こんにちは。原野未知です。
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?
私は、ちょっといろいろあって、気分が落ち込んでいます。
できれば、ごきげんで元気いっぱい!という毎日を過ごしたいところですが、生きていればいろいろありますよね。
でも、この「気分の落ち込み」、実は悪いことばかりではないのでは?と思っています。
というのも、自分がどんなことで落ち込んでいるのかな?と冷静な目で見てみると、わかることがいろいろあるからです。
例えば。
私は高校時代バリバリのテニス部で、高3のころは、県大会でなかなかいいところまで行きました。
そんな私が、もし今、大人気の大坂なおみ選手と試合をする機会に恵まれたとします。
夢のような時間ではありますが、勝てるチャンスはあるでしょうか?
ないです。もちろんないです。そんなの当たり前です。
勝つどころか、1本も返せないし、1ポイントも奪えない自信があります。
さあ、私はその試合の後で、落ち込むでしょうか?
いやいやいや、そんなわけないですよね。
全く落ち込みません。
なぜなら、勝てると思っていないから。
「あの時、もう少し前に出ていれば」とか、「あのショットが入っていれば」とか、そんなことすら思わないはずです。
だって、勝てるわけがないじゃないですか。
だから、落ち込まないんです。
と言うことは。
逆に考えれば、どんな試合の後で落ち込むかというと、「負けたけれども、もしかしたら勝てる可能性もあった試合」の後じゃないでしょうか?
年齢もレベルもテニス歴も同じくらいの人と試合して、終盤まで互角の戦いで、それで最後の最後に負けてしまったら、それは悔しいです。
落ち込みます。
めちゃめちゃ落ち込みます。
つまりは、「私なら勝てる」「私ならできる」と思っていたのに、負けてしまったときに、落ち込む気分が襲ってくるわけです。
私は私の可能性を、信じていたわけです。
毎日の生活の中で落ち込むパターンっていろいろあるけど、この
「自分ならできるはず」
「自分ならうまくやれるはず」
という期待があって、それなのにできなくて、それで落ち込む、というパターンは割と多い気がします。
子どもを鬼のように叱ってしまった日の夜の落ち込みは、つまりは、「優しくて穏やかなママでいたい」という自分への期待があって、それが満たされなかったことで落ち込んでいるわけですよね。
ということは。
逆に考えれば、「私は、本当はもっと優しくて穏やかなママでいることができる。そういうママでいたい」という自分の可能性を信じているということなんです。
自分ならできる、って知っているということなんです。
だから、落ち込むんです。
唐揚げがカラッと揚がらなかったときの落ち込みは、「私ならカラッと揚がったおいしい唐揚げを作ることができる」ってわかっているからだし、肉じゃがに今一つ味が染みてなかったときの落ち込みは、「私ならもっとおいしい肉じゃがが作れるはず」という自分の可能性を知っているから、ですよね。
ママ友に「どうしてあんなことを言ってしまったんだろう?」と思って落ち込むときだって、「私は友達と仲良くできる人だ」ってわかっているからですよね。
つまり落ち込んだということは、「私はまだまだ自分の可能性を信じているんだ、あきらめていないんだ」、ということがわかる、ということなんです。
そう思ったら、いつまでも落ち込んでる場合じゃないと思いませんか?
じゃあ、次にもっとうまくやるためには、どうしたらいいだろう?っていう風に気持ちを切り替えたらいいわけです。
次に活かすことができればいいだけですものね。
もちろん、そうは言っても、人間の感情はそう簡単にパパっと切り替えられるものではないかもしれません。
落ち込むときはとことん落ち込んでみるのも悪くはないかもしれません。
でも、いつまでも落ち込んでいても時間もエネルギーももったいないし、自分も周りもハッピーではないですよね。
そんなときは、ちょっと視点を変えて、自分の可能性を見つめてみるのもいいのではないのかな、と思っています。
そういうわけなので、私もそろそろ落ち込みから回復して、元気を出していこうと思っています。
皆様もステキな1日をお過ごしくださいね~♪