私自身、イベントを商業的に展開するつもりはさらさらないが、目に見えてイベントを担う存在達が歳を重ねている今、今後の展望を皆の中で一致させる事が必要であろう。


一人一人、その人なりのビジョンを抱いている者もいれば、その場しのぎで、毎月を過ごす者もいるだろう。

来月は見えていても、3ヶ月後、さらには1年後を見据えてイベントを作っているとは言えない。


自分でも、ふと思うのだ。


「何の為にイベントを作り、何の為に夜毎イベントへと出かけていくのか」


もちろん、何度も言うように好きな人たちに会い、好きな音楽を聴き、皆で酒を飲むのは、貴重な時間であるし、迷いなく楽しい。

しかし、そればかりでは、繁栄はおろか、継続、現状維持も難しくなってしまうのではないか、とネガティブな考えにしばしば襲われる。私の考え過ぎであれば良いが、逆にそれを裏付ける前向きな根拠もない。


辛辣なことを言うようではあるが、馴れ合いだけでは事は上手くいかない。

このままでは、今は大丈夫でも、いつか人の気持ちは離れてしまう。


必要と有らば私の頭など幾らでも捻ろう。

季節は春。世間では、ハニカミ企画が流行っているようで、以前、書いたハニカミ企画が個人的には今は時期でないようにも感じます。

 

大義名分、必要でしょう。

こじつけではなく、「こういう方向性に持って行きたいから」「マンネリの解消」…など理由はその時に応じます。

 

好きな音楽が同じで集まったあれだけの人です。

ここは浮ついた企画に走らずに、彼らを惹きつけて離さない趣向を凝らしましょう。

第一印象は、間違いなく良いハズです。勝負は2回目。

そこで今後の明暗が分かれると言っても過言ではない、そう思います。

 

早めのmeeting呼んで下さい。

最初は、このblogでは自分の関わるparty名や地域を一切公表せずに書いていく予定でしたが、実は先週から昨日まで、期間限定で、名前を載せていました。

 

これはただの片足だけ突っ込んだ傍観者のblogであったはずなので、以後、これまで同様の形をとるつもりです。そのポリシーさえ、一時翻したのは、partyとcrewへの多大なる愛ゆえ、ということで。

 

書いた当時は、愛以上に心配が勝っていた様にも思うのですが、昨夜はそんな心配もどこ吹く風。

私がいつものようにエレベーターを降り、エントランスを抜けドアを開けると既に、そこは人・人・人!まだopenから1時間と少しであるにも拘らず、熱気に圧倒されそうになりました。

そこからは、フロア全体が常に“メイン”と呼ばれる時間であるかのような盛り上がり。

初めて来たお客さんも、いつものお客さんも、苦労して呼んだ大物ゲストも、そしてもちろん私達crewも、皆口を揃えて「楽しかった!」と言える、本当に素敵なイベントでした。

 

人の心は、移ろいゆくものだと。

そんな事は世界の定説で、いつの時代にも、それが誰であれ、例えどんな気持ちであれ、いつまでも変わらないなんてことはない。

全否定ではない。

信念や大前提のようなものは、言葉として変わらない事も多くあるだろう。しかし、その下層にある気持ちの部分は、時として、色を変え、形を変えて、大きくなったり小さくなったりを繰り返していく。

諸行無常

だいぶ昔から、人はこの事を知っていたのだ。

さて、本題に入るとしよう。
このblogは、得意の精神論を連ねる場ではなく、我らがpartyの行く末を見届けようとするコンセプトで始まったはずだった。
昨日は一人のstaffの誕生日で、いつものBarにて盛大なる祝いの宴が開かれました。
本人は電車で寝過ごし、予定の時間に一時間以上も遅刻。
しかし、今まで見た中で一番の人の集まりようでした。日取りの都合や、連絡の所為もあるかとは思いますが、何より本人の人間性がこの結果を導いたのだと強く感じました。
飲みっぷりも然ることながら、飲まれた後の天才っぷりも必見で、量の多さ故、それは僅かな時間しか拝めませんでしたが、とても祝福の雰囲気の出た良い宴となりました。
次はどなたが犠牲者…いえ、祝われるのでしょう?
前回に引き続き、ルーティン以外に目を向けたmeetingでした。
今日の議題は集客時のメンタル。
お願いして来てもらうのでは、お金を払ってクラブに入る所をゴールとしている。お願いすることで、どこか引け目を感じるし、それ以降も頼みづらくなる。
人とはなんと正直なもので、staff加入以前、私は簡単に自分の友人をイベントに誘えていた。そして友人達の反応も悪いわけではなかった。しかし、加入後、真面目に集客をすればするほど、返信の数すら減っていくのである。
私が、一度個人的に行ったホストクラブの話をすると、彼氏がいようがいまいが、ほぼ皆が行きたいと口をそろえて言うにも関わらずだ。
つまり、私自身のコミュニケーション能力が著しく低下してしまったわけでも、友達が減ってしまったわけでもなく、肝心なのは私自身がイベントを楽しんでいるかどうかだろう。
一点の曇りもなく楽しいと言えるなら、それで問題ないが、そうでないのなら、言葉巧みに人を惹きつけるか、本当に楽しいと思うかのどちらかである。
正直な人種は、業務的で引け目を感じる要素が滲み出てしまうから、一番良いのは、イベントを自信持って言えるほどに本人が楽しむ事だ。

イベントで何をもって楽しむとするかはかなり個人差があるだろうが、まずはstaffの一人一人がフロア全体を巻き込んで楽しめる事が必要であろう。
regularでもAnniversaryでもないイベント。
祝う方も、もちろん祝われる方も、イベントという形で催すのは初の試みで、良い面も悪い面も含め、なかなか学ぶ事の多いpartyでした。

率直な感想は、「いつも通り」とでも申しましょうか。私自身は仕事然としていて、個人としての楽しみは二の次でありました。

しかしながら、本日のmeetingの言葉を借りれば、自分が主役、または準主役にもなれないことに関しては非常に非協力的な場面の多い人間の集まりにしては良くやっていたと思います。(そもそも、祝い好き、宴好きなのもあるだろうが…)そこに自主性が伴っていたかどうかは、一人一人を見ていけば歴然でしたが。

問題は、真面目な人間が損をしているのではないか?ということ。
今までに思う事は多々ありました。
バーカウンターとフロアの離れたクラブで、DJ中のstaffやgestに気を使い長い時間をフロアで過ごすのはいつも同じメンバーなこと。
昨日に関しては、仕事に付いた人間とそうでない人間との差に開きがありすぎて、もはや、それを話題にする事すらナンセンスでした。

とは言え、party自体は多くのアーティストを始め、沢山の方々に楽しんでいただけたようで、目的は果たせたと自負しております。
私達版「恋するハニカミ」はどうだろう?

これは“CD"の当たりくじと言う話から派生している。
とりあえず、CDに当たりを一枚忍ばせるとしよう。当たったお客さんが男なら女のstaffを、女なら男のstaffを指名(くじ?)して、一日デート権を得るという企画である。協力者を募っても良いかもしれない。
デート場所はもちろん私達のホームタウンに限り、日付や時間も公開しておく。しかし、どこへ行くかの場所は公開していない。
ビデオ係が一人付いて番組調にデート風景を撮影する。
ハニカミプランのように行動をある程度指定しても良いだろう。
もちろん上映会はみんなでして、当日偶然出くわしたらこっそり写メールや、こんなことしてました!の書き込みも募集する。

上記には一日とあるが、約2,3時間の事だろう。その間二人は、我らが街の芸能人であり、私達は差し詰めパパラッチとでも言うべきか。
CDに付くおまけなら多少候補を選定できるだろうが、かなりのノリの良さが問われる。
CDは通常は、個人によるmix。新歓時やAnniversaryではその時のニーズに応じて一人一人から曲を集めたものにしようという流れになった。

自慢ではないが、私の意見が採用され、この形式に決めたのである。
何故なら私がCDの作り手ではなく、どの分野にも精通していない、素人にも似た聞き手だからである。

meetingでも述べたように、今だからこそ、それぞれの流す定番の曲はある程度わかるようになったが、それこそ最初はHouseなんて滅相もない、カラオケ大好き!J-popしかわからないようなレベルだったのだ。(今でもカラオケは好き)

CDが何を狙ったものかで、その作り方が変わるのは当然のことだろう。
例えば、今よりもっとCDへの関心を買いたいなら、いつぞやのmeetingで話が出たような、くじやプレゼントと絡めるのも良いかもしれない。
ジャケットに応募券を入れるも良し、ジャケットに当たりくじを忍ばせるのも悪くない。
その旨をBBSなどで、話題にしておけば、イベントへの期待も高まるだろうし、常連はこぞってCDを買いに走るだろう。ある程度レア感を高めておけば、逆にこちらから「CD勝って?」と一人ずつ聞いて回る手間も省けるかもしれない。
アンケートなんかを入れたら、大半はめんどくさがって書かなかったとしても、それを目にする事で、一度はそれを考える。つまり、その後、話題に出した時に、少しは答えを得やすくもなるだろう。そうすることで作り手側からは見えないニーズが見えてくるかもしれない。

その趣向さえ全て、個人のmixにしたことで個人のカラーを出して欲しい気はするが、センスに酷く左右されてしまうのは言うまでもない。
CD製作者がすることは、テーマ決め、曲決め、ジャケット製作、録音、CD量産…にとどまらないということだ。そういう広い意味でのテーマ決めも面白いとは思うが、私は製作しない立場のなので、生みの苦しみがわからないのだと指摘されそうだ。
趣向を凝らしたところで、それに緩急がなければ、人はすぐに慣れてしまう。
イベントを長く続ける上で、しつこく私達を悩ませるのは、マンネリなのだから。
今日のmeetingの議題の一つにフライヤーがあった。

私達のイベントでは、通常のイベントでは、自分達でデザインしたものを、家でプリントアウトし、白黒のコピーにかけ、一枚ずつハサミで切るスタイル。もしくは、その分野に秀でた人にデザインを頼み、業者に印刷をしてもらう、いわゆるカラーの、二つのスタイルで作成していた。
白黒は、若干の手間はかかるが、安く上がるのが何よりの魅力で、現物は少々頼りない。受け取った人によっては、鞄の中で皺になり、ゴミ箱行きも珍しくはないだろう。
一方、カラーはお金がかかる分、見栄えも良い。毎回、きちんとファイリングしたり、壁に貼ってくれている人もいる。白黒は100枚~頑張って500枚程度なのに対し、カラーは普段、3000枚で発注している。

私は会計の視点から、カラーの3000枚を、約1万円出して、イベントの1,2週間前に駆け込みで作って、結局配りきれなかったかなりの枚数を破棄している現状を前々から変えたいと思っていた。

もともと、どちらかと言うと無駄を省きたい性格なので、ここは一つ、と打って出たのだ。もし、無駄なところに大事なものがあったりすると、それを見過ごしてしまう形になるが、この場合はその可能性を考えなくて良いだろう。

議論に上がった項目は以下
・翌月のフライヤーを前の月のイベントの時点で配るようにすると決める
 (カラーの場合は特に)
・イベントの不変の定番フライヤーをつくる
 (日付を入れない)
・3ヵ月ごとのフライヤーをつくる
 (定番とは別に。デザインも変える。別のイベントとは一緒にしない。)
・日付、ゲスト等の詳細はシールを使って後からフライヤーに貼る
 (シールが安いという前提で)
・新歓用は別に用意
 (projectとして)

まだ確定した事項はないが、シールの値段との兼ね合いも見ながら、せっかく出た意見をきちんと行き着くところまで持ち込む必要がある。