ボクシングは科学か?②—死者の書— | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
おまけ機能搭載


めくるめくパウンドフォーパウンドを考える時には凡ゆることに直面する。


まず①で導き出された、原理原則に立ち戻ってみても現実的にp4pが担ぎ出されるようにやはりボクシングもまた天秤を廻る輪廻転生の物語のようであるっちゅう説を支える前提である、そもそもボクシングをする人間とそのそもそもの生命の本質が死と再生を繰り返す生命の神秘の只中を通っているんだという争うべからず事実をまず整理しておく事ができないと話にならんという事ですかな。

そして、その良くまとめられた書のような認知が丁度年の変わり目に打ち上げられる花火のように、辺りに照らし出される様々な面や線や点に分解していくのではなく到達してゆく事で社会や経済や大衆という怪物とも呼ぶべき獣の持つダイナミックスやボクシングそのものにあるダイナミズムや事物や我々自身のデュナミスを思い知る道において然るべき生活や経済や道徳による実際的な秤の扱い方に密接に絡まっているようで隔てられている何か別の図らいと秤に乗せる事ができるものを示してくれるということも。

こうして観ると、真理や美や三つ目の瞳やココロの話なのかもしれませぬ。

たしかに、初めて殴られ口にした自分の血は鉄の味がして生命の神秘性と機械性の入り混じりを感じ不思議だったものですが、そんな味のしない陳腐な記号や言葉や数字やランキングはボクシングに相応しくない、と文字の亡霊達が囁くのである。


という事で

階級に恩恵をもたらすというp4pの用法から転じて各階級の価値を先ず考える事から始める事に。歴史などを考慮するとオリジナル八階級以外の価値は暴落してしまうし、まあ恣意的になるでしょうが、人間だもの。





おまけ