「本質」とは?



1.物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。


2.哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。

①偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
②実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。


3.論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。


                                                 (大辞泉より)



人々がいよいよ、本質的なことにしか興味を持たなくなってきた。

裕福だとかなんとか、人ひとりの背景とは一切関係のない、絶対的判断軸でもある。


イメージで売っている人、モノ、コト・・・この一週間、なりを潜めていることにお気づきだろうか?


市場や一般生活者に対するイメージは、その対価として「お金」を払って作っている。

イメージ先行型で流通しているものは、世論の風にあっという間に晒され、いざというときの胆力

に事欠く。時流と表現方法を間違えれば、「不謹慎」とさえ揶揄される。


何が真実、ほんとうなのか?


それを知る術、やはり、ここでもキーワードになるのは、普遍。


それは「万人一致、誰にとっても疑いもなく同じ」という価値であること。

長期的に見てどうか、ということ。


そしてなにより、シンプルであること。



情報は、外から与えられるもの。

知識は、自ら考えて知るもの。


情報は、或るAをそのままAと受け取ることによって流通する。

知識は、或るAがなぜAなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。


情報は流通するが、知識は決して流通しない。

流通する知識は、知識ではない。すでに情報である。


考えて知る、とは自ら考えて知ることしか意味がない。

したがって、そこに或る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を

向いているわけで、その差がまさしく、無知と知の差だ。


さて、人は多くの情報を知っていることによって、いったい「何を」知っていることになるのか。


                                        (「残酷人生論」より抜粋)




情報が錯綜する今のような状況だからこそ・・・そう、一息ついて考える必要があるのだ。


「普遍のA」は、普遍として何事も変わらず、今もただ傍にたたずんでいる。

私達は決してそのことを忘れてはいけない。

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これ、欲しい(爆)



こういうのを遠い目で見てしまう時点で、時の流れを感じるものです。


年齢的なものもあるかもしれませんが、近頃めっきり「片思いをしているのだ」という

人に出会っていません。


完全にパートナーがいるか、完全にフリーか。


片思いの渦中にいるのは、ワタクシの友人知人にはいない気がする。

あ、みんなモテモテだから、なにも片思いする必要ないのか?(笑)



「片思い」という行程は、大人になればなるほど端折られるのでしょうかね。


メールも携帯電話もある時代、’金妻’みたいに


「ダイアル~まわして~手を止めた~」


というもどかしさ(あ、これは諸事情のある恋愛ですね。。)を、ため息とともに愉しむ

という叙情は失われつつあるのでしょうかね?



驚くのは、最近の20代前半男子と話をしたときに「恋愛がめんどくさい」とのこと。


20代、あれやこれやとめんくさいことに首を突っ込み、なんだかんだできゃっきゃと

日々を過ごしていたワタクシからすると、仰天発言であります。



めんどくさいのもたまにはいいぞー

振り回されてみないとわからないこともあるぞー


そして。


「思いやり」というのは恋愛の中で育まれる、ある種のスキルなんだぞー



と母心?でたしなめたところで、情熱を傾ける相手もおらず、上の空で持て余し

ている風に見えました。



恋愛がめんどくさい、という気持ちは一部解ります。

しかしながら、恋愛が齎す恩恵というものは侮れないということも、解ります。


例えば、何気に歩いている道々の景色。

書籍に目を落とす、その眼差し。


恋愛は、心だけでなく視覚、そして五感をも支配するのだということに、驚きとともに

気付かされるのです。



道々の景色は、「あの人がこの光景を見たらどう思うだろうな」

文字は「あの人だったらどう感じるだろうな」

自らが見たものを、そんなことを知るよしもない「あの人」とともに共有し、味わう。



明日見上げた空とともに浮かんできた「あの人」がいるのなら、秘密の片思いを

味わい尽くすもの一つの手だと思います。






































友人が本を貸してくれたのです。


拙ブログを見てくれていて「今のワタクシ(私)にぴったりの本ではないか」ということを

文面から感じ取ってくれ、さらりとメールをくれました。


まさに『行間を読む』とはこのことか。


その細やかな気配りにはもちろん感心してしまったのだが、その文庫本に挟まれた

「しおり」はなんと、デパートの香水売り場などで配られているテスターの、あの白い

台紙でありました。


粋、としかいいようのない、モノの使い方です。


ディオールの「ジャドール」が優雅に香るその本は、これまた粋を地で行き、生き抜いた

であろう、安井かずみ氏のその著書であり・・・。


こういう、全く狙うこともなく、さりげなく風雅なことができる人を、自分にはないエレガンス

の持ち主として、ワタクシはものすごく尊敬してしまうのです。




齋藤孝先生のお言葉だったか。


「本を読まない人に、未来はない。」


個人的にもアグリーな、辛辣なひとことです。



いかなる状況であれ、書物溢れる現代ニッポンで、読書を人生の友、時に師匠や親、

恋人としない人から放出される言葉や感性というのは、やはりどこかで当てにならない、

と思ってしまう・・・。


学力の低下だとか、知識不足というレベルの前に「感じること」を忘れちゃいかん。

つまり、感じることが出来ない人の言葉というものは、本当に恐ろしいものです。


この人は、本と親しむという人生経験を重ねているのか、否か。


特に、社会的地位の高い人、影響力の強い人こそ、幅広いジャンルの書物に親しみ、

言葉を大切にしなくてはいけないようにも思えるのですが、いかがでしょうか?


そして、これはたかがブログも然り、であると思うのです。



ワタクシの傍らで香りを放っているかの本は、持ち主がいかにそれをリスペクトして

いるかという、手なじみのよさと読み込まれた跡があります。


善き書物は、時代背景が変わっても永久不滅であることを実感。

哲学書(超訳されてますが)や古典がブームになるのも、解らなくもありません。


個人的に、そういう永久選手となるような、言葉を大切にする著書が自ら筆を取った

心に響くビジネス書が今後発刊されることを願ってやみません。
































気まぐれブログにもかかわらず、日々ご一読くださっている皆様に心から感謝します。




さて。


「よいこと」「よい話」というのは、専ら酒の席で生まれるというのがワタクシのパタ

ーンであります。


まず、【まずい酒は飲まない】という一貫したポリシー(笑)があるので、


酒がまずくなるような相手とは集わない⇒うまい酒が飲める人としか会わない

⇒そういう人は、大概素晴らしい人間性の持ち主(個性は様々あれど)

⇒噛み付きあったり、利益のみに走る面倒な関係ではない

⇒お互い「よきにはからえ」な仲である。愉快である。


⇒よって、酒がうまい。


という公式が自動的に成立します。


後味の悪い酒ほど、最悪なものはありません。


なので、酒まかせの状態で重要な判断は下さないし、特に男女間でありうる

「お酒を飲んだら本音が出る」という定説をワタクシはそのまま鵜呑みにする

わけにはいかないのです。


後味悪けりゃ、それは結果オーライじゃないっしょー。



で、何が「キリストでさえ、成し得なかったこと」なのかというと・・・



結局「万人を満足させる」ということは神のような存在ですら困難である、ということを

前提に、私達は物事を進めていかなければならないということです。


キリストが、全ての人に受け入れられ信望されているのであれば、世の中には

他宗教など存在しないわけで。


仏教に心酔し、イスラム教に敬意を表するから「様々なこと」がこの世に放出される。


メジャー路線はどうもいけ好かないと思えば、マイノリティという生き方もある。

マイノリティであること、そして本当の「自分であること」を、きっと恐れてはいけない。


つまり、平たくいえば「人生一度きり、自分の好きなことを楽しんでやればいいじゃん」

ということになります。


これをアーユルヴェーダ(古来インドの伝承医学)的にいうと、


「ダルマ」(いのちの使命)を見出し、「アルタ」(金銭を手にして、願望を叶えること)と

「カーマ」(人間関係の中で幸せになっていくこと)を手に入れ、最終的には

「モークシャ」(すべての願望が満たされた状態)を迎える


ということになります。



キリストでさえ、最終的にはハリツケの刑となりその運命を終えたわけです。

万人に受け入れられなかった結果なわけです。


そう思えば、たかが自分ひとり、変化の如く好きなことにチャレンジしてみても、痛くも

痒くもない。



ならば今、この瞬間に出来ることは?



・・・?



てな感じの話、元に戻ると、うまい酒が一緒に飲める人との間で生まれるわけです(笑)

今宵も濾過機能が整った肝臓および記憶力に感謝。


これはきっと、浴びるほどお酒を飲まなくても、体感覚にて納得できる「本音」なのだと

思います。



苦しまなければ、楽しみを得ることができない。


そんな風に、うっかり人生のお楽しみ、おあずけを喰らいそうになったときは、キリスト

さんのことを思い出しモークシャ領域目指しましょうよ~♪


って・・・この無宗教感。



果たして、万人の幸福を願ったキリストさんが嘆くと、あなたは思いますか?






































君が辿り着きたい場所へならどこにでもお供するよ

誰も踏み込んだことのない魔境であろうと

夜であろうと昼であろうと

でも頼むからロックンロール・バンドなんかに

君の人生を委ねたりはしないでくれ

自分にさえ責任が持てないような奴らに





少し前に『BECK』、観ました。

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いけめんぱらだいす。



これからご覧になろうお方もいらっしゃるかと思い、詳細は述べません。


「こここここここ・・・・・・コユキぃぃぃぃぃ~!!!!!」


と、途中から叫びを上げたくなるシーンがあるということだけ、なんとなくリップサービス

しておきます(笑) 

※原作をご存知の方がいちばん気になるところ、かと。


BECKついでに、久々にOASISのCDを引っ張りだしてみました。

(あ、ついでに本家本元BECKも・・・)


もう、何年前か判りませんが、OASISのジャパンアリーナツアーに足を運んだことが

あります。


慣れない土地のせいか、旅の疲れか・・・それはもう、ギャラガーブラザーズのMCもだる

だる~な状態でしたが、そんなことも判らぬ純粋なる日本のファン達は、周知の曲がプ

レイされる度に雄叫びをあげ、全力で手を振っていました。


ワタクシも多分にもれず、アリーナ席の米粒のひとつだったわけですが。


ああ、懐かしい。


そんなOASISの姿も今後観ることができないと思うと、あれは貴重な機会だったのねと

改めて思う次第です。


左へ、右へ。

左へ、右へ。


持ちうる精魂を両腕の振りに託し、ともに熱唱したのは、名曲とも称される


’Don't Look Back In Anger'. 


「おめーらの人生、俺らに委ねないでちょーだい」


舞台の上で彼らはそう言っていた。

我々、オーディエンス一同は、そんなことも知らぬまま、キャーキャーと悲鳴を上げていた。

その一瞬に、魂を委ねていた。


今思えば、なんとまぁ、シュールな光景かと・・・

英語はきちんと、勉強しておくべきですね(笑)


どうやらこの歌、意味ナシ!と作った本人(ノエル)は言っているそうですが。


なんだそりゃ、と思っても but don't look back in anger ですよ!



そう。


意味があったり、意味がなかったりすることで成り立っている世の中なのだ。


例えば「この出来事には必ず意味があるのね」と、出来事や行為に何らかの意味付けを

したくなるときもあるけれど。


ワタクシ、最近は「あるがまま」という言葉がお気に入りで、時間も出来事も人の出会いも

いのちも、あるがままで良いのだと認識しています。


もはやロックンロール・バンドに人生を委ねることはしませんが、あるがままという感覚に

もうそろそろ、わが身を委ねてもよいのではないかと思っています。



よって、これまで全く食指が動かなかった佐藤健氏に、意外と興味が沸いたこともまさに

「あるがまま」で受け止めようと思います(笑)


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思いを、怒りにばかり転嫁しないように。





























拝啓、ジョン・レノン。


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もとい、孔子さま。


ワタクシ、三十も半ばの、季節はようやく秋を迎えておりますが、近頃どうにもグラウン

ディングが上手くいってないように思うのです。


ワタクシよりも大人(年齢が)な方々に、


「このお年頃って、辛くないっすか~?悩み多き年頃じゃありゃしませんか~?」


とさりげなく、口笛を吹きながら(笑)ヒヤリングを重ねておりますが、やっぱり皆様、

遠い目で


「悩んだわー」「どうしようかと思ったわー」とおっしゃるので、そのひとことに安堵しつ

つも、この年代の小難しさを改めて噛み締めている次第です。


’年端もいかず、心はヤワで’


とは、かの「花のあすか組!」のタイトルであり、まだうら若き頃から、この言葉には

随分心惹かれたものです。


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年端はなんとなくいってるみたいだが、心はヤワで。



今時分を例えるなら、こんなかんじでしょうか(笑)

とかく、孔子先生がおっしゃる


三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。


という、人生の順当なあり方をワタクシ自身が歩んでいるかどうかは分りません。



天命を知るのが五十か~
なら、まだよちよち歩きでも宜しいということか?


と、妙に甘えてみたりもしたくなります。


立つ、という意味が「確立」を指すのであれば、一生をかけて確立したいものの基礎

とは何であろう。


地底人が発見できそうなぐらい、下に下に掘り下げて煮えたぎるマグマを噴出させて

みたら、グラウンディングも上手になりましょうか。



あ、孔子先生は三十で弟子を取ったそうで。


弟子とまではいかなくとも、確かに「伝える」「残す」という作業は、これからのライフ

ステージを通して静かに行ってゆくのが理想的です。

発見した瞬間、思わずナオミさん へ連絡~!のこちらの特集、お勧めです。

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「どんなポイント(きっかけ)で女は高揚し、激高し、感情を行動として爆発的に

行動を起こすのか?」



そんなことも垣間見れると思います。男性の皆様、偏見で避けてはなりませぬ。



昨夜は、ワタクシが’保健室’と例える某氏と密会?をし、心とお腹の滋養タイム

でした。


『愛』がある方とお話するのは本当に面白い。

しかし『愛』がある人というのは、別の側面では恐ろしくもあります。


なぜなら、上っ面とか、表面上とか、そういうものを瞳の奥の鋭い光で見破って

しまうから。

いわゆるビジネスライクという人間関係を、まったく欲していないから。


よって、普段はあつーーーーーい衣をまとっているワタクシも、まるで丸裸に

された天ぷらのエビみたいな状態で、ハイボールをかっくらっていました。



さて、前述の「東京人」。


「どんなポイント(きっかけ)で女は高揚し、激高し、感情を行動として爆発的に

行動を起こすのか?」



これは昨日の酒の肴(話のネタ)にも通ずるところがあります。



地球に残された、最後で最強の資源とは・・・女性である。

地球上の、僅か二分の一の力しか、我々人類はまだ活かしきれていない。



それは、時代背景や風習云々もあるが、歴史上、女性は長いあいだ

「男性のおまけ」的な存在として、自分の意見や個性を発揮する場所もなく

存在を抑制されていた。


仕事、という役割はもちろんのこと、家庭でも父親の意見は絶対であり、

母親(女)は「稼げない単なるお手伝い」という立場に甘んじるしか仕方なかった。


それは、現代にもまだまだ通ずる部分で、簡単に例を挙げると、働く女性を

「OLさん」とカテゴライズし言いたがる時点で、立場の差を明確にしている。


だから、働く女性は「男性以上の圧倒的な手柄を挙げる」(それでも評価は

7割ぐらい)か「男性の裏方としてサポートに徹する」というポジションでしか、

正直なところ生き残れない。(そりゃー抜け道もありますが)


そのような、抑制された女性の起爆力を活かし、勇気を持って開放し、強みを

どんどん活かしていけば、たんなるマネ、マネ、マネーな世界だけではない、

豊かで個性溢れる世の中になるのではないか?



男性は「売上」とか「立場」に反応し、固執する。

女性は売上とか立場、の前に「私」という存在に反応し、居場所を求める



この、感情のからくりを前提に女性に向き合っていけば、女性は爆発的に

力を発揮し、所属する会社の社長や上司や、ひいては仕事(役割)そのものに

忠誠を誓い、期待を裏切らないパフォーマンスを発揮する・・・





これが、昨日の酒の肴~(笑)


女性の「抑制された起爆力」を活かすだけで、それはそれは素晴らしい資源と

なります。これは女として、なるほどその通りと納得します。


起爆力の矛先を間違うから、阿部定になっちゃうわけですよ。


つまり、そういうことです。



繰り返します。



「どんなポイント(きっかけ)で女は高揚し、激高し、感情を行動として爆発的に

行動を起こすのか?」



ワタクシはフェミニストでも何でもないのですが、地球最後の、そして最強の

資源を活かすために、これは必須マーケティングだと思います。

行き着く先は・・・冗談ではなく、世界平和です。


簡単なことなのです。


t適切な役割が明確になれば、女性はとんでもない、未知数の働きをします。


毎日、近所にある、有名なお弁当屋さんで働くおばちゃん達を見ていてつくづく

思います。



さて、隣に潜むマグマのような地下資源、活かしきれていますか?



















久方ぶりに、自分のブログページを開いてみました。

最後の更新が5月・・・3ヶ月ばかり、草ボーボーの放置状態だった、ということですね。



池田晶子氏に御意、なのですが、ワタクシも「言葉」というものは、やたら滅多ら発する

ものではないと思っています。


「自分の考えが存在しない言葉」なら、尚更のこと。


だからワタクシの本来の姿は、意外と無口だったりします(笑)



生きてりゃ、時には、めんどくせ~と思うことを発さなければならないときがあります。


自らの意志を逆走しまくる、暴走言語を発さなければならないときもあります。



言葉に対し、いちいち喜怒哀楽を感じるのは、氏がおっしゃるところのまさに意志とか

感情というものがニュアンスとして含まれているから。


そしてそれは、言葉を受ける側により、如何様にでもなるという、なんともいえない曖昧

さを踏まえています。



そう考えると、実はかなりの防御策になります。



所詮、言葉は言葉でしかなく。


「本質を見極める」という点において、本当は言葉とは無用なのかもしれません。



もはやキノコすら生えないクサムラで、時々このように荒々しくを発したくなるのは、

私自身が毎日言葉によって生かされ、言葉に傷つき、言葉で悩み、言葉というものの

鋭さ不躾さにうんざりしながらも、それでも「本物の言葉」を発している人に巡りあうで

あろう(男性でも、女性でも)と、思っているからでしょうか。


こんな風に、「言葉」を発したくなったときに、また徒然書いてみようと思います。





















「さあ、楽しい音楽の時間だ!」


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千秋さまぁぁぁぁぁーーーーーーっ!

千秋先輩、大好きです。

あ、個人の趣味は置いておいて・・・

最近、いろんな方とお話させていただいたり、様々な書物を読破していく中で・・・

うっすら気付いておきながら、やはり衝撃の事実を目の当たりにした次第です。

それは「人生、楽しんでいるかい?」という問いに対して、明らかにイエス!といえない

状況にいた、ということ。

様々な事情があれど。

いったい、私は誰の人生を生きているのか・・・

誰の価値観を生きているのか・・・

そもそも世間における善し悪しって、誰が決めているのか?

基準を常に自分が楽しいか?に置いていれば、つまらないことで悩んだり考え込んだ

り、どうしようもない自己否定をすることもないわけで。

もうそろそろ「これでいいのだと思う、多分」と自分に刷り込ませ、言い聞かせてきた

日々とさよならする時期が近づいているようです。

こういう生き方がいい、と完全肯定するのではなく、自分なりの絶対軸に基づきながら、

「こういう生き方が自分に似合っている」という道を歩んでいこうと思います。

「もう修業の時期は終わりですよ~」って、誰かさん達の声が聞こえる気がする(笑)

罪悪感を感じることなく、楽しめ!全てはプロセスだ!

そんな追い風を、少しずつですが感じています。

というわけで、ブログについても近い将来、もう少し私の人となり、そして何が私の「価値」

なのかというものを具体的にお伝えできるように変えていく予定です。

その際は、きちんと更新していきますから(笑)

千秋先輩は言った。

「さあ、楽しい音楽の時間だ!」

号令というのは素晴らしい。

号令をかけるだけで、自分も周りも士気が上がる。

ならば声高らかに叫ぼうじゃありませんか。叫ぶだけならタダだ!(笑)

「さあ、これからが人生のお楽しみだ!」

’楽しむ’ということが罪にならないような、馬鹿げたことだと文句すら言われないような

ぐらい、圧倒的に楽しい人生を送りたいものです。