まず二元論の一つの外部要因を考えてみよう。外部要因は被攻撃性だ。被虐性といってもいい。また悲しい状況も外部要因に該当する。
もう一つの内部要因は、希望が消えたときとか、追い求めていたものが遠のいた状況が該当する。自我の否定も該当する。
「笑いの外部、内部要因」と逆になっている。そのことからも、泣くことは笑うことの反対行動だということが分かる。
例を挙げて説明しよう。よく経験する、子供が母に叱られて泣く状況を考えてみたい。
子供が母に叱られ泣くのは、外部要因は母からの被虐だ。内部要因は自我の否定。
笑いの場合、攻撃性(バカにすること)が内部要因になっていたのが、被虐性は外部要因に変わる。また面白い対象が外部要因になっていたのが、泣く場合では、自我の否定が内部要因となる。
家族が亡くなって泣く場合はどうだろうか。この場合の外部要因は死だ。病死、事故死は被虐性となり外部要因となる。内部要因は亡くなった人の希望・望みが消えた事への同情や、自分自身の希望が消えたことなどである。
失恋で泣くのは外部要因は性欲の否定とか、相手が去ってしまうことや振られたことによる被虐性だ。性欲と攻撃はリンクしやすいから、性欲の否定は被虐性となる。内部要因は希望の喪失、愛する人との愛の喪失など。
映画で泣くのは登場人物を通して自分の悲しい状況を思い起こして涙を流す。この場合内部要因は自分の潜在的感情・行動が要因になることが多い。潜在感情だから、自分で具体的な要因が、はっきりと自覚しない場合がある。この時は「分けもなく泣ける」ということになる。
音楽とか絵画に接して泣く場合も同じだ。本人にとって分けもなく泣けるから芸術と言えるのだろう。
民族の分断、あるいは再会も泣ける大きな要素になる。 群居欲、家族愛、等が分裂された悲しみを思いだすからだ。再会する場合、一見すると良い環境への進展だから被虐性と関係ないように思われがちだ。この場合、状況がどの位置にあるのかを考えなければならない。
再会する喜びは、悪い状況から平常レベルに向かっているだけで、位置としてはマイナスの所にある。だから被虐性の範疇にあるといえる。
嬉し泣きというのがある。例えば本人が結婚式で泣いたり、参列者が新郎新婦の結婚に当たって泣くケースだ。
幸せなのに何故泣くの? と不思議がるむきが多い。この場合も泣く自分が、不幸な状況から結婚という幸せな状況になったプラスの方向にあるのだが、泣く人の意識としては不幸な位置においているのである。この場合も外部要因は被虐性にあるといえる。内部要因はかっての辛い思い出のエピソードなどでなる。