ボクシングは科学か?⑦—P4P vs TBE— | ボクシング原理主義

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ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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最初は遊びや真似が科学や芸術の道に続いていて

子供のように文化を憧憬、渇望、求愛し

凡ゆる背後の権威を認めたり信じている

それが人間にとっては何気に大切だと思っている



現在p4pランキングで現実的に1位を欲しいままにしているのは紛れもなくカネロであるが、ドーピング問題や各階級の現行の代表格を避けながらの三階級同時制覇?という記録作りを考慮して当ブログではあんまフェアなスポーツ性ではないんでは?という理由からランキング外である。実際に井上がトーナメントを優勝しても二団体統一にとどまったように複雑な現代の仕組み上仕方がないという便宜も勿論図れるが。

しかし、例えばp4pを体重などを排除してより本質的な意味で各身体的な要素やボクシングそのものの評価、つまり、実際的で効果的なスキルのみを対象としてみた場合にはカネロは実はランクインすべきところにあるように思えるが、またもやドーピングやキャッチや相手の選び方がその審査を困難にしている、ということで原理主義ではランク外にしてある。

この事に巻き込まれてランク外になってしまったボクサー達の事も踏まえてのランクインは傾向を安易に加速させる事と今後そういう事したりされたりする立場のボクサー達と周囲に最善の準備を強いる為にも泣く泣くのランク外。こういうの考えるとボクシングがハーデストスポーツなのかもしれません。


まあなんというか、

例えばカネロが日本でやる夢と一部からの村田によるカネロ成敗!が一致して問題なく許容されれば、同じ理屈で井上vsネリーも日本で興せるわけで、実際分別を抜いたただの傍観者とはそういうボクサー達の対戦の内容と結果が観たいのであって、その経緯やそれによる選手のモチベーションや状態、その善悪の属性やそれにとどまらない人間的な強度やタイプにやり方など、そちらこそが本質的に興味の対象といえば間違いではないかもしれないし、女子供のイノセンスの獲得ができれば皆んな大満足の成立を見るだろう。全ては月影の如くである。ただ、そうやって分別を失った理屈でのみ大金が動くようになった時、スポーツは死を迎えるのだろう。なんにせよ善玉も悪玉もストレスアウトして憤激しながらスポーツと向き合っているという意味ではおそらく同じで、興味本位のみで見る分にはカネロ村田も井上ネリーも大いに結構です。なので私個人としてはカネロにはアンドラーデ、ネリーにはウォーレンとやってほしいという思いしかない。ボクシングというのはスポーツの中でも一番無造作に、自分の為に立ち上がり戦うチャンスを獲得していく、という事に繋がっているのだから。




本題に入りますが、ボクシング。


ボクシングは進化しているか?
勿論地球は何回も回ってるんですからそうでなければいけないはず。すると、ズバリそれを成し遂げた人物とオールタイムパウンドフォーパウンドを比べると


レイ ロビンソン 対 フロイド メイウェザー 


となる。



ロビンソンを頂点とした永遠の問いとしての
Pound for Pound

メイウェザーが名乗る
The Best Ever


パッと想像するなら

オフェンスやパンチ力はロビンソン

ディフェンスはメイウェザーかと思うが

どうなんだろう?


メイウェザーこそが現代のボクシングをスキル、ビジネスのみならず、真似や踏襲されながら影法師達とのそのズレが感覚的にも顕著なある種の原則的な位置としてムーブメントや人気を起こしてきた象徴的な存在という意味で代表ボクサーというのは間違いない。


メイウェザーにしろロビンソンにしろ戦績やキャリアの長さ、階級を効果的に上げつづけれた事といいボクサータイプでファイタータイプの宿命のウォッシュアップとは関わりのないスキルが強みだったわけである。



コメントに書いたブリスコ、グリフィス、モンゾン、ハグラーとミドルのオールタイマーと軒並みやってるのは現代でいえばホプキンスやモズリーか。結局メイウェザーが現代の誰皆んなと戦っている。




P4PとTBE
彼らより以前にジャック ジョンソンがそうしたように、ボクシングで成り上がり独立し世界を股に掛けて自由を求めた。その根源たる規範と姿勢、ボクシングをより忠実に極めたが故にボクシングの枠に収まらなかった特別さについておって考えてみたい。







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