「ふさわしくない」
この言葉ひとつで、どれほどの、やりたい事を諦めてきたか。まるで水戸黄門の印籠だ。
「ふさわしい」とは、「相応しい」と書く。
調べたら、特定の人、または出来事の精神と調和している 。正確に適合していて、正しいさま 。習慣または礼節と一致する 、との意味。
とりあえず、判断のための言葉。ジャッジするための言葉だ。
事あるごとに、ごくごく細かい、些細なことをいちいち取り上げ、ジャッジした母親。
服装から、髪型、見るもの、聴くもの、読むもの、趣味、嗜好、時間の使い方、交友、今やる事、将来の夢、、、
生き方すべてにおいて、毎日、毎日、毎時間、毎分、すべてジャッジされた。
母親に、長老に、組織に。そして自分で自分をジャッジした。
特に、母親は、子どものする些細な事を、一挙手一投足、ジャッジし、何かと理由をつけて、否定して、自分の自己重要感に酔う。そんな愚かな母親だった。
恨む気持ちも、憎む気持ちも、もはや手放した。
でも、時々、どうしようもない悲しさ、切なさがこみあげる。失った時、若さ、経験値、気力はもう戻らないから。
それでも、生きていくよ。
今を。
失ったものは戻ってこないけど、今は、誰からもジャッジされず、すべてにおいて自由だ。
それは、すごく幸せなことだ。
ジャッジされない、ということは、自分のこともジャッジしなくなる。
エホバの証人を辞めたら、少し、自分が好きになれた。
それは、本当に幸せなことなんだ。辞められた事に、心から感謝。
勇気を出して、辞めた自分、なかなかいい感じなんじゃないかと、少しだけ思えるようになったよ。
色んな方々が、気持ちの整理を終え、
ブログを卒業していくのに、
自分はいつまでこだわってんのかなぁと、
ちょっと情けなく感じたりしてるのですが、
(あ、ブログを続けるのが、情けないという
事ではなく、卒業するする言いつつ、
どうしてもこだわってしまう自分が
情けないと言う事です)
それでも、、、まぁ、いっかと。
そんな過去にいつまでもこだわる自分も、
親が許せなくて、ドツボにはまる自分も、
立派な人格の親御さんを持つ、
元二世の方を
なんとなく嫉妬してしまう自分も、
醜いと言われるであろう感情を、
ただ感じて、噛み締めて、
否定せず、白黒つけず、
「そう感じたんだねー」と
受け止めていければいいと
思うようになりました。
過去にしても、今にしても、
汚い感情も自分自身であって、
そんなの
「愛がない」とか「ふさわしくない」とか、
「そんな風に思っちゃダメだ」とか、
親に言われたように、
自分自身で言わないように、
ただ、受け入れ、抵抗せず、
感じてあげようと、思いました。
JWって、本当に白黒思考で、
断罪体質。
いつも人も自分自身も、見張り続けて、
これはいい、
これはダメ、
これくらいならいいけど、
ここまではダメ
みたいにねー、常に。
疲れるよ。精神病むよ。
本当の神さまは、きっとそんなんじゃない。
そんな、ちっぽけなのは、
真の神さまじゃない、、、
と、わたしは最近思うのです。
自分を常に断罪しなくて良い、
本当、生きるのが楽になりました。
ブログを卒業していくのに、
自分はいつまでこだわってんのかなぁと、
ちょっと情けなく感じたりしてるのですが、
(あ、ブログを続けるのが、情けないという
事ではなく、卒業するする言いつつ、
どうしてもこだわってしまう自分が
情けないと言う事です)
それでも、、、まぁ、いっかと。
そんな過去にいつまでもこだわる自分も、
親が許せなくて、ドツボにはまる自分も、
立派な人格の親御さんを持つ、
元二世の方を
なんとなく嫉妬してしまう自分も、
醜いと言われるであろう感情を、
ただ感じて、噛み締めて、
否定せず、白黒つけず、
「そう感じたんだねー」と
受け止めていければいいと
思うようになりました。
過去にしても、今にしても、
汚い感情も自分自身であって、
そんなの
「愛がない」とか「ふさわしくない」とか、
「そんな風に思っちゃダメだ」とか、
親に言われたように、
自分自身で言わないように、
ただ、受け入れ、抵抗せず、
感じてあげようと、思いました。
JWって、本当に白黒思考で、
断罪体質。
いつも人も自分自身も、見張り続けて、
これはいい、
これはダメ、
これくらいならいいけど、
ここまではダメ
みたいにねー、常に。
疲れるよ。精神病むよ。
本当の神さまは、きっとそんなんじゃない。
そんな、ちっぽけなのは、
真の神さまじゃない、、、
と、わたしは最近思うのです。
自分を常に断罪しなくて良い、
本当、生きるのが楽になりました。
すみません、以下、JW両親に対する愚痴です。
良い精神状態じゃないので、読む方移るかも。ごめんね、でも言いたい。
あー、うちの親が、義祖母が亡くなったのをいいことに(勝手に聞きつけてきた)「愛する人が亡くなったときうんちゃら〜」みたいなブロシュアと手紙を義両親に送りやがった!!がーっ!!怒
10年顔合わせさせず、去年、やっと初めて顔合わせした。オエオエしながら会わせた。
したら、間髪入れずに証言だと。
良い精神状態じゃないので、読む方移るかも。ごめんね、でも言いたい。
あー、うちの親が、義祖母が亡くなったのをいいことに(勝手に聞きつけてきた)「愛する人が亡くなったときうんちゃら〜」みたいなブロシュアと手紙を義両親に送りやがった!!がーっ!!怒
10年顔合わせさせず、去年、やっと初めて顔合わせした。オエオエしながら会わせた。
したら、間髪入れずに証言だと。
あー、色んな意味で断絶したくなる。クソ宗教。クソ親。なぜ、せっかく死ぬ思いで作った安全な居場所に、土足で入ってくるのか。
それも良かれと思ってだよ。死んだ人に希望がある、ってさ。毒親だったことはすっかり忘れて愛情深い親のフリ。
延長コードの束で、高校生のあたしのお尻をこの世的だとか、マンガ読んだとか言って叩きやがった。教育者の義両親に言ってやりたい。
いい親ヅラして。頭くる。ふざけんな!
う ちの親は、バカなのか?あの組織がクソなのか?
もうやだー。。・゜・(ノД`)・゜・。
失礼しました。
それも良かれと思ってだよ。死んだ人に希望がある、ってさ。毒親だったことはすっかり忘れて愛情深い親のフリ。
延長コードの束で、高校生のあたしのお尻をこの世的だとか、マンガ読んだとか言って叩きやがった。教育者の義両親に言ってやりたい。
いい親ヅラして。頭くる。ふざけんな!
う ちの親は、バカなのか?あの組織がクソなのか?
もうやだー。。・゜・(ノД`)・゜・。
失礼しました。
ローマ12章か?
「自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ~健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。」
この聖句のおかげで、どれだけ自分の気持ちを無視し、踏み潰してきたことか。
自分の気持ちがくだらない、取るに足りないもので、自分の感じたことや、快不快や、直感を信じず、どれだけ、「自分」の感情を粗末にしてきたことか。
うちの両親は、この聖句が大好きだった。事あるごとに、子どもに当てはめて、子どもの気持ちを踏みにじる免罪符にしていた。愚かな親だ。(うちの話です。毒親だから)
ほんの少しでも、自分の希望を口にすると、この聖句を持ち出された。
「自分のことを必要以上に考えない!!!!怒」
いつしか、自分の希望は口にしなくなったし、心に上ることさえも、自分自身で戒め、自分をコントロールするようになった。自動的に。
今でも、その癖がなかなか抜けない。
気付けばいいけど、気が付かないで、自分で自分をいじめて、自分責めして、悦に浸っていることがある。
この聖句はパウロが言ったのか?パウロは、個人的には昔から大嫌い。
これは、しっかり自分を持っている人が、適用するのはいいが、幼い時から、調教されてきた二世がまんま当てはめると、精神的に病む。
イエスは言った、「自分自身を愛するように、隣人を愛せよ」と。
まず、自分自身が自分を好きでないのに、ひとにばかり気を使って、愛を示しているフリをするからおかしくなるのだ。
エホバの証人の教えは、自己犠牲しすぎる。
自分を信じず、愛せないようにする。
ここが、悪魔の教えだとわたしは思うのです。
二世のブイブイな長老は、プライドが高い人が多い。それは、劣等感の裏返しなのではない。自分の核を持たないJW二世。
脱塔した時のわたしは、▽←こんな感じに頂点で立ってるイメージだった。
核がなく、基礎がなく、土台がなく、グラグラな自分のアイデンティティ。気が狂うかと思った。
組織を、自分のアイデンティティにしていたから、失くした時にそうなったんだね。
ひとを骨抜きにして、無能にして、個を潰す組織。まさに光の使いに変容させている、狡猾な悪魔の使者なのだと思う。
人によって考え方は様々だが、わたし自身は、自分の体感した事は、真実だと信じてあげたい。
「自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ~健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。」
この聖句のおかげで、どれだけ自分の気持ちを無視し、踏み潰してきたことか。
自分の気持ちがくだらない、取るに足りないもので、自分の感じたことや、快不快や、直感を信じず、どれだけ、「自分」の感情を粗末にしてきたことか。
うちの両親は、この聖句が大好きだった。事あるごとに、子どもに当てはめて、子どもの気持ちを踏みにじる免罪符にしていた。愚かな親だ。(うちの話です。毒親だから)
ほんの少しでも、自分の希望を口にすると、この聖句を持ち出された。
「自分のことを必要以上に考えない!!!!怒」
いつしか、自分の希望は口にしなくなったし、心に上ることさえも、自分自身で戒め、自分をコントロールするようになった。自動的に。
今でも、その癖がなかなか抜けない。
気付けばいいけど、気が付かないで、自分で自分をいじめて、自分責めして、悦に浸っていることがある。
この聖句はパウロが言ったのか?パウロは、個人的には昔から大嫌い。
これは、しっかり自分を持っている人が、適用するのはいいが、幼い時から、調教されてきた二世がまんま当てはめると、精神的に病む。
イエスは言った、「自分自身を愛するように、隣人を愛せよ」と。
まず、自分自身が自分を好きでないのに、ひとにばかり気を使って、愛を示しているフリをするからおかしくなるのだ。
エホバの証人の教えは、自己犠牲しすぎる。
自分を信じず、愛せないようにする。
ここが、悪魔の教えだとわたしは思うのです。
二世のブイブイな長老は、プライドが高い人が多い。それは、劣等感の裏返しなのではない。自分の核を持たないJW二世。
脱塔した時のわたしは、▽←こんな感じに頂点で立ってるイメージだった。
核がなく、基礎がなく、土台がなく、グラグラな自分のアイデンティティ。気が狂うかと思った。
組織を、自分のアイデンティティにしていたから、失くした時にそうなったんだね。
ひとを骨抜きにして、無能にして、個を潰す組織。まさに光の使いに変容させている、狡猾な悪魔の使者なのだと思う。
人によって考え方は様々だが、わたし自身は、自分の体感した事は、真実だと信じてあげたい。
最近、イロイロあり、眠れなくなり、
睡眠導入剤が欲しくて精神科に
行ってきました。
その病院は初診なのでね、
問診票、エホバの証人の事を
バッチリ書いてきました。
両親がエホバの証人の超熱心な信者です、と言っただけで、お医者さんは、スムーズに理解してくださいました。
「ああぁぁぁぁあー、あのエホバの証人ってのはぁ、合う人には合うのかな」
「いいえ、特にやらされていた二世は確実に精神を病みます!」
と、言ってやりました。
臨床心理士さんと、精神科のお医者さん、ふたりに非公式の逆証言してきました。
まぁ、神権学校で散々訓練されましたからね、効果的な証言が出来たかと思います。
壊れた二世が少しでも元気になればいいな。