名盤とされている2枚組の『English Settlement』に続いてリリースされたアルバムです。一般的にはあまり評価は高くはないですが、個人的にはこの作品を初めて聴く前の前評判としての‘フォーク・トラッド路線’にけっこう期待してました。が。どっちかっちゅうと頭の中に描いていたフェアポート・コンヴェンションやスティーライ・スパンらのブリティッシュ・フォーク路線というよりも、ドンドコドンドコと太鼓系の活躍するアフリカ大陸のパーカッシヴな民俗音楽に近い印象で、ちょっと予想とは違っていました。それでもたしかに英国のバンドらしく、ところどころにフックの効いたメロディが飛び出してきたりして、そこのところがXTCファンにはたまらんところやないかと思います。前作に収録の“Senses Working Overtime”のような全編フックのかたまりみたいな名曲タイプは入っていないものの、個人的には全体にテンション高すぎに感じてしまう前作と比べると、1枚通してリラックスして聴いていられるアルバムではあります。時期的にアンディ・パートリッジが燃え尽き症候群状態だったそうで、それがたしかに全体に漂う地味さにつながっているとは思います。この際、レコード会社の期待に沿うよう、コリン・ムールディングにポップ・センスを発揮してもらい、アルバムの半数くらい書いてもらって困難を切り抜ける!ほどには元々のコリンのバンド内における音楽的比重は大きくはなかったんでしょう。そういう意味では、ジョンとポールのいたビートルズは別格だったんでしょうなあ。初期ジョン→後期ポールへと主導権が移る、アルバムでいうと『リヴォルヴァー』→『サージャント・ペパー』に至る過程は圧巻です。

 

スペシャルズのリーダー、ジェリー・ダマーズが設立したブリティッシュ・スカの専門レーベル『2 Tone』の歴史を追った2枚組レコードです。これがリリースされたのが89年、つまり2トーン10周年を記念してのものだったみたいなんですが、全体の半分以上がスペシャルズ関連の音源、ジャケット表裏に載っているレコ写真は大部分がスペシャルズ…ちゅうことで、いちおうオムニバス盤ではありますが、今見るとちょっと偏りすぎでないかい?と思わんこともないレコです。ほとんどスペシャルズのための企画かい!ただしレコード2のA面(SIDE C)のみライヴ・サイドとなっていて、これだけはもしかすると貴重な音源なのかな?わかりません。スペシャルズのライヴといえば、めちゃめちゃカッコいい&涙チョチョ切れる伝説の初来日公演が忘れられないです。って聞いた話ですが(あのね)。ストラングラーズの来日公演もそうだったと思いますが、相手が日本人だろうが何だろうが全く媚びない、本気のライヴを目の前で展開してくれるバンドというのは信頼できますね。なお削除されていなければ、YouTubeでその時のライヴが観られます。それでは以下トラック・リストです。

 

SIDE A

1.      The Selecter – THE SELECTER

2.      Gangsters – THE SPECIAL A.K.A.

3.      The Prince - MADNESS

4.      On My Radio – THE SELECTER

5.      Rudi, A Message To You – THE SPECIALS

6.      Ranking Full Stop – THE BEAT

7.      Ruder Than You – THE BODYSNATCHERS

8.      That Man Is Forward – RICO

 

SIDE B

1.      Blank Expression – THE SPECIALS

2.      Do Nothing – THE SPECIALS

3.      International Jet Set – THE SPECIALS

4.      Why? – THE SPECIALS

5.      Ghost Town – THE SPECIALS

6.      Easter Island - RICO

 

SIDE C (LIVE SIDE)

1.      Too Much Pressure – THE SELECTER

2.      Lip Up Fatty – BAD MANNERS

3.      Stereotype – THE SPECIALS

4.      Mirror In The Bathroom – THE BEAT

5.      Three Minute Hero – THE SELECTER

6.      Too Much Too Young – THE SPECIALS

7.      One Step Beyond – MADNESS

 

SIDE D

1.      The Boiler – RHODA DAKAR & THE SPECIAL A.K.A.

2.      Racist Friend – THE SPECIAL A.K.A.

3.      War Crimes – THE SPECIAL A.K.A.

4.      Nelson Mandela – THE SPECIAL A.K.A.

5.      Destroy Them - RICO

 

有名なシングル曲、レア・トラック含む2枚組全22曲入りのレコです。64年と65年のスタジオ録音に関しては全て網羅しているっちゅうことで、彼らのコンピレーション盤は無数に存在しますが、この2枚組が一番オススメっすね。89年に英国の再発専門レーベル、Decalからリリースされました。彼らの音源は疑似ステレオ・ヴァージョンが多い中、ここでは全てモノラルで音質も大変よろしいです。TV音楽番組『Ready Steady Go』に出演した時のジャケット写真、見開き部分の写真もイカしてます。さらに重要なのがクロノロジカルな曲順で、64年のクラプトン期、65年のベック期、66年のベック及びベック/ペイジ期というふうに、音楽的変遷がよくわかるようになっています。やはり65年のベック期が一番おもろいかなあ~と個人的には思います。改めて、この先進的なサウンドを聴くとザ・フー、スモール・フェイシズと並んで、70年代に開花するハード・ロックの草分け的バンドであったと思います。それでは以下トラック・リストです。

 

SIDE A

1.      I Wish You Would

2.      A Certain Girl

3.      Good Morning Little Schoolgirl

4.      I Ain’t Got You

5.      Putty In Your Hands

6.      Sweet Music

 

SIDE B

1.      Got To Hurry

2.      For Your Love

3.      Heartful Of Soul (Master)

4.      Heartful Of Soul (Sitar Version)

5.      Steeled Blues

6.      Still I’m Sad

 

SIDE C

1.      I’m Not Talking

2.      I Ain’t Done Wrong

3.      My Girl Sloopy

4.      Evil Hearted You

5.      You’re A Better Man Than I

 

SIDE D

1.      Train Kept A Rolling

2.      Shapes Of Things

3.      New York City

4.      I’m A Man

5.      Stroll On

 

デビュー作かつライヴ盤としてリリースされたレコです。所有のレコは、70年代前半あたりに再発されたと思われるUK盤です。ラベルはファースト・プレスのブルー・コロンビアではなくて、2EMIといわれるシルバーとブラックのデザインです。ただしマトリクスは両面とも1Nなので、盤自体はファースト・プレスと同じやと思います。ジャケもテカテカにコーティングされているので、今となってはそれなりに値が張ると思います。状態によっては4ケタ後半から1万くらいしそうです。初盤のブルー・コロンビアだとミント・マイナスかEXプラスで5万~10万くらいの今や超高額盤ですな。デビュー作としては、ザ・フーの『My Generation』と並ぶほどの人気盤だと思うし、60sブリティッシュ・ビートの基本中の基本の1枚ですね。これ1枚で当時の英国クラブ・シーンの熱気が手にとるようにわかるという、歴史的記録として大変重要&貴重な音源です。ジャケもカッチョいいし。もちろんエリック・クラプトンのデビュー作としての価値も高いと思います。メンバー間の不仲、ギタリストの交代などでごたごたの多いバンドだったせいか、英国オリジナル作品はこの64年のライヴ盤と、66年の『Roger The Engineer』の2枚だけという、同時期にデビューした同程度の知名度ある他のブリティッシュ・ビート・グループらの中ではかなり少ない方です。なおアメリカでの契約レーベルはエピックっちゅうことで、エピック・オリジナルのアルバムは何枚かあります。

 

83年に英エドセルからおそらく同時リリースされたモノラル盤(青ジャケ)とステレオ盤(黄ジャケ)の2枚です。83年当時はまだステレオ至上っちゅうか、それほど「モノラル」の再評価は進んでいなかった時代だったと思います。あ。もしかすると60年代の音源の疑似ステレオ化が全盛だった70年代に比べると、それなりにモノラルが復権していた頃だったかもしれません。よう覚えてまへん。いずれにせよ、80年代にこういうパターンのリリースは珍しかったと思います。重要な点としては、モノラル盤の方にのみボーナス・トラックとして、A面とB面のあたまにそれぞれ“Happenings Ten Years Time Ago”(幻の10年)と“Psycho Daisies”が入っているところです。この2曲はアルバム『Roger The Engineer』リリース直後、ベースのポール・サミュエルスミスが脱退し、代わりにジミー・ペイジが加入してベック-ペイジのツイン・ギター体制が短期間実現した時の貴重なシングルです。ではなぜにステレオ盤の方には入っていないのか?!なぜモノ盤はオリジナル・アルバム+2曲、ステレオ盤の方はオリジナル・アルバムに準じた内容でエドセルは同時リリースしたのか?いやあ、これはどうも戦略的なにおいがプンプンしますな。全く同じ内容にすると、購買層の多くはモノ、ステレオどちらか一方だけの購入になりがちであるが、こういうパターンのリリースにすれば、どちらも購入する人が多くなって売上が上がるんではないか!っちゅう姑息な計算があったんではないか?ってまあ別にどうでもいいですね。実際私が見事にひっかかっとるやないか…おわり

 

86年に英国の再発レーベル、シー・フォー・マイルズからリリースされた22曲入りのコンピレーション盤です。私みたいなおじいちゃんレコ・マニアにとっては、裏ジャケにバー・コードがないだけで、えらい昔に出たレコなんやなあと思ってしまいます。63~69年にかけての音源集ではありますが、実はアルバム『Evolution』と『Butterfly』期に当たる67年の音源はいっさいなく、69年の“Wings”が一発目に入っている以外は、全て初期4枚のオリジナル・アルバムからとシングルB面から成り立つ、比較的マイナーな曲ばかりを集めたものとなっています。特に上記の“Wings”はグレアム・ナッシュが当時、CSN&Y結成のために脱退する直前、チャリティ・アルバムのためにレコーディングされた作品だそうで、このコンピ盤の目玉といっていいと思います。たしかにミディアム・スロー・タイプの涙チョチョぎれる名曲です。

 

あとの63~66年の音源は、私みたいに初期ベスト盤と『Evolution』『Butterfly』しか所有していない軽いホリーズ・ファンにとってはもってこいの選曲であり、さすが高い演奏力とすぐれたコーラス・ワークを兼ねそろえたバンドだけあって、う~ん、上手いなあとうなりつつ最後まで退屈することなく聞けてしまいます。ここではカヴァー曲が多いですが、もちろんソングライティングに関しても長年にわたって(英)国民的支持を受けてきただけあって、一級品グループや思います。唯一物足らないと思う部分は… いわゆるビートルズ、ストーンズ、ザ・フー、キンクスら4大ブリティッシュ・グループに少なからず感じられる‘毒’ですかね?それでも、いやもしかするとだからこそ、英国ではビートルズに次ぐほどのヒット・メーカーだったのかもしれませんな。

 

ところで。やっとこさ立花孝志がブタ箱入りとなってうれしいかぎりです。ちゅうか1年遅いんじゃ。もっとはやくしょっ引いておけば、少なくとも3人の命が失われずにすんだのに… 天国の立花隆(知の巨人)さんにとっても迷惑千万な奴でした。次は斎藤元彦の番です。それにしても世間にはびこる陰謀論、排外主義、人種差別にコロッとだまされる人たちがいかに多いことか。中国に侵略される?移民に国が乗っ取られる?頭悪すぎ。今の日本は外国人労働者のおかげでなんとか成り立っています。排斥したらさらに貧しい国になるのがわからないのかな?コンビニの店員見たらわかると思うんですが。彼ら安い賃金で立派ですよ。というか本当は犠牲者なんですが。たぶん近い将来、こんな賃金の安い国なんか頼んでも誰も働きに来てくれなくなるでしょう。むしろこんな斜陽国家に働きに来てくれて感謝せなあかんくらいです。ちなみにこの国の人手不足をカヴァーしようと外国人技能実習生を促進させたのは、ネトウヨ君たちの尊敬する亡き安倍晋三です。

 

オリジナル・ヴォーカリストのジョン・フォックスが脱退し、ミッジ・ユーロが加入して最初にリリースされたアルバムの国内帯付盤手に入れましたよ。バンドとしては4作目?個人的にはジョン・フォックス時代はおろか、以降のアルバムも全く聴いたことがないです。クラフトワークやYMOなどのテクノ・ポップはあまり好きではないし、このアルバムを聴いたのも今回が初めてです。ただしリアルタイムで流行っていた、ここに収録の“New Europeans”はけっこう好きで、当時テレビ・コマーシャルでも使われてましたね。この曲、実際のところテクノ・ポップでも何でもなく、ただのゴリゴリのギター・ロックでした。ギター・カッティングは完全にウィルコ・ジョンソン(ドクター・フィールグッドの初代ギタリスト)なんですが、今聴くとちょっとミックス的にギターの音大きすぎますね。しかしこれが功を奏したのか、当時けっこうヒットしたような記憶があります。アルバムとしては“~Europeans”路線が数曲、あとはシンセを主体とした従来の路線で成り立っています。ライナーノーツにはエレクトロニック・ポップなんていう、ちょっと懐かしいような言い回しが出てきますが、今でもこういう呼び方するんですかね?このへんのジャンルは全く詳しくないのであれなんですが、ど素人的感想としましては、ここで展開されているそのエレクトロニック・ポップなる音楽は、ふり返って聴くとかなり稚拙というか、当時の最先端技術に100パーセント依存したかのような上っ面さ、底の浅さを感じてしまいます。やはりあれですかね?こういう日々、向上したり変化したりするテクノロジーってのは常に最新であることに大きな価値があるわけですから、あまりそこに重きを置きすぎた音楽は、時が経つと必然的にその未熟さが感じられたり、逆にそこに存在するアナログ感がさらされてしまったりするっちゅう、倒錯したことになるのかもしれません。もちろん聴き方として、そういう楽しみ方もあるというわけですが。メロトロンなんてその典型ですね。おわり

 

トッド・ラングレンが60年代末に率いていたバンド、ナッズのベスト盤です。84年に米ライノ・レコードからリリースされたレコで、ナッズがリリースした3枚のアルバムとシングル、そして未発表曲から抜粋された全12曲です。1発目の“Loosen Up”はフィラデルフィアつながりなのかわかりませんが、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの同時期の大ヒット曲“Tighten Up”の明らかなパロディです。“Open My Eyes”のリフはザ・フーの“I Can’t Explain”だし、もろヤードバーズ・ヴァージョンの“Train Kept A –Rollin’”が入ってるしで、60年代後半のアメリカに無数に存在した、ビートルズ、ストーンズ、ヤードバーズ、ザ・フーらブリティッシュ・ビート・グループに憧れていたであろうガレージ・パンク・バンドのひとつと考えられると思いますが、改めて聴いてみると、さすが70年代に才能開花させることになるトッドのソングライティング能力、メロディ・センスが光ってます。個人的にはあんまり好みではない、60年代後半のアメリカのソフト・ロック群―例えばロジャー・二コルズとかミレニウムなんかの匂いもします。演奏、コーラスもうまく、まわりの同系統バンドよりもちょっと格上って感じですかね。ガレージ・パンクと聞いてイメージするB級感はほとんどないです。それでは以下トラック・リストっす。

 

SIDE A

1. Loosen Up

2. Open My Eyes

3. Gonna Cry Today

4. Kicks

5. Hello It’s Me

6. Magic Me

7. Not Wrong Long

 

SIDE B

1. Train Kept A-Rollin’

2. If That’s The Way You Feel

3. Forget All About It

4. Meridian Leeward

5. Under The Ice

 

その6からの続きです。

 

私はニコの‘The Marble Index’でのジョン・ケイルのアレンジメントに度肝を抜かれていたが、エレクトラが次のLPを作らないことを決めたときはさらに驚いてしまった。私は続編アルバムに資金を出してくれるよう、ワーナー・ブラザーズを説得し、ニューヨークで1週間のレコーディングを行なったのち、ジョン・ケイルがその‘Desertshore’の仕上げに私を手伝うため、ロンドンへやって来た。1日のセッションが終わったあと、彼はミキシング・デスクの上に足を投げ出してひと休みしていた。彼はジョン・ウッドに大きな態度で手を振り、こういった。

 

「君のところの連中の音でも聴いてみようか」

 

私たちは彼に何曲か聴かせ、最後にニックをかけた。するとケイルは驚いてこういった。

 

「誰だこのとんでもない奴は?!こりゃ驚いた。今すぐ会わなきゃいけないな。彼はどこにいるんだ?どこだ彼は!」

 

私はニックに電話をかけ、ジョン・ケイルが30分以内に向かうことを告げた。ニックは「うん、あの、分かった」と答え、私がニックの住所を書くと、ジョンはそれをひっつかみ飛び出していった。

 

翌朝、私はケイルから電話をもらった。

 

「ヴィオラ、アンプ、フェンダー・ベースとそのベース・アンプ、セレスト、それからハモンドB-3オルガンを積むための小型トラックが必要になるな。今日の午後だ」

 

私はその日、他のプロジェクトを予定していたが、ケイルはその日に‘Northern Sky’と‘Fly’のレコーディングをすると決めていた。彼らはいっしょにやって来た。ワイルドな目つきをしたジョンの後ろにニックがついてきた。その横柄なふるまいにもかかわらず、ケイルはニックに対して大きな気遣いを見せていた。ニックは用心深くも自分自身で楽しんでいるように見えた。ニックはリラックスして事を進めるだけだった。

 

‘Bryter Layter’は私のお気に入りの1枚で、あれこれとやり直したいと考えながら聴くことのないレコードだ。リズム・セクションのプレイ、ロバートのアレンジメントとマクレガー、ケイル、リチャード・トンプソン、サックスとフルートのレイ・ワーレイ、そしてドリス・トロイとP. P. アーノルドの貢献は不変の喜びを与えてくれる。ジョン・ウッドはこれ以上のサウンドは作れなかったし、私たちは完全に満足するまで何度も何度もミックスをやり直した。しかしアルバムが完成したとき、ニックは私に次のレコードはアレンジメントともサイドマンも何もなしで作りたいといった。

 

振り返ってみると、私たちはみな完全にニックの音楽に惚れこんでしまい、彼の内気さによって創り上げられた空間の中へ、私たちは喜んでどかどかと入りこんでしまったことが分かる。ニックは自分自身のアルバムから除外されたと感じていたと思う。私が気に入っていた‘Things Behind The Sun’を収録することを彼が拒んだこと、そしてあの3つのインストゥルメンタルを入れることを主張したのは、彼の怒りの表現だった。彼の亡霊は最後に勝利をつかんで笑っている。むき出しの‘Pink Moon’は彼の中で最も売れるアルバムであり、一方の‘Bryter Layter’は‘Five Leaves Left’に次いで3番目に甘んじている。

 

それ以来、私は正当な分け前以上をもらう英語圏のシンガーソングライターたちの曲を聴いてきた。ハンニバル・レーベルを運営していたとき、私は‘WPSEs(White People Singing in English)’と題したデモ・テープのための私書箱をもっていた。多くの者は最も影響を受けたとしてニックの名をあげていた。穏やかな息づかいのあるヴォーカル、悲しげで内省的な歌詞、そしてフィンガー・ピッキングによるアルペジオ。お次の方どうぞ!ニックの表現スタイルに匹敵するものはほとんどなく、彼の真髄には程遠い。一様にわずかにニックを思い起こさせる者たちだけが、ニックの音楽を知らないことが判明した。

 

以上第23章でした。ご清聴ありがとうございやした。

 

その5からの続きです。

 

私は一瞬、ニックに怒りを覚えた。‘なぜ彼は何もいえないのか?なぜもっとプロフェッショナルになれないのか?’

 

この頃までに彼はケンブリッジを中退し、彼にはすぐ近くに彼を支持するグループや友人がいなかった。ツアーを途中で下りた彼は、ハムステッドの部屋に引きこもった。彼はいつもハシッシュを吸っていたが、それは今や彼の生活パターンとなっていた。ギターをプレイし、マリファナを吸い、腹が減るとカレーを食べに出た。私たちがセカンド・アルバムのレコーディングを開始したとき彼は活気をとり戻したが、セッションとセッションの間、彼は孤立した暮らしに戻っていった。

 

私が認識していた社交上の定期的な外出は3つだけだった。1つはライアー・ダイス(注:各5個のさいころを投げて相手から見えないようにし、はったりをかけたりして自分の手を強そうに見せかけるゲーム)をするためボブ・スクワイアのところにいくこと、もう1つがニックの両親の家を訪問すること、そして最後がハムステッドのジョンとベヴァリーのところを訪問することだった。ベヴァリーはユダヤ人らしい母親の役目を引き受けていた。彼女はニックにチキン・スープを作ったり、彼の髪のことをたしなめたり、時には彼の服を洗濯さえしていた。彼女はニックのことが大好きだったし、彼にとてつもなく優しかった。ジョンも複雑な性格をもっていたが、たしかにニックを高く評価していたし、彼のことを大好きだとさえいっていた。しかし私はいかなるギタリストも、羨望の念をもたずにニックのプレイを見ることはできないと思う。私は時々ニックといっしょにジョンとベヴのところで夕食をとっていた。私たちはみんなハイになってレコードを聴いていた。こうしたリラックスした環境の中にいても、ニックはいつも用心深げに静かにしていた。

 

フランス・チャートを独占していたロング・ヘアの女性歌手、フランソワーズ・アルディはニックのファンだと語っていた。コラボレーションについて、ニックとの間で手紙のやりとりがあった。ニックと私はパリに飛び、サン・ルイ島にある彼女の最上階のフラットでお茶を飲むために古い階段を上っていった。最初から最後までニックはほとんどことばを発しなかった。私は彼女があまりにニックのことを不思議に思い、その話が失敗に終わってしまったのだと思う。

 

セールス不振、アメリカでの契約欠如、そしてツアーの失敗にもかかわらず、私は他のどのアーチストよりもニックとスタジオに入ることを楽しみにしていた。私たちはニックのヴォーカルとギターにエレクトリック・ベースとドラム・キットを加え、その後さらにセッション・ミュージシャンあるいはアレンジメントを施したリズム・トラックを作り始めた。ロバート・カービーはストリングスに加え、さらに手を伸ばし、ブラスのアレンジメントを書いた。私は‘Poor Boy’を聴いたとき、レナード・コーエンのアルバムに入っていた‘So Long, Marianne’と、そのあざけるような女性コーラスのことを考えた。私がニックに提案すると、彼はどう答えていいか分からないかのように少しの間私を見ていたが、完全に納得していたようには見えなかった。

 

私はその頃までに、事実上サウンド・テクニクス・スタジオに住んでいた。ウィッチシーズンのアーチストはさらに増え、みなが契約中だった。私たちが‘Poor Boy’のためのリズム・トラックを録った日、私は午前中を南アフリカのジャズ・ピアニスト、クリス・マクレガーのレコードのミキシング作業に当てていた。ニックと他のセッション・ミュージシャンたちが到着したとき、クリスはそばで聴いていていいかと尋ねた。クリスはトランスカイ(南アフリカ)の田舎で育ち、村のコーサ族の少年たちとはっぱを吸っていた。あの日、彼はダシーキを着てピルボックス・キャップをかぶり、コントロール・ルームの後ろに座り、パイプに草をいっぱいに詰めながら聴いていた。午前中のミックスのあとで、私の頭の中ではクリスのピアノがまだめいっぱい鳴っていた。ニック、デイヴ・ペグそしてマイク・コワルスキが曲を通しで演奏したとき、私は振り返り、クリスがニヤついているのを見た。私は、彼が考えていることと私が考えていることが同じかどうか彼に尋ねてみた。ジョン・ウッドがマイクをとりに行っている間、私は急いでスタジオのミュージシャンのところへ行き、こういった。「もうちょっとしたらピアニストがくるから」 それからクリスにニックを紹介した。彼が、ニックによってきっちりと書き出されたコード表をちらりと見やると、私たちはテープを回した。‘Poor Boy’のファースト・テイクのピアノ・ソロは、私のスタジオの中での最も思い出深い瞬間のひとつだ。

 

続く…