(まあ、何故それが起こるかと言えば、根っこは本人の意思という事になるのですが^_^;)
知り合いであったりして
例えば
カウンセラーに
「どうすればいい?」と深い内容を相談したり、
ボディセラピストに
「肩が凝るの〜」と施術をして貰ったり、
ヒーラーに
「私の◯◯は何ですか?」と質問したり、
※例えば過去世とか、守護者とか、或いは別のヒーラーのセッションの内容説明とか
ミュージシャンに
「一曲やって!」とお願いしたり、
アロマセラピストに、
「◯◯なんだけど、どんなブレンドにしたらいいか」とレシピを聞いたり、
まあ、挙げればキリがありませんが、
きっと友達だからと、頼まれた方はやるでしょうし、サービス精神や慈愛の心で、それはそれは丁寧に対応してくれるかもしれません。
でも、ちょっと待って下さい。
「タダ」というのは、価値の交換をしていないという事です。
自分からは何も価値を出さずに、相手の価値だけを受け取ろうという行為ですよね。
これ、物販だったら、そのお店にある物の代金を支払わずに持って帰るのと同じ事。
「友達」って何でしょうね(笑)
どんなモノにしろ、それに情熱を持っている方々はお金は勿論、時間や経験等、お金にかえる事の出来ないモノを費やしています。
その方々がやっている事の背景には、様々な価値の交換がある訳です。
物販だってそう。
ひとつの作品にOKを出すまでに、試作を重ね、下準備を重ね、ようやく仕上がりとなります。
なので、提供する側も、「自分の価値」を冷静に正当に判断すると、自らが空っぽになってしまう事はありません。
また、それが出来ている方は自分の価値と交換する価値とのパワーバランスが取れていなければ、
「交換しない」でしょう。
「お金がかからない、タダ」という事自体には価値はありません。
「タダ」でなければならない理由が無いのです。
または、本来の価値を下げる事にも意味がありません。
低いエネルギーで行われる価値の交換が循環し、最終的には誰も得をしないのです。
正当な価値のやり取りには「満足感」や「自己肯定感」の高まり等の相乗効果が生まれるのは確かです。
正当な価値や評価には、「応えたい!」というエネルギーも生まれますよね。
また、いつも話していますが、私達は自分という価値観の中を生きていますから、
安くしないと売れないという世界にいれば、安さこそが価値という人が集まり、「技術や知恵、才能」への価値を経験する事の無い世界。
タダじゃないといけない!という世界にいれば、「タダ」という価値に集まる人達の世界。
逆もありますね。
本来の価値に上乗せするパターン。
コレはコレで「お金」に支配されていますから、
自分も余計な出費が多かったり、定まらないお金の波に翻弄される。
という世界を経験し続ける事になりますね〜〜。
世間的に、と言ってもそれはあなたという価値観のフィルターを通してみた「世間・世界」な訳です。
なので、その思い込みの世界に支配されるパターンか、
自分はそれで良いかどうか。
善悪という意味ではなく、
心地良いか、否か。
また、自分にとっての価値とは何か。
それを自由に選択出来る世界を体験するか。
です。
他者を正当に見れないなら、
自分の事も正当に見れない。
自己評価の低い場合は、
他者に対しても正当ではない価値を抱く事がある。
表裏一体
思考は現実化し、他者を通して自分を見せ、自分の中に他者を感じるのですから。
提供する側も
それを受ける側も
正当な価値の交換が出来ると素晴らしいな〜と思います。