
「ボクサーの紹介だ。
紹介するボクサーはバーノン・パリス。
アイスマンのニックネームを持つボクサーパンチャーだ。
昨日ESPNのフライデー・ナイト・ファイトという全米放送でマニュエル・ペレス相手に10回ユナニマス判定勝利した。
パリスのハイライト
ハードな来歴の持ち主で、元は才能に恵まれたアマチュアであのクロンク・ジムに所属していた。2006年にプロデビューしたが同年の夏に殺人未遂されて、銃弾を三発も浴びてしまう。
撃たれた場所が脊椎に近かったらしく弾はまだ身体の二箇所に残ったままらしい。
そして2008年には、ご近所さんと口論になり七度も刃物で刺されるという事件にも巻き込まれる。」

「まさにゾンビさながらのバンピーな生活を送ってきた彼がそういった障害や怪我を乗り越えられたのには、生まれてきた愛娘の存在があった。
心を入れ替えたバーノンは2011年にドン・キングと契約し、去年遂に大きなチャンス、ザブ・ジュダーとの対戦に漕ぎ着けた。
しかし結果は・・・

ところで、ボクシングにおける選手の売り出し方というのには多様性があるね。
この選手も試合前の薬物検査ではマリファナの陽性反応を何度も出したりとトラブルメーカーだが、そういう選手ほど愛嬌があるものだ。ジュダーだってそうだろう。
サンタクルズのように母親に家を買ってあげるモチベーションを語る選手もいて、これもとてもいい話だ。
こうしてみると、ボクシングというのはフォークロア的な側面を有していると感じる。
純粋にボクシングのみを吟味されてボクシングが民衆文化的、大衆娯楽的な発展を遂げた筈が無い。人が価値を投影するものは科学ではなく、やはり、人間の心をさぐるドラマ、選手が人々のイメージの実現の象徴たりえるための芸術的手法にあると感じる。
従って、そういう事を理解している政治的能力をもったプロモーターや選手というのが成功するという事なのだろうか。
しかし、近年では人々の関心も変質しつつある。
メイウェザー対ゲレロでは、ゲレロのヒューマニズム溢れるバックグラウンドや、HBO時代に創られたメイウェザーのヒールなイメージからの脱却が試みられたがPPVの売り上げ自体は予想を下回ったそうだ。ゲート収入の方は高かったらしいが。
つまり、世間のボクシングに対する関心というのは常に変化している。」

「すると、実力重視なのかな?
まぁ、ゲレロだって相当なボクサーなんだけどね。」
「う~ん・・・ボクサーも個人事業主なわけだから、こういう勉強もせにゃならんのかな?」
おまけ