私もどちらかと言えば
コミュニケーションが苦手な方です。
こうして
文章にするのは大丈夫なのですが、
会話というか
ライブで言葉を交わしていく時は
うまく言語化するのが難しいと感じます。
特に私の場合は
仕事でもプライベートであっても
先に映像や音みたいな何かがあって
それを言語に落とし込んでいくので
渡された言葉からまた言葉を渡す時に
正確に言葉にしたいと迷走したり
次々とやってくる絵や音の整理をしたりで
妙なマがあったり、
妙な相槌があったり
時に端的過ぎる返しになってしまったりします。
さて
希望や要望を伝えたり
深いコミュニケーションを取ろうと思うと
なかなか勇気がいる
という方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
コミュニケーションというものによって
自分や相手が不快になってしまわないように
と考え過ぎてしまったり
自分の感じている事、考えている事に自信が持てなかったり。
何故、「不快な結果」を想定してしまうのでしょうか。
よく思い直してみたら
コミュニケーションは価値観の交換に過ぎません。
価値観というものには
優劣も無ければ
善悪も無い。
またコミュニケーションによって得たい「結果(ニーズ)」
もまた優劣や善悪といったもので判別出来るものでは無いのではないでしょうか。
価値観は
「ただ在る」もので
そしてその交換によって、新しく必要なものが入り古いもの、機能しないものは手放されていくもの。
ニーズは豊かでより素晴らしい理解と共有、共存を目指すもの。
だから
「希望」を「私」を主語にしたコミュニケーションは
何もコワイものでは無いと思います。
その始まりは「和」や「愛」なのですから。
何に歓び、何を楽しみ、どんな幸せを体験したいのか
私を紐解いて、開いていくコミュニケーション。
また、誰かが見せてくれる、教えてくれる世界も
面白がって探検してみる。
何かを思い通りにコントロールしたい
と思うと苦しくなるかもしれません。
そもそもコントロール出来るのは自分だけなのですから、深呼吸してシンプルにニーズを開示してみると
沢山の変化が訪れるかもしれません。