自分に対して語る言葉の重要性。アジア人ヘイトクライムに際して感じること。 | Suiの超私的NY通信〜変容の旅ブログ〜

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New Yorkでモデル→女優として活動中のSui Nakashima/雛衣(Sui)のOfficialブログです。

またまたこちらご無沙汰してしまった。もう週一で書くなんて絶対に言いません(笑 

書く書く詐欺になっております 笑

私とブログの付き合い方は、特に最近は何か強く伝えたいメッセージが出てきた時にここにだーーーーーって言葉を綴る傾向にある。

そんな感じなので非常にランダムで、でも出てくる時はものすごく熱い言葉にになる。(長くお付き合いいただいている皆様にはも姥れてると思いますが)

 

ということで、今日のニューヨークは快晴。少しずつ春を感じ始めてきて、暦の上ではもう春ですよね。宇宙の暦では20日、21日がお正月とか?なんかいい空気を感じております。朝からコーヒーと朝ごはん片手に日光浴をしようと近くの公園へ。気持ちよくて幸せになった。こういうささやかな満たされる時間を最近特に愛おしく思うようになった。

 

最近の私は、相変わらず日々黙々と、忙しくやることやって過ごしでも日々の事に感謝しないとねって昨日久しぶりに私の爪を綺麗にしてくれた

ネイリストのM ちゃんとも話したり。

 

そして先週火曜日に起きたジョージア州でのスパを狙った殺人事件を引き金に去年からやたらと目立ち始めた(とはいえ、去年始まったことで決してないのだけど)、アジア人を対象としたヘイトクライムに関してメディアが連日報道している。ニューヨークでも実はアジア人狙いの攻撃(ランダムに襲われている感じ、アジア人だからという理由で)が多発している。

幸い、私のすぐ近くの知り合いや友人達が直接被害にあったという話はまだ聞いていないけれど、(私自身も今のところは特にないです。でもやはり以前よりも確実に警戒して毎日過ごしています。)

でも、本当にこういうのって納得がいかない。チャイナタウンで中国人男性が歩いてるところをボコボコにして病院送りにしたりと、まるで昨年からコロナをきっかけにサンドバッグになるような対象がアジア人に公式に設定され(当時の大統領がそういった行動を正当化するような、メディア上で発言しサポートし続けた結果、)それを聞いたもともとアジア人に対していい印象を持っていなかった人達、またたまたま長いロックダウン生活や、色んな完全に個人的な事情でフラストレーションを抱え続けている人達が、アジア人をストレスの捌け口のような対象として扱っているような節もうかがえる。これははっきり言って絶対に許されるべきことではないと思う。

 

今回の銃撃で亡くなった方達の命を無駄にしないためにも、今声をあげるべき時だなと、私もたかだかまだ13年しか住んでないなりに強く感じた。

 

そういったところから今朝思った。

差別ってどうやって始まるんだろうと。だって、私たちが一人一人それぞれ産まれてきたすぐはそんな事考えもしない。

みんな同じでみんな人間で、ちょっと肌の色が違うとか、言葉とか、そういう違いに気づきはするけれど、いつから誰が上とか下とか、そういう考えを持つようになるんだろうと。まあ黒人差別問題もそうだけど、やはりずっと引き継がれてきている歴史上のもので本当に根が深い。そこから受けている傷も本当に深い。

 

やはり周りの言葉。世間の言葉。学校で聞く言葉、親に教えられること。これが全て一人一人の信念体系のベースになっている。

 

だって今回銃撃した犯人も産まれた時からアジア人に対して憎悪的な感情なんて絶対持ってなかったはず。外側から入ってきた情報と、それを真実だとしてしまった自分自身へ語り続けた言葉によって今回の犯罪が起きてしまったと思う。まあ、そしてその欲求をコントロールできなかった精神的な弱さ。中毒、依存症、これは全て他のものに自分をコントロールすることを許してしまっている、精神的な弱さからくる。弱い事は悪いことではない、人間はみんな強くて弱くて当たり前なんだけど、客観的に自分のことを見れない、欲望を抑制できずに他人に迷惑をかけるところまでいったらだめだ。しかも今回のケースみたいに人様の命を横柄にも奪うところまでいくのはありえない。でもいかにそういうケースが多いか。

 

言葉や映像は私たちが想像しているよりも、驚くほどものすごい影響力を持っている。その力をポジティブな方向に使えればいいのだけど、ダークな力の強さの方が簡単に引き込まれたりする。光と影。だから自分の意志で意識的に自分に語る言葉を選ばないといけない。

口から実際出す言葉と同様、みんな頭の中で自分に対して語ってる言葉。私も意識的にそうするようにしている。

 

私はこれを機会に、アジア人について語るストーリーを変えて行けたらいいなと思っている。確かに私たちは一般的に他の人種に比べて礼儀正しいとか、従順だとか(特にアジア人女性に対しての形容詞として)そういうステレオタイプな印象を抱かれがちで(別にそれが悪いことではないけれど)、私はそういう一般的な印象と同じように見られるのが渡米してきて最初の頃死ぬほど嫌だった。私が自己主張するとみんな驚く、なんて結構あった。当時ロングヘアで英語もろくに話せなかったのとシャイに見られ(どうか驚かないでください 笑)ものすごく大人しい感じに見られた。そして私が下手くそな英語で言い返すとみんなびっくり。外見の印象と違うから。それが嫌で髪をずっと短くしていた。そうするとびっくりされないから。でもある時、そんなのどうでもいいや。他人がどう思うかなんてなんで気にしないといけないの?と思い、この辺りは今は気にならなくなった。

 

でも、アメリカに来て以来思えばそんな印象を覆してやろうとずっと闘っている気がする。”日本人、アジア人”としてのフィルターを通してでなく、あくまで”私は私”で私独特のキャラクターがあり、みんなも例外なくそう。アジア人だけでなく、他の人達みんなもそう。

 

そしてつくづく今回の件でも感じたのが、教育の重要性。学校で、先生達が教えてくれる内容は本当に大事。

私はアクティビストではないけれども、20代の頃から演技を学び続けて以来、子供の教育がどれだけ重要かという事を思い知らされている。

人としての基礎の教育という意味。いい点数が取れるという意味でなく、こういった人間としての価値観、他者との関わり方、この差別問題等もそう。

いつか、全世界で共通の科目、授業なんてできたら最高だなと思う。みんな人種を超えて、同じ人間として同じ教育を受ける。

肌も言葉も何も関係なく。次の世代にこういう悲しい間違った信念を引き継がないためにも、差別意識の根を切っていって、みんなが同じ意識で共存していく社会の実現を心から願う。私も小さなことでもいいから自分に出来る事から始めていけたらと思う。

 

自分や周りの人に出来るだけポジティブな言葉を語るようにしよう。