たかり/二つの力 | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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人は誰しもがストーリー

各自物として語られる定め、そこで何より大切なのは、物を知るということ。

人には種類があり、物として自らを語る事で不自由になる人と、自由になる人だ。

社会は二つの声を同時に聴いている。
戦争をしなければならない、という声と、戦争をしてはならない、という声だ。何故なら戦争のみが我々をつくりもしものを発明もし革命をも誘発したからだ。

感覚として公務と芸術の関係にも類似した不調和や決壊。これが見事に芸術にならなかった時、全てはスライドして末端から現れるのは、あらゆる宅配や代行サービスにも観られるように、あらゆる局面で我々がそこに居ながらも居ない行動の多重性という言葉と金の必要性から生まれる分裂性という形骸化でもない実存。社会とサービス、取引する人間への采配、取引しない人間への采配、社会の構図は取引と都合のカタチの度合い。

人間性のヤクザ性とその社会復帰と疎外化の帰属化。何かの話にして皆んなで何かをする事がやがて正義を正義と無関係にし正義を各自から奪う事で、正義自体を禁じる法律や企業が人間の活動を管理する。

しかし

ものの生成はその管理と野放しの狭間に発生する。





フィールディング戦の直前の三日間

カネロが兄弟を誘拐され交渉していたと告白。




トリラーのボスが


いくつもの犯罪予告をされる。


東西南北や時代を問わず

金になってもならなくても

試合前のボクサーの周りや
ボクシングには必然的に
色んな事が起きる。


老若男女ではなく本質、

ものの話である。

何でもない連中が何かになりに集まり
何者かである事は稀であることから

何者からしい連中が遊びに来たり、屯ったり、浸ったり、証明しにきたり、場を取り仕切りにきたり、権益を張りにきたり、運営しにきたりする

あるいはどちらでもないが都合や気分でどちらかに自由にスライドできると勘違いしているやつらにすら

血と汗と涙を

そしてとりあえず金は要求する

世界の箱。






おまけ