麒麟がくる 大桑城 遺物が語る幻の城下町(44) | 山羊のソラくん

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5月4日に、生後1ヶ月の山羊ちゃんが我が家に婿入りしてきましたので成長を紹介していきます。

44、遺物が語る幻の城下町

  ~大桑の調査成果から(7)~

 

 前回からの続きです。

 

 城山に大桑城があった戦国時代、麓の市洞あたりには城下町が広がっていた可能性が、今に残る地名や伝説、江戸時代の記録などから導き出されています。

 

 

 

 その城下町が実在したかどうかを確かめる方法として最も確実なのは発掘調査です。

 

 

 

しかし、広い城下町跡の推定区域の全てについて、地面を掘り返して確かめることは大変な困難を伴いますし、全体の何割かを発掘調査するとしても長い年月を要します。

 

 

 

 そこでこの広い大桑城下町遺跡の広がりを大づかみに知るために採用したのが、「地表面散布遺物採集による遺跡分布調査」という方法であることは前回に説明した通りです。

 

 

 

 現代の私たちが生きていく上で様々なものを消費するのと同じように、その時代、大桑城下町でも、そこに生きた人々が様々のものを消費していたと考えられます。ですから「当時の人々が生活に伴って消費したもの」=「遺物」が落ちている場所は、当時の人々が生きていた場所、すなわち遺跡である。ということになります。

 

 

 

 遺物採集による分布調査では発掘調査のように地面の下のことを詳しく知ることはできませんが、落ちている遺物を見ていくことにより、遺跡の広がりを把握することが可能であり、その点で有効な方法なのです。

 

 

 

 こうして我々調査スタッフは、草木が少ない秋から冬にかけて大桑の市洞と椿野を歩き回り、野や畑に落ちている小さな遺物のかけらを収集して、場所ごとに遺物の種類や数を集計する作業に着手しました。

 

 

 

 そして、この分布調査の結果、大桑城下町が実在したことを物語る成果が現れつつあります。 

 

 

 

 調査の結果、大桑の市洞には古代・中世・近世・近現代を通してそれぞれの時代の遺物が落ちていることがわかりました。

 

 

 

なかでも特に15から16世紀にかけての遺物のあり方が特徴的であることがわかりました。16世紀といえば大桑城の時代、戦国時代です。

 

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