怒りをパワーに変える | ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

数年、ギタリストとして、講師として感じた事や経験に基づく、ごく主観的なギター奏法についての考えや
ギターにまつわるいろんな事についてのブログです。
たまにはギターには関係ない事も...。

怒りをパワーに変える、ってとても大事なことだと思います。

大人になるとだいぶ自分の周りの環境を整えられるので楽にはなると思いますが、それでも仕事のストレスとか誰にもありますよね?

でも抑えつけられるのは子どものほうが大きいんじゃないでしょうか?
親から抑制、学校の友達との人間関係。
私は子どものころのほうがなんだか嫌なことが多かった気がします。

子どもの頃って「みんなと仲良くしなきゃいけない」みたいな風潮ってあるじゃないですか?
あれってどうなんでしょう?

確かに付き合ってみないとわからない部分ってありますから、第一印象とかで決めることじゃないと思いますけど。
でもみんなと仲良くしなきゃいけないみたいなところから「嫌われたくない」とかいう気持が出てきたりするんじゃないでしょうか?

確かに学校とかは人間形成の上では大切は場だとは思います。
揉まれる段階で形作られるところも沢山あるとは思います。

でもこの「嫌われたくない」って気持が曲者な気がします。

人の価値観なんていろいろだし、人の相性もあるし。
嫌われたくない、の前に「自分を作る」ことのほうが大事な気がするんですよ。

特に日本は「和」だとかいって周りと同じとかそういうのを大事にしようとする風潮がありますよね?
それって「自分を抑えて周りと仲良くしろ?」ってことなんでしょうか?
だとしたらそんなのおかしいと思いませんか?

大事なことは、自分を抑えることではなく、ぶつかってその中で周りと調和していくことが大事なんじゃないんでしょうか?
そこが変わらない限り「いじめ」は無くならない気がします。

まずは家庭で「自分をしっかり作る」ことをしていくことが大事だと思います。

子ども一人一人の人間形成です。
子どもでもいろんな子がいていい。
足の速い子、絵の上手な子、力の強い子、優しい子...。
それって個性なだけであって、親はもっと子どもの良いところを伸ばしてやるべきだと思うんです。
最初はそうだったとしても少し大きくなると勉強ができるとかそういうことだけを見るようになる。
それって親の価値観を子どもに押し付けてるだけだと思います。
勉強の楽しさがわからないから勉強しない。
勉強しろ!の前に楽しさを教えようとしたことはあるんでしょうか。
私は算数とか楽しかったですよ。
英語も楽しかった。
これは大人になってもそうです。
私、音楽理論なんて教えてますけど、勉強だと思ったことなんてありません。
楽しいから覚えただけ、です。
スケール一つ覚えると新しい武器を手にしたような気持になれました。

体育は嫌いでした。
身体を動かすことが嫌いだったわけじゃありません。
これでも小さい時から剣道やってましたから。
でも元々そんなに運動神経はいいほうじゃないと思います。
学校とかだと勉強できないのはそんなに文句いわないくせに体育とかだと団体競技とかあってできない私みたいなのが同じチームにいるとできるやつは責めたりしますよね?
それって好きでそうしてるわけじゃないので言われるほうがものすごく辛いんですよ。
するとだんだん体育そのものが嫌いになる。
マラソンとかは好きでしたね。
個人競技ですから。
野球も嫌いじゃないですよ。
上手くないですけど。
だから友達同士で集まってやってました。
仲の良いやつだけで。
するとだんだんこっちのチームに他のやつも混ざってきて人数増えていったり。
でもそれだとあくまでできないからって誰も文句言わないんですよ。
向こうから混ざってきたわけなので。

だから親が最初にすることは叱ることじゃなく、「自信を付けてあげること」だと思うんです。
なんでもいい。
何か一つでも自信があるものがあればその子は頑張れると思います。
でもそうじゃなくてできないことを責める。
それって学校の友達と同じじゃないですか。
「なんで打てねえんだよ!」って罵るやつと同じレベル。
私の父親はわりとそういう感じでしたね。
運動会とか見にきて競争で負けるとそれをウチに帰ってから怒る。
怒ったって速くなんか走れるようになりませんよ。
するとね、怒られるのが嫌だから嘘を付くようになるんですよ、親に。
「嘘つくな!」っていうのもよく言われました。
でもそれってまず親が嘘を言わなくても済むような関係を作るべきだと思うんですよ。
頭ごなしにできないことを怒られたら言いたいことも言えなくなる。
それは、親としてどうなの?って思います。

この歳になると親も子どもに帰るみたいなところがあるのか、今の親を見ていて「おいおい」って思うことあるんですよ。
他人の悪口言ったり。
上手く手が使えないとかは仕方がないじゃないですか。
それに関しては言っても仕方ないので言ったりしませんけど、悪口言ったりするのは人間としてどうなの?と思うので注意します。
悪口って言うと必ず自分に返って来るんですよ。
瓶に向かって悪口言った中に虫入れると、普通の瓶に入れるより速く死ぬそうです。
そのくらい悪口って毒のあるものなんですよ。
でも言われても仕方のないことを言われる子どもの気持考えたことあるんでしょうか?
それもある意味悪口と変わりませんよね?
頑張ってもできないんですから。
速く走れるこつとか教えたり、練習に付き合ってくれるならまだしも、怒るだけなんて。

あ、また話が逸れました。

子どもはストレスを沢山受けている、って話でしたね。

そう、子どもって大人が思うより沢山ストレス受けてるんです。
それを癒してあげるのも親の役目じゃないでしょうか?
ところが逆に親からもストレスを受ける。
これではどんどん元気のない子になってしまう。

私もそうだったんだと思います。
叱られるから勉強した、というのももちろんありました。

でもそれを跳ね返したのがギターなんです。
親は二人ともギターは弾けません。
つまり親に文句を言われる筋合いはない。

そういう小さい時からのストレスを全部ぶつけるように夢中になりました。

先日、「ただ好きなだけでは仕事にはできない」と書きました。

私はいろんなストレスを、怒りを全部ぶつけるようにギター弾いてました。
「このやろ〜!」って思ってましたから。

でもこういうのってギターとかの場合とても大事な気がするんですよ。
ピアノみたいに教室通って弾くものじゃないんです、根本的に。
めちゃくちゃでもいいから、まずガーっと弾く。
それってパワー無いとできないんですよ。
そのパワーの源が「怒り」なんです。

中学生の時からギター初めて、いろんな人がいました。
中には「この人、上手い!」と思った人も何人かいました。
これは上にいけばいくほどそのレベルはあがっていく。
当然ですよね。
高校の時、大学の時にもいました。
でもその人達はプロになることはなく、自分で他の道を選んだ。
音楽学校へ行けばみんながプロになりたくてやってきます。
当然上手いやつも多い。

でもね、みんな上手いかもしれないけど気持入ってないんですよ。
つまり「上手いけど良くない」んです。
指は速く動くかもしれない。
でも沢山弾いてもまた聴きたいとは思わない。

それってどういうことなんでしょう?

好きだけでやってると気持が込められないんです。

私は周りから逆に思われてました。
「指とか速く動かないけど良いよね!」と。
ここなんですよ。
大事なのは。

それはいろんなことを思いながらギターを弾いたからだと思います。

もちろん「才能」があったのかもしれません。
でもそれだけじゃない。
才能があってもプロになるならないは別です。

大事なのはやはり「気持」だと思います。

お利口に練習しててもダメなんですよ。
プロになっても思いますね。
上手いやつは死ぬほどいます。
でもずっと続けるのはそんなことじゃないんですよ。
私の場合は明らかに「怒り」をパワーにした感じです。

今はもうそんなことはしません。
これからは自分のできることで周りを幸せにしたい。
そう思ってます。
そのために「怒り」が必要だったんです。