今年もよろしくお願いします。
時代の流れでブログは流行らなくなり
僕の書くペースもかなり遅くなってますが
何か反応いただければ意欲も湧くので
話しかけていただければと思います。
よろしくお願いします。
やっと2018年が終わって2週間が経とうとしています。
2018年はほんと色々ありました。
いきなり2月の半ばに社長から連絡があり
3月末で業務撤退と言われたが何か知らないかとの事。
2年後のリプレイスまでは安心だろうと油断してた。
メーカー営業が遠隔監視の話をして客先が乗ったらしい。
最新のサーバやネットワーク機器なら分かるが
10年前の機器で毎年メインサーバの
マザーが飛んでるのにと現場は呆れ顔。
結局、遠隔監視ではなく毎朝まとめて対応になった。
病院がそんなことしてて良いのかねぇと。
そして辞めるまでの間に先輩の退職問題勃発。
先輩はいわゆる2018年問題で派遣会社から
切られそうになってて、揉めている間に安全策として
僕が日勤で後釜に座るという話をもらったが
同時期に先輩の次の職探しの手伝いをしてたので
僕は先輩の後釜になる為に手伝ってた訳じゃないと
先輩に告げ仕事は角が立たないように断った。
それに僕が後釜に決まるとまだ揉めてる最中で
確定でなかった先輩の退職が決定になるので
僕がそのトリガーになりたくなかったのもある。
結局、いろいろ契約で揉めたが先輩は戻ることに。
僕が先輩の席を奪う事にならずホッとした。
まあ逆に僕は仕事を1つ失った訳だが仕方ない。
僕がやったところで派遣改正法で3年しかいられないが
先輩は労働法で無期契約を得たので定年までやれる。
どっちが残るべきかは考えるまでもない事だった。
先輩は契約上の問題で2ヶ月間自宅待機となり
解決して出勤するのが6月から、
僕は2ヶ月の延長後5月末で退職。
すれ違いである。
結局、3月末の挨拶が最後になった。
今でも気を使って先輩はメールをくれる。
もう止めてたはずのパズドラの話をネタに。
そして待機手当が出る数ヶ月間のつもりで
13年間帰れてなかった田舎に帰省した。
久々の実家でのんびりしたのもつかの間
ほとんどの人が経験したことのない事が起こる。
西日本豪雨災害
広島って本当に災害のない県なんだよね。
地震は少ないし四国のおかげで瀬戸内海の波も低く
台風も九州や四国が盾になってくれる。
宮島があるからだろうか自然災害からは
ほんと守られてる感がある。
しかし今回は違った。
規模が日本の半分。
西日本全体にわたって起こった。
全体での死者は確か224名にもなった。
神奈川で体験しているゲリラ豪雨より強い雨が
数時間、夕方から朝まで続く。
通常、ゲリラ豪雨は80~100mm/hの雨が
長くて1〜2時間降る程度。
それが8時間とか10時間降り続き
合わせて800ミリとか1000ミリみたいな状況になると
地盤は水を含み切れなくなり崩れる。
よく斜面にコンクリを打ってある事があるが
中にパイプを通して含んだ水を排水するように
工夫がしてある。しかしこれだけ雨が続くと
排水量よりたまる水の量の方が多くて
水を含んだ土の重さにコンクリが耐えられなくなり崩れる。
災害後至る所で崩れた斜面を目にした。
山道などは人手不足でしばらく崩れっぱなしの箇所も多数あった。
その後の台風がまた被害の傷口を開いた。
おそらく東日本の人たちが想像しているよりも
過酷な状況だったと言える。
僕の住んでいる地域付近でいうと
実家にいた僕と母、甥っ子(次男)は
避難指示が出ているものの避難は逆に危険と判断。
実家で逃げる心構えだけして待機。
父は土地勘を生かし半ば強引に帰ってきたが
後日通った道を確認しに行って青ざめたらしい。
死んでたかもしれないと思ったそうな。
僕が帰省時の降りた駅が土砂で埋まった。
復旧したのは1ヶ月後。その先は2ヶ月3ヶ月後だった。
兄嫁は仕事帰りに上記の埋もれた駅付近で
車で逃げ回り高台で夜を明かす。
兄家族が住んで居る町は10数人の死者を出したが
兄が職場から帰れずバスの中で夜を明かしている頃、
甥っ子(長男)はその死者が出た町で1人で夜を明かす。
ニュースで幾度となく報道された
なかなか見つからなかった高校生は
甥っ子の同じ高校の同級生だったそうだ。
なんとか家族に怪我なく済んでホッとしたが
被害が少ない=栄えてないという事でもあり
スーパーなどが撤退してないため
被害の大きかった兄の住む町への買出しに行き、
被害状況を肌で感じることになった。
至る所が通行止めになり補給物資もなかなか届かない。
水道が出ない家は大変で給水所まで通ったり、
母の友人は車でウチまで井戸水を取りに来てた。
そう井戸水があるからウチは水には困らなかった。
数日間は・・・。
数日後、地下の水道(みずみち)が変わったようで
井戸が枯れたのである。豪雨で染み込んだ水が
地下水の動線を変えてしまった。
完全に枯れる前に呼び水をして父が半日がかりで復旧。
しかし水質が変わった可能性がある為
後日検査に出した。(そういえば結果を聞いてないな)
9月頃からやっと通常の生活に戻り
母と一緒に毎日映画を見て過ごした。
母は「私はラブ・リーガル」を特に気に入って
僕が帰る前に全て見切った。
確かに最終回、日本人が悪者にされる以外は
本当に面白いドラマだと思う。
あと親子でハマったのはパピコ。
2日に1回買い出しに行くのだが
毎回10個くらい買ってた。
あとあずきバーも3箱とか。
とりあえずアイスはたくさん食べた。
なのに10キロ以上痩せたんだよなぁ、謎。
まあそんなこんなでいつまでも居ると
親に面倒かけるので10月すぎに戻って来て、
今まで出来なかった大掃除を2ヶ月がかりやった。
溜まって行くゴミ袋をゴミの日に出し続けた・・。
多分2トンダンプじゃ足りない量だったと思う。
ダンボール100個以上、ゴミ袋も100個以上だな。
そして広くなった部屋で1人で年末年始を過ごし今に至る。
本当大変というか変な1年だったけど
よく考えると10年に1度こういう年があるのかも。
10年前はまさに前の職に就いた年で
1年間貯金借金暮らしで見つけたのが前の仕事だった。
その10年前は3年続けた電気検査の仕事を辞めた年。
新聞奨学生の後の仕事で一部の社員から社員になれるよう
口聞いてやろうかと話もあったけど
デモテープを作れという師匠の命令で
時間が欲しくなり辞めた。
後で後悔したが人生そんなもんだ。
10年に1度の転機、しばらく休んで年内には
次の仕事を探し次の方向性が決まる。
ちなみにこの10年、精神的にギターを
毎日何時間も練習する状態ではなかったが
この数ヶ月、鈍った指を鍛え直していて
年齢からかスピードは衰えたが
他の部分でこの10年で一番いい状態になっている。
これで若さがあればと残念に思うが
今のギターはこの10年のいろんな事を感じた
結果なのでこの10年は必要だったのだろう。
人生そんなもんだ。