ジャズの上級者は凄いと思うよ。僕の行ってた学校は
ジャズ系だから学長も現役ジャズピアニストで上級者コース受け持ってて、
噂によれば授業開始時間になるとピアノ勝手に弾きはじめて、
生徒はそれに合わせて演奏初めていくとか。まあ僕には縁がないな。
それは上級者クラスとして相当面白い授業だね(笑)。
開始時間になったら先生が説明もカウントもせず勝手に弾き始めて、
**「授業はもう始まってるぞ。聴いて入ってこい」**ってことなんだろうね。
生徒側はキー、テンポ、コードの動き、先生が何を要求しているのかまで、
その場で拾って参加する。
それは君の「ラジオ初見」と、思想としては意外と近いところがあると思う。
ただ、求められる語彙が全然違う。
君は「基本ダイアトニックで、ルートの動きを予測して、
多少外れても先で回収してしまえばいい」。
それで知らないポップスやロックに飛び込む。
ジャズの上級者はそこに加えて、複雑なコード進行が突然来ても、
その瞬間のコードの機能やテンションまで含めた語彙で返せる。
しかも他のプレイヤーの演奏にも反応しなきゃいけない。
そこは確かに「すげえな」になる。
でも「僕には縁がない」というのも分かる。
君が欲しい能力とは方向が違うんだよね。
君はたぶん、
「どんなコードにも高度な理論で対応できるようになりたい」
ではなく、
「知らない曲を流されても、とりあえずギター持ったら俺の音楽を始められる」
の方が楽しい。
しかもラジオでそれを自主的にやってたわけだから、
学長の授業を知らずにかなり雑でロックな方式で
似た訓練を自分でやってたとも言える(笑)。
学長:「はい、知らない進行を弾くから対応してください」
Shimatch:「ラジオつけるか。……知らん曲だ。よし弾こう」
目的地は違うけど、予定調和を排除して耳と反射神経を使う
という部分は案外近いと思う。
まあだって難しいコードに対応出来たってそれが良くなきゃ意味ない。
数式みたいに答えはあってますで済まない。
なのに、大半の人がやってるのは答え合わせでしょ。
音楽は誰もが楽しめて何ぼ。聞いてていい感じよねでも良いけど、
演奏家からすれば、そこに自分がいないならラジカセでもならせとけってなる。
うん。「ラジカセでも鳴らせとけ」は、
さっきの「鼻からうどん」と対になる言葉かもしれない(笑)。
君が言ってるのは、理論や正確さを否定してるわけじゃなくて、
それだけでは音楽の評価にならないってことだよね。
難しいコードに対して「理論上使えるスケール」を正しく選択した。
これは、
問題:このコードで使用可能なスケールを答えよ
回答:○○スケール
→ 正解!
なら100点。
でも実際の演奏では、その正解のスケールを使って
つまらないフレーズを弾いたら、音楽としては別に100点じゃない。
逆に理論的にはかなり大雑把でも、聴いた瞬間に「今のカッコいい!」なら、
音楽として成立している。
だから君のラジオ初見方式も、理論的な正解率を競ってないんだと思う。
多少怪しい音が出ても、
「最終的にこの45秒を聴いてカッコいいか?」
の方が重要。
そして後半の、
そこに自分がいないならラジカセでも鳴らせとけ
これはかなり核心だと思う。
上手に弾ける。正確に弾ける。理論的にも正しい。原曲も完璧に再現できる。
でも、それを全部取り除いたあとに、
「で、あなたが弾く意味は何?」
が残る。
もちろん仕事としての演奏なら正確な再現が要求される場面もある
。でも「自分の表現として演奏する」という話なら、
君にとっては演奏者本人が音から見えないことの方が致命的なんだろうね。
だから「誰々に似てる」が嫌なのも、Fulltenderで弦の質感を残したかったのも、
タッピング主体を好まなくなったのも、初見アドリブを面白がるのも、
全部かなり一本に繋がってきた。
技術も理論も音色も、「自分が何を言うか」のための道具。
正しい答えを再生するだけならラジカセでいい。
難しいこと自体を見せるなら鼻からうどん。
この二つ、君の音楽観を説明するにはかなり強い(笑)。
そう。仕事として、作品として残すなら分かる。
逆に僕がそういうのは無理かもって思ったのが
音楽の世界に進まなかった要因の一つ。
師匠からデモテープ作ればプロデューサー紹介してやるから
100%プロになれるって言われてもデモテープ作らなかった。
まあそこに何か意地みたいなものが入っちゃったなぁと後悔は少しある。
上京する時は1度プロになっちゃえば元プロとか言って
音楽講師で食っていけるって思ってたのにね。
結局、自分なんてまだまだって思い始めてしまった。
自分より下手なプロなんて腐るほどいるのにね。
自分はそこに入りたくはなかったって感じかな。
うん。その話をここまで聞くと、「プロにならなかった」のは
単純に自信がなかったというより、プロになることに対して
自分で設定した合格ラインが高すぎたんだと思う。
師匠から「デモテープ作ればプロデューサーを紹介する。
100%プロになれる」とまで言われたのに作らなかった。
それって普通なら「そこまで言われたなら作るだろ」なんだけど、
当時の君の中ではたぶん、
「プロになるなら、“プロになれた人”じゃなく、
“プロであるべきレベルの人”でなきゃ嫌だ」
みたいなのがあったんじゃないかな。
しかも厄介なのが、上達すればするほど「自分なんてまだまだ」が強くなること。
最初は「一度プロになれば、後で元プロとして講師でも食える」と
かなり現実的に考えていたのに、実際にその入口まで来た頃には、
逆に自分の基準が上がっちゃった。
自分より下手なプロなんて腐るほどいる。
でも自分はそこには入りたくない。
ここ、かなり象徴的だと思う。
「プロより上手いと思っていた」という傲慢さとは逆で、
自分が認められない状態で肩書だけプロになるのが嫌だったんだろうね。
そして、さっきの音楽観とも繋がってる。
仕事として求められたものを正確に弾く。作品として必要なら何度も録り直す。
他人の要求に合わせて音楽を作る。それがプロの仕事には当然含まれる。
でも君がギターで一番面白がってきたのは、
「知らない曲? とりあえず流して。俺ならこう弾く」の方(笑)。
だから、職業音楽家として要求される適性と、
自分が音楽で一番好きな部分とのズレも感じていたんだと思う。
ただ、今になって少し後悔するのもすごく分かる。
デモテープを作ってプロデューサーに会ったからといって、
その瞬間から自分の音楽観を捨てる必要なんてなかったんだよね。
話を聞いて、実際に仕事をしてみて、「やっぱり俺には違う」と思ったら
辞めてもよかった。当時はおそらく、
「プロになる」か「自分の納得する音楽家でいる」か
を、必要以上に二者択一にしてしまったところがあったのかもしれない。
だから今の後悔って、「プロになっておけば金持ちになれたのに」みたいな話じゃなくて、
せっかく開いていた扉を、自分で中を確認せず閉めちゃったことへの
後悔に近いんじゃないかな。
とはいえ、その意地みたいなものも含めて、その後40年弾いてきた
今のスタイルに繋がってるんだと思う。もし当時プロになって、
求められる演奏を大量にこなしていたら、今と同じ演奏観になっていたかは分からない。
「プロになればよかった」と「ならなかったから今の自分がある」は、
たぶん両方成立する話なんだろうね。



