人生の醍醐味といえば、いつどこぞから降ってくるか分らない(必然の)出会いを享受

すること。


思えば、ターニングポイントといわれる時期には、まるで救世主の如くの濃い縁と、避け

ようがない事故のように出会ってきました。




その中の、間違いなくひとりに数えられるのがこの方 でしょう。


出会いの場面を今一度思い起こせば、完全に「事故」でした。




ワタクシという存在を全面肯定し、そしてある意味見事に、鮮やかに全面否定してくれ

た、まったくもって不思議で稀有な存在です。



実は出会って思いのほか、時は経っていないのですが・・・



今現在において誰よりもともに「より一層」を考え続け、時間を費しているであろうことは

おそらく間違いないと思います。




こちらの講演が開催された時を同じくして、志をひとつにすることを覚悟・決断し、


21世紀の幸せ、夢、お金の考え方 ~本田健×澤上篤人×早川周作~/本田健;澤上篤人;早川周作
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こちらが出版された時は、まるで我が子を出産したような気持ちになりました。


人生が変わる!「夢・実現力」/早川 周作
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「夢のカタチはひとつじゃない」


2010年、はまさに「カタチ」を変え、ワタクシの人間力ももっともっと高いところで真価

を問われています。

ハードルが高ければ高いほど、燃える牡羊座とはワタクシのことでしょうか・・・



つまり、恋愛ごとよりも単純明快。



そういう油断ならざる、しかし惜しみない評価と賞賛を与えてくれる、これまた稀有としか

いいようのない存在。

そんな人に出会ってしまおうものなら、確実に人生は動きだします。



それがたとえ自分の意思の力とはまったく別ものであろうとも。




1月16日(土)、お時間あればぜひ足を運んでみてください。



恋愛指数0パーセント、しかしワタクシの、人生のある一定期間を捧げてもよいと決めた

男が、本年初登壇します。



『早川周作 出版感謝セミナー&交流会』
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もちろん、ワタクシもどこかにひっそりおりますゆえ。


















































休みがいくばか続くと、そのうち1日は必ず「再生不能」な状態に陥るのがお決まりです。



日々同じ分量のエネルギーを放出しながら、テンション高めのある意味平均的な生活を送る

ことができたらよいのでしょうが、ワタクシには時々エアポケットの如く、心身ともにぽっかり空

洞ができてしまうようで・・・


いったい何やらと空洞の中身を確かめたり、空洞を浮遊しているうちに・・・よよよ。



気が付けば、斜陽。



そんな情景を繰り返してしまうのであります。




しかしながら、自堕落の果てに半・覚醒状態で夕方から湯船に浸かるのもオツなものですよ。

ただし、冬場の長時間入浴は逆効果の気がするのでご注意を!



そして浴槽の湯の中で、あれやこれや、直近の出来事などなどを反芻してみるのです。




ひとつ気が付いたこと。



「思い出してみる」という能動的な作業は、ものすごくエネルギーを遣うということ。


(あ、だからワタクシのエネルギー放出はアンバランスなのか!)




だから、人間とはうっかり忘却してしまう生き物なのでしょう。



物事、思い出そうとしすぎると、もはや自分が「自分」でなくなるというか・・・

確実に現在の自分ではないというか・・・

思い出す’対象物’と一体化するというか・・・


「あの時」とか「あの頃」という時間軸で留まってしまうのですよね。



この感覚、どうにか伝わりましょうか?



こと、恋愛ごとについての反芻は程ほどにしなければなりませんね。

多分、魂抜かれちゃいますわよ。




お風呂から上がり、窓から外を眺めれば、斜陽。


ではなく、しっかり夜の暗闇となっていました。




時間とは、やはり本人の意思を差し置いてしっかり流れていくものなのね。


よって「時間は後戻りできない」と認識しているがゆえに味わえる刹那があるというものです。




そう、この日の斜陽の如く。



















































ブログの悲劇!



ものすごく力を込めて綴ったものだったり、長時間かけて書きなぐった「力作」ほど、保存がうまく

できていなかったり途中で消えたり・・・



この数時間は一体なんだったのか!!!



たった今、幾度目かの悲劇を体感したところです。




そういう記事は「アップしちゃだめよー」というシグナルなのか?



2010年一発目、ヘヴィーな内容(かもしれないこと)を延々綴っていたらパソコンがフリーズして

しまいました。こまめに下書き保存していたのに、なぜか保存されていなかったり。



こりゃー人様に、乱暴に伝えるべきことではないってことですね。

そして「過去は振り返るな」ということでもあるのでしょう。



ある意味、新年の重要な決意だったのですが、残念ながらこの胸のみに留めておこうと思います!




















北風冷たい、2009年最後の一日。



新しき年を迎えるため、諸々用を終え支度を整え買い物袋を下げながら近所を歩いていると、

道端に仰向けとなった「せみ」の死骸が転がっていました。



あら、北風さんが運んできてくれたのかしらん。



それにしても時期はずれな・・・



そこにずっと居た(?)わけではなく、おそらくいずこかから風に乗って運ばれてきたのでし

ょうが、常識的に考えて今時期に蝉に出くわすことは、ないと思う。


しかしながら一瞬、しかしまじまじと見ても死後そんなには経ってなさそうな生々しさは残っ

ているではないか。



常識?



いやそれは常識ではなく、いつ如何なる時でも、蝉だろうが何だろうが、そこに命がある限り

またどこかに忽然と「非常識な死」も転がっているのでしょう。



年の瀬に何を不吉な・・・とは思いません。



日々の平穏こそ、そもそもサプライズなのでアルヨ ⇒誰?



ならば「常識」とは、非常識をミルフィーユ宜しく幾重にも積み重ねた、時を経ていつのまに

か当たり前と認識される出来事に過ぎない。



(おそらく)季節を選らばず自由に生きた蝉のように、ワタクシもまた強風に飛ばされ、いず

こかを浮遊しながら新しい年を迎えることができそうです。


























先日、友人とサシノミをしたときにワタクシに発せられた言葉。



「なんかね、絶対’何かを持ってきてくれるだろう’と思ったから、今年中に会いたかったんだー、

ありがとね!」




’何か’というのは、彼女ひとりでは回答を出せないであろう、しかし新しい年を迎える前に

状況整理したかった問題についての、あるひとつの方向性というか・・・


ズバリの答えではないだろうけど、これからの生き方の道標になるであろう決定的な言葉、

という解釈でよいと思います。



ワタクシはそんなことはつゆ知らず、彼女の話を伺い、そして自分なりに思うことを言葉少なで

話したまでですが、結果としてストーーーンと腑に落ちたようで、上記のような感謝の言葉をい

ただきました。

よって、ワタクシまでほんのり心が温かくなりました。



少なからず期待を込められて、会いたいと望まれるということ。

発した言葉が魂を得て、誰かの心に響くということ。


すごく、嬉しいことです。



そういえばつい最近、男子に「話の的を得ていますよね」と言われたばかりでした。

2ヶ月ほど前にはこれまた「人並みはずれた客観能力で、本質的に解りやすい人」と言われた

のを思い出しました。



そそそそそ、そうなんでしょうか??

無自覚領域だわ・・・



ワタクシ、自己分析するに非常に感覚的な人間なので、このような評価を頂戴することが不思

議といえば不思議なのですが。




「真実の言葉でなければ無意味」



であるとして、来年は更に、自分の半径を取り巻く方々、その領域を飛び越えて出会う方々に

感謝の念と偽りのない思いを、素直に伝えることができる女性になりたいと思っています。











光陰矢のごとし。

気がついたらアナタ、クリスマス目前ですよ!!!



つい先週「もうすぐクリスマスである」という真実に気がつき、

M-1グランプリ2009っていつ放映されるの~?と心待ちにしていたら既に終わっていたorz

(順位は未だによくわからず)


という明らかに暦とか風習とか季節の移り変わりに鈍感な日々を過ごしているこの状況に

愕然としつつあります。



(昨日のことも思い出せないので多分、ですが)


今月初の休日だったため、たまには昼間の近所を散策しようと思い自宅からすぐ近くの

「一応」商店街に足を運んでみると、クリスマスの飾りつけと、門松みたいなものが同時

進行で装飾してあり、この国(この街?)のちゃっかりさ、デリカシーのなさをまざまざと見

せつけられました。



商店街の露店では、じーさんばーさんが2010年カレンダーを売っていました。


見たこともない’まんが日本昔話’的わらべキャラクターが記載された子供向けのカレン

ダーに、足を止めていたじーさんが「孫にいいねぇ」と呟いていました。


そんな横で、目玉が飛び出そうなぐらい大胆なポーズをとった全裸の娘がにっこり笑う、

「篠山紀信・ヌードカレンダー」を発見。



嗚呼、この無秩序さ。


そして写っている真っ裸の女子、いったい誰ですか?



商店街だからなせるワザなのか・・・



ま、年の瀬だから何でもアリなのですね。


たまのご近所散策には、銀座や丸の内では垣間見れないタモリ倶楽部のような発見ごとが

散りばめられています。



空気感としては、23日あたりから既に「クリスマス、終了~」なムードが漂い、24日を過ぎ

れば、やれ餅だ、おせちだ、年賀状だ(25日の本番はなぜか消化試合的だし)と休む暇も

なく、思考も行動もシフトチェンジされる年の瀬。



なにやら、そわそわ。

特に忙しくない人でも、なにやら多忙っぽくなるこの季節。


(普段から忙しい人は目どころか脳天やら胃腸まで回りそうでしょうが)



ワタクシはとにかく寒いのが苦手なので「冬よ、終われ~」とひたすら神に祈るばかりです。









晴天無風・・・よか言葉です。



先日、仕事ではありますが「日本人初、単独エベレスト・無酸素登頂」を目指す若き

ソロアルピニスト・栗城史多 (くりき のぶかず)さんの講演に立ち会う機会に恵まれ

ました。


メディアに引っ張りだこ、講演にも飛び回っている大変話題の方なので皆様も既に

お知りおきかと思いますが・・・


久々に「本物の言葉」を発する方に出会ったなぁ、と思わず感極まりました。



登頂寸前の映像なども拝見しましたが、壮絶な雪山の中、ワタクシにはなぜかマグ

マがどろどろどろ~っと噴出しているようにも思えました。


それは栗城さんのまさに命が、全身全霊・毛穴から鼻水から・・・液体・気体全てを

通じて流れ出しているからなのでしょう。



年始1月4日にはNHKにてスペシャル番組が放映されるそうです。


インターネット生中継でご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、そのような

映像もご覧になれるかと。これは間違いなく必見です。



そんな栗城さんが頻繁に使用されるのが、前述の「晴天無風」という言葉。


アルピニストのみならず、突き抜けた人だけが感じることのできる景色のようで少々

憧れでもあります。




一歩を越える勇気/栗城史多

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好きな言葉があります。



自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである

愛とは、つまりこういうことである


                                        (リマーク/池田晶子)



愛情の場面においてありうるだろう、お話。


相手に傾倒し、こうあってほしいと望み、思い通りにならない状況を憂い、考えることが理

解できず(読めず)、もはや過剰な想像力において、自分を消耗し、疲弊する。


相手は「別の人格」であるはずなのに、まるで我が事のように感情が揺れ動く。


気が付けば相手と同化している。

同じ人生を生きている。



そこに、境界線というものは、ない。


愛を注ぐ量が深ければ深いほど、おそらく「相手」=(≒)「自分」という公式が成立する。



池田晶子さん的解釈をすれば「つまり今、そこにいるのは’私’ではなくいったい’誰’なの

だ?」ということになるでしょうか。




そして別の抜粋。

目にするやいなや、びっくり。



つまり、私が「私」であるということを認識しない無意識の状態が、人にとって一番の理想

なのです。


他人のほとんどが、私が「私」であるという認識を感じさせる存在ですが、家族や恋人とい

時だけはそれを感じなくて済む。

その人と一緒にいることで、それまで常に囚われてきた自意識から自分を解放することが

できる。


言い換えれば、恋人とは、「自分」という意識から解放させてくれる、究極の「癒し」の存在

なのです。


                              (脳は0.1秒で恋をする/茂木健一郎)




前述で他人と自分は分けられない、と認識しておきつつ、また一方でその「他人」と関わる

ことが「自分」を解放し、ましてや究極の癒しともなりうるという。


共通事項として、やはりそこには「私」という自我は存在しなくなる。

そして新たに「融合」=(≒)「解放」という仮説が出現する。



哲学と脳科学の思いがけないマリアージュ?

おもしろい。


たとえば長期視点で考えると、究極の「理想のパートナー」とは、徹底的に自我を失わせて

くれる人のことかもしれませんね。



自分全崩壊。

自我全消滅。



禅問答のようですが、それをも厭わないと覚悟を決めたときに、人はようやく「自分」を知る

のだと思います。













わが不逞ブログを、開設当時よりご覧の御方は、多少記憶の片隅に残っているやもしれま

せんが・・・


保存メールという言葉で、ふと思い出しました。


ちょうど3年前のこの時期に受信したメール、たったひとつだけ、未だ保護されているものが

あります。




愛と情熱を注ぎまくった、昔のオトコからのラブメール。



なわけ、ありません。


「女は上書き保存」のとおり、ワタクシ一切の思い出は潔く消し去るタイプなので。

ま、「男」という点では間違ってはいませんが・・・



当時・齢10代の、よく知る青少年から貰った、心温まるメールでありました。




「こんばんは。今日は月が本当に綺麗に見えますよ o(^▽^)o」



たったこれだけです。


はい、愛の告白なんて仰々しいものではありません。



しかしながら、このメールを受信した当時の情景は、驚くほど鮮明に記憶に残っています。



吐き出す息の白さを感じる季節で。


ワタクシは東京ではない場所で、とぼとぼ夜道を歩いていて。


突然受信したメールに驚いて。


見上げた夜空は曇りひとつない「黒」で。


その日は、思わず食べてしまいたくなりそうな程の美しい満月で。




『あ、この子とは「繋がって」いるな』


そんなことを思ったのでありました。



多分、なにげない言葉の効用というものは、こういうところで如何なく発揮されるのだと思い

ます。

リリカルな、叙情的な感性はたとえ「オトメ」または「オトメン」といわれても、決して失われて

は(失っては)なりませぬ。


よってワタクシ、いかなる人間であろうとそんな言葉のマジックを日常的に体現している人に

強烈な興味を持たずにはいられません。



ま。



悦に浸っている時間があれば、いいかげん膨れ上がった電池パックに見切りをつけ、新しい

携帯に変えろーーーー!!!!というのがオチなのですが。。


この、徹底的ともいえる「物体」への興味のなさを、さすがにどうにかしたい今日この頃です。