々と近づくことです。

自分の気持ちにも、行動も、コソコソするから不審者なのです(笑)













4月に入っても、まったくもってすっきりしない天気です。



気が付いたら、誕生日も終わっていました。


どうやら、年齢を重ねるにつれて無関心(いや、無視か?)になってきている

ようです。


それでも、お祝いのメッセージを頂戴し・・・ありがたい限りです。

どうもありがとうございます。



誕生日だからというわけではありませんが、先日静かに、ひっそりとある決断

をしたワタクシであります。


どうも、あらゆる退路を断たないと本当に加速しないみたいなので・・・

あえて、自分自身に重たいハンディを与えてみました。


自分の「価値観」やら「信念」みたいなものが、本当に自分が望んでいるもの

なのか?


試すなら今だ!いえ、むしろ今しかない!と思ったのです。


そんな矢先に目にした、マイケル・ボルダックの「信念とは事実ではない」という

言葉が、わが身にずーんと圧し掛かっています。



つまり、自分が本当に幸せになれる「価値観」やら「信念」やらをもって生きてい

るのかどうか?ということなのですが・・・


この、「真実の追求」みたいなものは、2010年の個人的テーマになりそうです。



マリリンさんがブログに色々書いてくださいました。


顔出しもしていますので、ご興味あらばご覧ください↑



こんなかんじで、時が来れば色々お話できるかと。

もうしばし、お待ちくださいませ!



もう桜も終わりかしら・・・


雨という自然現象が齎す、これまた自然の流れなる桜散る風景も、嫌いでは

ありません。


そう、季節は否が応でも巡ってくるわけです。



というわけで・・・

本日も糸のように、細い雨が降り注いでいます。











うぉぉぉ



すっかり、野放しにしていたら雑草だらけになっているのでは?このブログ。

お久しぶりです。



ワタクシは生きておりますゆえ。



雑草ブログであるにも関わらず、日々ペタやご訪問を頂戴し、大変恐縮しております。


ただ近頃、人づてに



「あいつは生きているのか?」


「あいつは大丈夫なのか?」


という、風の噂で心配されているということをミミにしたので、生存確認だけはしておこう

と思いたち、筆を走らせています。



ワタクシは生きておりますゆえ。




さて、冒頭の 「言葉と身体」


今朝ほど、まどろみの中でフっと、降ってきたのであります。

(最近、やや睡眠障害の気が)



やだなー、明け方にウーンとうなされながら目覚めたときに思い浮かぶなんて。


・・・いえ、ピーン!ときました。



そう、「言葉」と「身体」はとても密接した関係でもあるのです。



ブログが滞っていた理由。


単なる「忙殺」だけではなく、ワタクシは、かりそめの世界や塗り固めた虚構の中、

つまり社会の中で使用している(であろう)業務的な言語ではなく、自分の心の底

から満を持して出てくる’言葉の襲来’を待ち望んでいたのかもしれません。



心の底から、身体のエネルギーを放出させながら、発せられる言葉・・・



普段交わす言葉。


何気なく発された言葉。


誰かのために用意された言葉。


偽りの言葉。



それらは、耳にした(目にした)瞬間に、目玉⇒脳⇒心⇒身体反応、みたいな流れで

体内を一巡します。


よって


「愛してるよーーーー!」


といわれたら’胸’がいっぱいになり、思わず’涙腺’が緩み、’腕いっぱい広げ’相手

を抱きしめたくなったり、


「お前なんか生きる価値なし、存在価値なし」


といわれたら’胸’に出刃包丁を刺されたような気分になりそのうち’胃’のあたりが

むずむずし、身体の細胞が明らかに不快感を示し、しまいには’気管’を通って嘔吐

する(失礼) ・・・



なんてことも起こりうるわけです。

なので、言葉の使い方というのは非常に配慮すべきだと、個人的には思っています。



人間なので、格好よくやってられないこともあります。(そっちの方が多い)


いわゆる「優しい嘘」という処世術もあります。


言葉で誰かを欺いて、手にすることができるものだってあります。


真実かどうかは別として、ある側面においては都合よく収めることができる場合も

あります。




それでも。



やはり、言葉と身体の密接的な関係性をある程度認知しておきながら、ワタクシは

この瞬間に、今にもあふれ出しそうな言葉を発したいと思うのです。


言葉と身体を混ぜ合わせた結果、獲得することができる良好な関係に、大いなる

期待と信頼を込めて。



どうせ書くなら「健康ブログ」?(笑)




ちなみにひとつ、自己防衛の方法として「いちいち誰かの言葉に一喜一憂しない」

方法があるとするならば・・・



自ら、無駄口を一切たたかない。



健康法という意味あいも含め、これに尽きると思います。


















「悪名は、無名より勝る」 という言葉があります。



Notorious・・・


悪名と聞いて個人的に思い出すのは、


Greatest Hits/The Notorious B.I.G.
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命を終えたその瞬間もミステリーな、まさに悪名高き、誇り高きHip HopMCでした。



「悪事に手を出す悪いヤツ」にわざわざり下がる必要はないと思いますが、ここでの悪名の

解釈は『少々の誹謗中傷は蹴散らして、わが道を行く孤高の人』といったところでしょうか。



アタシ、コドク。



そんなことを思ったり口に出したりする孤独ぶりたがりな人も中にはいるでしょうが、孤独と

孤高は似て非なり、です。


孤高を貫くというのは、時に協調性を失ったり揶揄されることもあるでしょう。

が、その根底にあるのは「絶対的・志」そして「信念」。



それがたとえ「悪名」と単語が摩り替わったとしても、孤高の存在を貫いている人は嫌いで

はありません。


しかし、女性というのは「悪名高き」を嫌います。

悪女と悪名も、また似て非なりなのだな。




悪女は彼女 に任せるとして・・・



「孤高の悪名」ポジションを拝命しました~とちゃっかり言えるよう、何もかも思い切りたいも

のです。

ワタクシに今必要なのは、想像力を駆使しながら茨の道を掻き分ける力なのだと思います。

つまりそれは、志は捨てず、自我を捨てる、ということなのかもしれません。



それはきっと。


「無名」よりは、多分マシなことでしょうよ。







※おしらせ

 【2月20日(土)】 スペシャルコラボレーションセミナー


 鳥居祐一×早川周作


http://www.jlh.jp/seminar0220/












近頃のヘビロテです。



エレメント・オブ・フリーダム/アリシア・キーズ

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実は、数年前までアンチR&Bでした。

(アリシアは一応、R&Bカテゴリ、ですよね?)


「アンチ」が「ヘビロテ」に様変わりした理由、それは恋(笑)



当時、好ましいと思っていた男子が好きだったので、手にとって聴いてみたらこれが

なかなか、ワタクシのツボだったのであります。


クラシカルであり、新しくもあり・・・何より歌が上手い。


アリシアのパワーなのか、恋するオトメのパワーなのか。

当時のアルバムは全曲、ほぼ歌詞なしでいけるほど聴き込みました。



そんな、ワタクシにひとつの革命を与えてくれた男子は現在何をしているのか露知らず(爆)

ではありますが、ワタクシの手元には、進化を遂げた次なる一枚があります。


時代や周りの環境が変われど、(個人的に)気に入った音楽というものは変わらないものです。


またまたグラミーものだと思うので、既に聴かれた方も多いと思いますが、今回は若干ですが

ジャネット・ジャクソンや シンニード・オコナーの「Nothing compares 2U」や近年のROXETTE

あたりの音楽要素を感ました。

ビヨンセとも何気にコラボしてますね。(Put it in a love song)



ちょうど、ワタクシ自身が広義における「自由たるや」を考えている時期なので、なんとなく

BGMにもよい感じ。


全般的にLoveな内容ですが、仕事のジャマもしません(笑)




あ、今ふと思いました。



そもそも「恋愛」って、自由なことなのか?不自由なことなのか?


恋することで、あなた自身が自由になれると思いますか?

恋することに囚われて、不自由だと感じたことはありますか?



フリーダム。


人生における、形としての「自由」を構成する、何かひとつなのか、否か。

どうなんでしょうね。




「今は仕事(受験勉強)が忙しいから、恋愛する気になれない」


まずは、そんなことを言っている異性にこそ聞いてみたいですね。



はたして、あなたは今「自由」なのか、と。







その本、178ページ。



もはや本命よりも「友チョコ」百花繚乱状態らしい、ヴァレンタイン近づくキッスな時期(?)

に綴られていたのは、よよよ・・・



『男性を本気で好きになったことがありません』


という、Around30からの切なるお悩み。



「私にはもとから人を真剣に愛する能力が欠けているのでしょうか?」



うーん。

後述する書籍のご回答にも記されていますが



「常に、誰かを好きでいなければならない」



という美徳というのはある種、脅迫観念めいたもの・・・と、ワタクシも同意します。

こういうことに得手、不得手があるであろう・・・というのも、ほぼ同意します。



この時期だからなおさら思うのかも?


妙齢ともいわれるようになり(爆)、ますますもってラビリンスの住人となってしまいました。




で、そもそも「本気」の「好き」の定義って、何ですか?



異性に向けられる、異性としての視線の果て・・・

それは恋ですか?人類愛ですか?


本気度合いって、いったい何で試されるのですか?



結婚?それは違うだろ!(即答)


もはや、こんなこと考える自体、おかしいのかしらん。



まあ、ワタクシの場合、俗っぽく、オトメっぽく思いを馳せて、馳せて、馳せまくったゆえに

「結果、よぅ解らんわー」というのが現状なのですが。



ま、いっか。

前述の彼女の救いが急務でアルヨ。



「わかりっこない先のことを、あれこれ思い煩うから、人間は不幸になっている。

でも、いま幸福にならずに、いつ幸福になるつもりなんですか。

愛する人がいないから幸福になれない、と思い込んでいるから、あなたは不幸なのです」



いやはや、バッサリ斬りましたねぇ・・・



愛する人がいないと嘆く = 他責、ということでしょうか。


「幸せ」というものを、他人や、他人の価値そのものに知らず知らずのうちに預けていると

いう解釈で正しいのかしらん。



気になる方、この問答の続きはこちらからどうぞ(笑)


人生は愉快だ/池田 晶子
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かたや、一瞬棚にあげ、放置してしまったワタクシ自身について。



「今」という時間軸に重きを置き、


自分を愛する = 生き方の芯を定める ≒ 「誰か」を愛する


御縁に身を任せたのち、その作業の精度がもう少しだけ上がったら、しっかりその日を迎

えようと思っています。



ついでにいうと。


矛盾を百も承知でいうと、男性を本気で好きになったことは、あります。




























人生のターニングポイントとは人それぞれあるかと思いますが、そんな時に必ず「登場する」

人物っていませんか?



ワタクシにとってのその人物のひとりとはこのお方

誰にも話せないような大ピンチの状況を思い切って相談すると真剣に耳を傾けてくれ、また

かつてプライベートのあれやこれやでも大変お世話になりました。

もとい。

「登場する」のではなく、何かあったときに(心の中で、何かしら)緊急要請をかけたい人、

なのかもしれません。

懐が深い人。

そんな簡単な言葉で彼女を形容してはイカンとも思うのですが、濃縮果汁200パーセント

みたいな人生をぶわっと拡げ、ぎゅぎゅっと中心点に集約すると、やはりこの言葉が一番

適している気もします。

少なくとも、ワタクシにとっては。


そんな、誰もが認める’悪女’が万を持してこの度、出版されました。



悪女の仕事術/藤田 尚弓

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いやはや、ボリューム満点の内容です。

うかうかと、「キャンディガール」だけに読ませておいてはなりませんな。

巷を浮遊する「キャンディボーイ」にも必携かと・・・ おい、そこのお前のことだっ!⇒誰?

ここに行き着くまでの、人生と血と汗の味がしました。

それはしかし、そしてやはり、そこはかとなく薔薇風味なのであります。

実践的ノウハウがたっぷり詰まっているので、内容は「書店で手に取るか、amazonで予約

して見てね♪」なのですが、本当に身が引き締まる思いがしました。

何となく最近、五月病みたく調子が出なかったもので・・・

「状況に対するコミットメント」みたいなものを個人的には学ばせていただきました。

「悪女」という生き方の解釈を間違えず、ビシっと仕事したくなる本です!

実は。

こちら、ワタクシもどこかにチラリと登場してます・・・フフフ。

「悪女学研究所」 コアメンバーの皆様はきっとニヤニヤしながら読まれていることでしょう!


久々にアグリーな言葉を発見!




あるものを正しく判断するためには、それを愛した後、いくらか

離れることが必要だ。




ジードという人物の言葉なのですが、絶妙な間合いというか、これはありとあらゆる人間

関係に、モノの見方に有用な処世術だと思います。


特に「熱中時代」、猫(?)まっしぐらな恋愛にどっぷりと浸かっている場合、それでもどこ

か頭の片隅に忘れず留めておきたい一言です。


こういう状況をツンデレというのかは定かではありませんが・・・



なんだか、身勝手に燃焼を煽る言葉より、こんな火消し言葉に惹かれるのですよ。



それは即ち、一度キレたら暴走特急になってしまうというわが特性を、誰よりも、おおいに

理解しているからかもしれませんが。