私は常々
兵法について考えさせられることがある。
というのも
「話がわからない馬鹿には
なるべく関わらないほうが賢い」
という呟きと
「力無き正義は机上の空論、
正義無き力は暴力である」
という格言を聞いてしまった為である。
無力と暴力の対峙
果たして本当にそうなのだろうか?
するとボンヤリと
牛殺しの幻影が我が眼前に現れて、
「喧嘩売られたら買えよ!喧嘩売る必要はない、
でも売られたら買えよ。
そんな覇気がなかったらやってもしょうがない、
そんな空手辞めてしまえ!」と、
こう一喝するのだ。
確かにボクシングにしろ武道にしろ格闘技にしろ
自衛の為に最低限の護身術として身につけていて悪いものではなく、悪いのは今回の場合では勿論電車内でタトゥーを露出しながら優先席に寝そべりタバコを吹かしていた輩である。
このような問題について我々文明人が話す場合には言語的に分節のような段階を踏みながら解析、導入的に誤解を招かないように話すべきであり、私はこの痛ましく惨たらしい事件をめぐって巻き起こった個々の意見とも言えないような意見などを参考に抽出した概念的なものをもとに古くも新しい兵法というものを妄想しその研鑽に努め、個人の頭の中で処理されている思考の過程の断片でも共有できないものかと試みてみようと思うに至った。
兵法①
兵法とは混沌の時代にあって生き残る為にとる手段であり、逆に現代的に言えば手段を選ばない手段とでも言ってしまえるかもしれない。
今回のケースでは、被害者は高校男子で喘息持ちという情報もあり、加害者は体重100kg程の漢と書いてオトコと呼べそうなタイプの成人男性のようで、タバコを注意された為に立ち上がり男子校生の間合いに無遠慮に侵入、威圧を行った。余りにも接近してくる相手を咄嗟に押し戻した青年に逆上した漢は一連の凄惨かつ残酷な暴行事件を起こしたという事らしい。
近代、現代でいうところの
競技の中でルールに則って行われるスポーツや武道や話が通じないやつには関わらなかったりブックを破ったりする格闘技などではなく、
古来伝わる兵法的に考えてみよう。
相手は単独で此方は複数だったとしても実際には防衛的機能を果さなかったように文字通り大人と子供の差があったわけである。中立の乗客達もただ傍観を決め込んでいたあたりは格闘技的精神に精通していたと言えなくもない。
そこで
兵法一/先手必勝
相手がタバコを嗜みながら優先席で寝そべり
窓の外を流れる景色を楽しんでいたとして
何故その時に仕掛けないのか?
兵法②
この事件の異常性の最たるところであるが
電車を降りた学童を追跡し観衆の前で土下座を強要、さらにはその頭を土足で踏みつけたとあるところである。これは今では何処に持っていっても通らない事だと思うが、漢が来たところでは通るのだろうか。中世的な敵対勢力や謀反、無礼に対する見せしめに相当する行為であり、武家社会などでの違反に対しての風紀としては認められる気もするが、一般論的には自分の傍若無人が事の発端であるのにもかかわらず何でやねんという認識だと思うので独裁者顔負けのファンタジスタであり、本物の独裁者は権力者なのに対し漢は電車に乗っているという点も腑に落ちない。
兵法ニ/柔>剛
まんまと土下座という体勢に持っていかれる事自体が非常に好ましくないが既にそのポジションに入ってしまったとしよう。相手に支配的な位置を取られてしまい、あまつさえ背中まで見せてしまっている状態。この体勢から状況をひっくり返すというのは十代と巨漢という前提上からも非現実的である。
そうなると、押してもダメなら引いてみる、である。つまり、そのまま平謝りを継続し相手の機嫌をとる。漢の感情の起伏に波が無くなってから此方もゆっくりと立ち上がり、お詫びと仲直りのしるしに一緒に帰ろうとでも言って次の電車を一緒に待つ。その間に軽い世間話、噂のビッグマッチについてなど、をするのがベターである。次の電車が着く頃には相手の警戒心もほぐれている頃なので、タイミングをみて素早く突き落とす。
兵法③
実際には
兵法一も二も選択肢には無いというのが
悲しいかな現実である。
何故なら大昔とかではなくて現代に兵法を持ち出したならば、それは多くの場合それを上手に現代に適合させる素質があったとしても法に抵触する事態となるからである。
兵法三/大和心
漢について考えてみれば、
この時期にタンクトップというのはそれなりに思い詰めての事だろう。そんな相手に普通そうな子供が普通そうな常識を普通に説いても仕方なし、注意したら事件に発展したように普通はキツくも言えもしない。この時期にタンクトップで電車の優先席でタバコを吸ったり吐いたりしているというのを目にした時点で一端の兵法者の脳からは危険信号が送られていなければならない。この人は勿論普通ではないかもしれないが普通になる気もないのだと。
勿論青年が直面した疑問も十二分に察する事ができる(寒風摩擦に行くのかな?そこは優先席だよな?まさかとは思うけどあれはタバコ吸ってるのかな?タバコがまた値上がりしたのかな?)と。しかし、明らかに誰かが注意してくれるのを待ち構えているような風体の漢に対してそんなに愚直に注意をするべきだろうか?
君子危うきに近寄らずの判断を下しその他君子大勢の列に加わるのか、あるいは、公共のルールと正義感で非の打ち所のない悪に注意をする市民的自警的風紀的番人的行動を取るのか。又あるいは、その人間の世界に踏み込んで誘惑や説得を試みその分を全うするのか。後者二者なら行動には必ず結果とリスクが伴う事を知り、それが理不尽で不条理で暴虐ですらあることをも知らねばならない。
漢に注意したところまでは良いが、
此方が誘発的にまんまと相手を突き飛ばしたというのは兵法的に見れば決定的な間違いであろう。
例えるならサッカーで言うところの
「故意のファウル」である。
子供であっても、
警察でも警備でも鉄道員でもなく、
ましてやボクサーでも空手家でも格闘家でもない普通のまともな人間として他人を注意した素人が、
やったやられたを仕掛けるのだから
大きな大きな間違いである。
正義とか無力とか暴力とか
馬鹿とか賢いとかじゃなく、
単なる傲慢から起こさなくても良い問題を起こし
怪我をした方もはっきり言えば間違いであり
弱者ならではの傲慢の連帯性を錯覚させて起こす
倒錯、これが社会問題の根本原理なのかもしれない。
自分の正義を翳し
数を連れて前に出て
いざとなれば力の行使も
厭わない…そんなもん
どっちが極道かわからへん。
そんな子供達に
極道やらせる親達もクレイジーである。
おまけ