麒麟がくる 大桑城 遺物が語る幻の城下町(45) | 山羊のソラくん

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45、遺物が語る幻の城下町

  ~大桑の調査成果から(8)~

 

 前回からの続きです。

 

 遺物は昔の人々の生活に伴ってあった「物」のうち今に至るまで遺っている物を言います。

 

 

 今の私たちの生活にもたくさんの物が溢れているように、当時の生活でも多くの「物」が使われていました。しかしその姿形をとどめていません。

 

 

 

 そんな中で、今に至るまで形をとどめている物が、土と火で作られた土器・陶磁器の類です。

 

 

 

 分布調査の結果、四国堀跡より内側の市洞の谷の中には戦国時代の土器・陶磁器のかけらがたくさん落ちていることが分かりました。

 

 

 

 採集された戦国時代の遺物は、その多くが瀬戸美濃と呼ばれる皿・擂鉢・天目茶碗などの焼き物と、かわらけと呼ばれる土師器(はじき)の皿でした。他にごく少量ですが、中国など大陸から搬入された青磁や白磁などの破片、常滑焼の瓶や鉄を吹いた滓(かす)なども見つかっています。

 

 

 

 戦国時代の日本、特に東日本では、皿や天目茶碗などの陶器は瀬戸や美濃で焼かれたものが大量に流通していました。これらは当時の生活に伴って存在したもので、美濃窯という産地に近い大桑でも一般的な遺物です。

 

 

 

 そして、瀬戸美濃陶器が市洞の谷の中に面的に存在していることから、戦国時代の大桑に人々の生活が広がっていたことが明らかになりました。

 

 そしてさらに注目すべき遺物は「かわらけ」でした。

 

 

 この「かわらけ」は、明かりを灯すための灯明皿に用いられたほか、中世のある一定の階層の人々の間では、宴席や接待などの非日常的なハレの場でまとまって消費される傾向があったと考えられる遺物で、一般の集落ではその消費が少なく、階層の高いものが暮らす「居館」や都市的な消費の場である「町」では大量に消費されたと考えられています。

 

 

 

 ですから、この「かわらけ」が一定量以上広範囲かつ面的に広がっている区域を見ていくと、そこに「町」を見いだすことができるのです。

 

 

 

大桑城に守護がいた戦国時代、大桑城下に「町」はあったのでしょうか?

 

 

滓(かす)=液体をこしたあとに残ったり、液体を入れた容器の底に沈殿したりしたもの

 

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