今回は急な日本帰国で、息子を幼稚園に入れるつもりも無かった。色んな手続きであちこち出向いたりするのに、連れていけば良いと思っていたけど、

やっぱ無理〜笑い泣き

遊びが仕事の4歳児。

銀行とか連れて行ってもなんも喜ばん!

家の片付けやら息子がいたら無理!


息子に、〇〇幼稚園に行きたい!と懇願される泣き笑い


って事で、今回も急ながら、昨年預けた幼稚園にいきなり電話して、明日から良いですか?とお伺い立てたら即オッケーニコニコ


また区役所で書類もらって提出しなあかんのかな?

と思って区役所行って住民票戻したけど、言わなければわからないことだった。。


上履きは持ってきてなかったから、西松屋に買いに行った。無地のは490円位であったが、ちゃっかりプラレールの999円を買わされたチュー


今持ってるサイズより1cm大きいのを買ってみた。

そしたら今のがサイズアウトしてもカナダで履けるしねニコニコ


名札は前回のが残ってる!まだ同じ年度だから、

クラスも変わらないし、メンバーも秋のままらしい。


先生もみんな覚えててくれて、またしばらく来るの〜?マミちゃん(仮名)が喜ぶわ〜。あの子、〇〇君のこと、かわいい〜って言ってたから爆笑



って、女の子にかわいいと言われる息子笑


というわけで、明日から息子また幼稚園行きます。



おわり


 おお〜!こんな全体がプラレールのもあるんだね!

お値段も上がりますな。




 

お悔やみのお言葉ありがとうございます

コメントはしっかり読ませて頂いてます。



月曜日、無事にお通夜を終えました。


甥っ子と息子。隣同士座ってだけど、歩き回ることもなく、途中でお導師さんの行った事を真似てみたり、「もう終わる?」と参列者に聞こえるくらいの声で聞いてきたり、ヒヤっとした事もありました。そしてお通夜は夜の18時から。

まだ絶賛時差ボケ進行中の息子。

眠気が来ました笑い泣き私の膝にコロン。


こらー!今寝ないでくれよー!

お焼香に立てなくなる〜ガーンとドキドキしましたが、寝ることはなく、、(良かったチュー


私に何やら耳打ちして来た。


「悲しくなってきたぐすん


って言ったんです。



なんだか、私は息子がそういう感情になってくれたことが嬉しくて、そう感じてくれただけでも、息子を日本に連れてきた甲斐があったと思いました。


「それは当たり前の感情だよ。人が死ぬと悲しいんだよ。お母さんは、○○が、おじいちゃんが亡くなって悲しいって感じてくれたことが嬉しいよ。」


と言いました。


お通夜前までは、父が眠る布団のそばをドタバタ走り回ったり、じぃじぃ、死んじゃったんだよね。これからどこ行くのかな?とか、あと覚えてないけど、子供ならではの面白い事も言うてた。


湯かんといって、納棺前に遺体の身体をお風呂に入れて、綺麗にして極楽浄土へ行く準備をする儀式があったのだけど、死装束をした父が棺に入った後、たくさんお花を丁寧に入れてくれてたニコニコ


ずっと息子の記憶に残るといいなーと思う。



おわり







3日くらい前。左目にやたら目ヤニが多くて、コンタクトレンズが、曇って見えない!!←え?それ。


何かしら感染してる様子。

日本に来る日から眼鏡で過ごしてる。


左目が治ってきたかな?と思ったら今度は右眼ネガティブ


いや〜、もうこのタイミングでやめて〜ガーン

父の顔がよく見えない!!

葬儀屋さんの顔も見にくい!っていうか、眼鏡コンプレックスあって顔上げられん!


おまけに12月に引いた風邪以降、ずーっと喉やられてて、ついに声を半分失ってガラガラ予防

親族控室が無駄に暑すぎ!半袖で過ごせちゃう。

カナダの自宅よりも暑い!!←これはなんとか調節出来た!


あ〜、とにかく早くこの眼の不快感治ってほしい魂が抜けるこんなこと初めてだわ。どっから感染したのか?


住民票も戻す時間も無くて国民健康保険もない状態悲しい

お葬式終わったら、1番に眼科に行きたいえーん



おわり











ウエストジェットに定刻で搭乗したにも関わらず、機内で2時間待ちまして、当然到着が送れ、自宅に到着したのは0時前。


玄関開けといてくれて、家族みんな寝てた〜泣き笑い

まあ、寝といてと言ったからええんですけどね。


で、息子は成田到着前から自宅までのバスやら新幹線内やらでずっと寝ていて、自宅に到着した頃はカナダの朝真顔元気ハツラツでした。

一方私は、もう40時間以上寝ていなくて、ヘロヘロ。4時半頃ようやく少し寝れました。

が、7時には起床。


父が安置されている葬儀屋さんへ向かいました。

前日は安置室にいたそうですが、親族控室に移されていました。


お父さん。

当たり前だけど冷たかった。


私が、「火葬前に父に会いたい」って言ったのと、六曜カレンダーの関係で、日曜日にゆっくり父と丸一日対面する時間が持てた。家族葬予定だったから、お通夜、告別式には呼ばない人も来てくれて、堅苦しくなく、親戚一同にも合うことが出来た。


母方の従姉妹とは、割と付き合いがあったけど、

父方の従兄姉達とは、半ば疎遠になってたから、改めて会えて良かった。

偶然、父が亡くなった日に京都に来ていたっていう父の妹や、フランス在住の従姉も一時帰国していて会えた。


父がみんなを引きつけたのかな。


30年ぶりに会う従兄姉達もいたし、その子供達もすっかり成人していて、時の流れを感じた。


たまたま父の写っている写真見つけて持っていっていたので、昔話にも花が咲いた。


悲しいのは間違いないけど、カナダに住んだ時点で親の死に目に会えないことは覚悟はしていたし、本当に急逝だったので、病に長年苦しんだと言うこともなく、床に臥せることもなく、良い形で逝けたのかな〜と思う。



父、安らかに眠っていた。



おわり


ブログにタイムリーに書くのは迷いましたが、私のブログはありのままの気持ちをいつもぶっちゃけて思いのままに綴っているので、自分の記録として書いています。内容が重いのでスルーしてください。


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実父が亡くなりました。享年86歳

90歳まで生きる!と9月に帰ったときは元気に言ってましたが、願い叶わずでした。

父方の祖父も同じ歳で亡くなった記憶があるから、父の寿命を全うしたのだと思います。


ただ、あまりにも急でした。持病も特になく、大きな病気は40代の頃にストレス?で十二指腸潰瘍になり手術しただけで、きれいさっぱり完治!それ以降は大してお薬も飲まずに、一人で参加可能な80歳までは、歩こう会に毎週のように行ってました。


そのお陰様で、数年前はフラリと行方不明になり、随分遠くまで歩いて行っていて、様子がおかしいなと、思った通行人の方が警察に連絡してくれて、発見されました。


それ以降、家に一人で居ると徘徊してしまうというか、散歩に出たら帰り方が分からなくなるときがあるようで、リハ中心のデイホームに週に4回ほど通所していました。


若い頃は、年取ってあんなとこ行くの嫌やな〜。と言ってましたが、行ってしまえば、カラオケしたり脳トレしたり、ジムにあるようなマシーンに乗ったりいろいろ楽しんていたようではあります。


私がカナダに来てからは一緒に住んでいなかったし、私も毎日電話するマメな人間ではないので、軽度認知症と言われた、父の認知症進行具合とかわかりませんが、一度も私を誰かと間違えた事はなかったし、息子の名前も呼び間違いはあってもちゃんとわかってた。私がカナダにいるのか東京にいるのかはたまに分かってなかったけど(笑)


1月末に両親、妹、甥っ子と同居者がみんな風邪を引き、妹と甥っ子は回復したものの、母も回復に時間がかかり、父はその風邪から一気に体力、食欲が落ちて、寝込んでしまったようです。

何故その時点で病院に連れて行かなかったのか、と母や妹を責めたくなりましたが、そんな事遠く離れて暮らしている私に言う資格はありません。母と妹には感謝しないと。



母が自身の通院から帰ってきたら、意識がなく、呼吸しているかも怪しい状態だったので、救急車を呼んだらしいです。救急隊員によると死後硬直が始まりかけていたとか。


一応、自宅での死になるようなので、病院で死亡確認をしてもらった後、自宅には警察が現場検証に来ていました。母と妹あたりが疑われるパターン。介護疲れによる虐待とかね。

まあ、事件性はないとのこと(当然)ですが、こういう場合は警察が遺体を預かるようです。検視?

病院から警察署へ一旦連れて行かれたらしいです。



死因はまだ母と妹からも聞けていませんが、もう老衰だったんじゃないかなと思ってます。そして、大して苦しまずに静かにスーッと息を引き取ったんだろうなと思う、

お父さん、一人で逝かせてしまってごめんね。


8時には朝ごはん食べてて、母が帰宅した12時過ぎの間の出来事。確認された死亡時刻は13時18分でした。


去年の9月、急遽、時間ができたから一時帰国したんだけど、あの時帰ってて良かったなと思う。いつも今回が最後かもしれん。という思いで日本をあとにするけど、今回はほんとうに最後になっちゃった。


お父さん、今会いに向かってるからね。





おわり