◯◯派
というような話を書いてきましたが。
現状で人は何故か「分ける」のがお好き。
コレは良くてコレはダメ
全ての事がまるで繋がってはいないように
一方の世界だけを見て
その世界こそ正解であり、もう一方はダメだと判断したり、切り捨てたり。
さて、
皆さんは陰陽太極図を見たことがありますか?
陰陽太極図はこういう図の事です。
白と黒にしっかり分かれていて、、、
と、見えますが
実は、白と黒、両方でヒトツの円となっていて、
実はこの白と黒の間は分かれているのではなく
繋がっている。
また黒の中にも白があり、白の中にも黒がある。
そうなんです。
片方しか無い
スッカリ分かれているように見えるもの。
陰と陽
男と女
善と悪
これらは一見二分されているようですが、実はヒトツの世界を作る極と極。
例えば、
「私は感覚派なんで論理的な事はちょっと、、、」なんて言う場合。
感覚派というと、
さも脳や理論的なものではないところで
「感じている」と感じている事がありますが、
感じた事はもちろん脳にも伝わっていますし、
全身で感じたソレらは超感覚と共に、
スッカリしまいこんでいるこれまで積み上げてきた経験や学びと言った、潜在意識からも
必要な情報を読み取っています。
自分でこと細かく、それらの情報をどの部分から引き出したかをいちいち判断出来ていないだけで、更に言えば「感覚派」というモノを好んでいるだけ。
ですので、現実的や理論的な潜在意識から取り出した情報も「感覚で捉えた」と意識したいのでそのように意識する訳ですね〜。
間違えては困るのが、
コレが悪いと言っているのでは無いという事。
ヒトツの世界のみに注目して、その他の世界を認めない事に問題があるんですよね。
それぞれが持つ価値観はどれも等しく素晴らしいので、あくまで自分の好みとして◯◯派と選択はするけれど、その他の世界もアリで、私の選択する世界と共にヒトツの世界を創っている。
この所謂極性の法則が理解出来ていたなら、
自分の世界と他を比較したり、優劣をつけたり、攻撃したりする事に意味が無いと実感出来ます。
分けるのではなく、「選ぶ」
選ばなかった方にも意味や存在価値が選んだものと同様にあるのです。
もっと軽やかに
もっと柔軟に
自分の選択
自分の世界を知って欲しいなら
もうヒトツの世界を否定したり攻撃したりするのではなく、
自分の世界を公開する事。
何故選んだのか。
自分の世界の魅力は何処か。
強要やコントロールをする目的ではなく、
純粋に自分の中の愛を語ればいい。
否定や攻撃こら始まるモノに出くわしたなら、
先ずは自分から、自分という生き方が持つ愛を表現してみよう。
そう言えば、
私が1番最初に啓示を受けた時、
「愛を語りなさい」と言われたんだったなー。
と懐かしく思い出しつつ。