ミューズ | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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言葉の根拠というものについて考えてみたい。
根拠のある言葉ではなく言語そのものの根拠。
歴史といえばそれまでかもしれないが、気に掛かる
自然、人間、機械の序列の概念。つまり支配と利用、命令の系統。父なる時と母なる自然は死と再生で生物を利用する。

機械に意思は多分ない?ものに魂は宿らない?
人間には意思がある?多系統からのプログラムの錯乱ではなく。そして、自然にも意思はあるのか?決して自分の規則を破らない完璧な機械よりも完璧な自然。自然と壊れる機械。正しい知識に辿り着けばどんなことも半分までは変えられる人間。

社会を人間が創り出すのか人間を社会が創り出すのか。社会に意思はあるのか?人や生き物の痕跡は墓や骸以外にも読み取れる対象に読み取れられる以上の不思議な影響力を持ってはいないか。それを偶然か神か人間がアポロンとミューズの音楽と舞踏のように調和し表現し楽しませたのではないか?

人が何かを閃いた、思いついた、理解した、必要とした、気がついたから発明したり開発したり利用したりした機械や道具。自然の理とその中での物事と人が人なりにそれらを認知してある位まで使いこなせるようになれる事、その二重性が同時進行、介在している空間に発生するなにやら関係性というものに魂というのが宿るのではないか?

そういう人間に備わった力を把握したり感知できる心理的な構造というか認知や感覚、生き方、或いは趣きでおそらく辿るべし言葉の根拠。

嗚呼、無知の知よ、
ところが我々は、
知らない事を知っているのだ。




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